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わたしがこの世で一番好きな短編小説について

有島武郎
「生れ出づる悩み」

これです。これなんですけど、この本について語る人をついぞ見かけない。
そもそも有島武郎好きという人、界隈ではあんまりいない気がする。
なんでだろう、(洒落にならないロリコンだからなのか……?)

まぁ専門家じゃないのでよくわからないけど、少なくともわたしはこの本を、というか有島の文章を読んで、
「こんなにも情景が目に浮かぶ文章が書けたら、もうカメラもレコーダーも絵筆も、なにもいらんやん」
「この作品を、たった数百円で、しかも自分の母語である日本語で読めるなんて、こんな幸運なことがあるのか。今の言葉でいうとコスパ最強」
「自分がもし物書きになれるものなら、こんな文章を書いて食っていきたい。(=不可能の意)」
「気に入った表現にマーカー引くとしたらほぼ全部塗り潰してしまいそう。もともとこういう紙の色だったのかな…?みたいになる」
「この域まで達しないと作家とは名乗れないのだとしたら、世の中の大半の人たちはまがいもの・作家もどきになってしまう」
などと思った。

要するに、自分の好みドンピシャだった、というだけの話だけど、そういう作品に人生で出会えたのはとても有意義なことだ。きっと。

サムネは、昨年訪れた有島武郎の別荘であり臨終の場所「浄月庵(一房の葡萄)」の写真です。
今はカフェになっていて、誰でも入れます。古めかしいかんじで好みは分かれるかもしれないけれど、店員さんも穏やかで素敵で、わたしは好きだった。2階は小さな博物館・展示場みたいなかんじ。

これは移築されたものだから、今は実際の現場とは違う場所に建ってるけど、ふと
「この柱が、二人の最期を見守ったのかな…」とか
「あの日この場所で何を感じていたのか」とか考え始めると、生と死の境が曖昧になってきて、なぜか心が安らぐ、不思議な場所です。

有島武郎のような不世出の人たちにとって、この世はどんなにか生きづらかったことだろう。


ちなみに外からは、静かな小川のせせらぎと鳥のさえずりが聴こえる……ことはなく、
だだっ広い駐車場があって、生命力の塊のような家族や子どもたちがワイワイガヤガヤしてて、情緒も何もないです。

でも、少なくとも、人生の最期に、
わたしは窓の外の明るさよりも、この屋内で物思いに耽ったような、静かなときを思い出すだろうな、と思った。





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