見出し画像

『宝石の国』のある国の

 本作を初めて知ったのは、アニメ化されたときだ。電車の吊り広告で少し興味を惹かれたが、視聴したのは随分経ってからだった。原作が先だったかどうかも、もはや覚えていないという体たらく。


 とりあえずアニメの冒頭でド肝抜かれて、原作では描き切れない色・光・音・動きに感動して、レンタルしてた原作も揃えることにして、途中から「なんやこれ」感が強くなってきて、それでも我慢して読み続けていたところで作者がPS5にウツツを抜かして(たかどうかは実際のところ知らんがこっちはフォスの一万年を体感したような気分だった)、体感一万年の間に読み返すたびに色んなところで「作者風呂敷の広げかた間違えたんじゃねえの?」と思って、それでも最後まで見届けたくて、何日か前にふと検索したら次話で完結って知って、それに合わせて全話無料っていうから最終巻待てずに読んでいって(秋発売予定ってなんスか?)、最終話だけ読むために雑誌買うのは高くつくからヤダなあって思って、国会図書館まで行っちゃおうかそのほうが安くつくしと思って、調べたけどまだ(4月26日朝時点)閲覧できる状態にはなってなくて、じゃあやっぱり買うしかねえかあと思って、そうしたら一話だけ購入可能だとわかって、しかも初回登録で100ポイントもらえて実質ロハで読むことができて、結局最終話まで読んだ感想は「なんやったんやこれ」だったけど、なんだかんだで楽しかったよ。


「善い人間は大変で 悪い人間はかわいそう」


 ああそんな考え方ができるのか。どおりで僕は大変なわけだ。これだけで元が取れた気さえする。


 幸せのかたちは人それぞれ。物もまた。
 初めの頃はこんな展開になるとは思ってもみなかったが、登場人のすべてがそれぞれの幸福を得られたことには、ただただ安堵している(傲慢かね)。むしろ羨ましいぐらいだ。
 長いことアニメの続きを期待していたが、あれはこの物語の販促、あるいは春子先生の哲学の呼び水だったのだろうから、今更続かなくてもいいと思えた。続くならみる。絶対みる。ゴーストとカンゴームは同じ人が演じ分けるべき。べき。


 どうでもいいが、どうでもよくないが、自分も理解力が高いほうだとは思わないが、「このページはセリフ抜けや印刷ミスではありません」という注釈が欄外に現れると、没入感が引っ張り上げられてグッと萎えるな。にんげんはそこまで表現を解さないものなのかと。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?