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夜の片隅


心理学の本を読んでいると、必ず恋愛についての項目がある。

恋愛に関しての心理学はとても面白い。恋愛に関して自信がなかったり、トラウマを持っていたりするならお勧めしたい。とても楽しいです。今は漫画で学ぶ恋愛心理学とかの本もあるので、文字列が苦手な方も、ぜひ。自分に合う本が見つかったらとても楽しく学べると思います。誰もに当てはまることじゃないってところが、難点なのですけどね。

SNSには、たくさんの人のたくさんの〝好き嫌い〟が溢れてる。わたしはあまり、好き嫌いを発信しないタイプ。正確に言えば、発信したくないタイプ。不特定多数の人に好みを知られるのが怖い。これはトラウマみたいなものなので、仕方ないと思って欲しい。秘め事はあった方がいい、とよく言うけれど、秘め続けるのも辛いもの。恋愛では特に〝忍ぶ恋〟。それこそ苦行の様な辛さを味わうのではないかと思う。



〝愛することは命がけだよ。甘いとは思わない〟


『雌に就いて』という作品の中で、太宰治はこう記した。この言葉を〝重い〟と感じるか〝当たり前〟だと感じるかで、その人の恋愛に対する心が見える気がする。そして今までどんな恋愛をしてきたかも、ほんの少し覗けるような気がする。実際は 気がする だけで、それ以上は解らないのだろうけれど。あなたはどうだろう?

甘いだけの愛は存在しないし、苦しいだけの恋も存在しない。もっと幸せになれるはずなのに〝幸せになるための道標〟は何処にもない。愛する人のたった一言で地獄に落ちて、たった一言で天国へと登ってしまう。本当はそんな劇的な感情の高低差など必要はなくて、地に足が着いたまま穏やかに笑い合えたら、それだけで充分なはずなのに。


遠く離れた距離も、同じ空間にいられる安心も。

油断したら足下から崩れ去ってしまうような、そんな脆い関係ではないはずなのに。言葉や感覚、感情や温度差でいつの間にか罅が入ってしまう。積み重ねてきた年月を無かったことにするかのように、あまりにも簡単に崩れ去る。それが〝愛〟だと言うのなら、酷く哀しい。

小さな罅が大きな罅割れになってしまわぬように、何度も何度も修復して直して。ひとりで直しても意味などないのに、それでもなんとか繋ぎ止めようとする。その〝愛〟に何度、裏切られた? それでもそこに居て欲しいのは〝恋〟なのか〝愛〟なのか。私には未だ解らないまま。結ばれたら解けてしまうのだろうか。どんなに結び続けても、いつか切れてしまうのだろうか。解らない。


叶えたい想いがあって、叶えて欲しい愛がある。

遠距離でも中距離でも近距離でも、結ばれた愛をどうしても諦めて欲しくなくて。自分の中にある理想ではない何か〝叶えたい想い〟も諦められなくて。ただ時々、私の言葉はどれだけ偽善に塗れているのだろうと。時々、とても汚れているようにさえ見える。言葉に色が着くならば、淡く綺麗な色がいい。心からの言葉をいつだって伝えたい。けれど、時々、本当に時々、自分の言葉が怖くなるときもある。

〝美化〟〝偽善〟〝傲慢〟〝変色〟。いつだってそれが怖い。大切なものだからこそ、綺麗であって欲しいものなのに。綺麗に保つためにどんなに磨き続けても、伝わらないのなら汚れてしまっているのではないか。傲慢さが篭ってしまっているのではないか。それが、私には何よりの恐怖で。押し付ける言葉しか吐けないのなら、いっそ殺して欲しいと思うほどに。


それでも諦めたくはなくて、私は今日も足掻いて。

叶えたい想いも、叶えて欲しい愛も、結局は諦めきれないから、何度も何度も繋いで紡いで。ハッピーエンドがいい。私の言葉が届く距離なら誰にだって訪れて欲しい。愛する人と一緒にいて欲しい。一生、永遠に。それは偽善だろうか、傲慢だろうか、美化だろうか。解らない、解らないけど、崩れ去る愛を望んではいないのだから。

ふたりで築き上げて欲しい。一生も永遠も。愚かなほどそれだけを願っている。夜の片隅であなたの愛が実る日々を。優しい言葉を柔らかな言葉をくれる人。私の言葉を受け取ってくれる人。あなたが幸せであるのなら、私の恐怖は何処にもない。理不尽な痛みも、悲しい別れも、訪れませんように。ただ願うことしか、できないけれど。


言葉を軽く扱わないで、言葉を忘れないで。

どんな言葉でもいいよ、あなたの言葉が知りたい。優しくなくてもいい、柔らかくなくてもいい、吐き捨てるような毒でも、泣き叫ぶような声でも構わないから。

どうか伝えることを止めないで。そう思える人がたくさんいるから。

ちゃんと聞こえているから。











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