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【親子の分断】大宮両親殺害事件I.J(19)

I家

埼玉県大宮市に住むIさん方はお金には困っておらず、主人は左官職人で高度経済成長の中でバリバリに働き町内でも一番にカラーテレビや電気掃除機を買い、子供は7人育てたきっちりとした職人。Jはこの家の末っ子で父、母と長男とその妻と生活していた。この兄も左官業を生業にしよく働いた。
何でも器用にこなす父や兄を見ながら育ったJ(19)はとても甘えん坊で中学では剣道をしていたが、不器用で友人も少なく学校も「つまらない」と休みがちで卒業後に機械関係の仕事に就いたが1年で辞めて、その後は父や兄に付いて左官見習いをしていたが、ここでも不器用でうまくいかずに休みがちだった。

きびしい躾

見かねた職人気質の父は度々、Jに対して厳しくし時には殴るなどもしたが、Jはますます鬱ぎがちになり、母親を蹴って怪我を負わせる事件まで起こした。
それでも改善せずに家では「なまけもの」と呼ばれ夜中に徘徊し朝に家に帰るなどきびしくすればするほど反抗的になっていった。
もうすでにこの時にはJの中には父に対する殺意が芽生えていた…

事件

昭和44年9月3日深夜に就寝中の父と母に角材で殴りかかり瀕死の重傷を負わせて手足を縛り、一度は車に乗せたが近くの畑のゴミ置き場に置き去りトドメの一撃で二人を殺害し何食わぬ顔で家に帰っていた。
遺体を発見した近所の人は「マネキンかと思ったが異臭がしてびっくりした」と通報
状況から内部に詳しい者の犯行で、4日に遺棄現場で目撃された車などから取り調べを受けていたJが6日に逮捕された。
取り調べでは悪びれた様子もなく笑顔を見せたり食事もペロリと平らげ、また留置所で喧嘩騒ぎを起こすなど反省の態度はなかった。

親子の分断

厳しくしても、甘やかしても子供と心を通わせ対話することが大事なのではないだろうか?
少年時に性格は形成され、全てとは言わないが一番影響を与えるのは親だと思う。実際に当サイトでも少年死刑囚の多くは親に問題があることに触れた。
Jは取り調べで「◯◯ばかり可愛がって俺なんか...」と刑事に溢している
そんなJは母親までなぜ殺害したのか?を問われた時に「必死に父を殴ったら母の顔が父とダブって見えた…申し訳ないことをした」とはじめて涙した。

裁判

尊属殺人と死体遺棄で起訴され昭和46年12月21日浦和地裁でJに無期懲役が言い渡された(求刑死刑)
弁護側は心神耗弱を主張し退けられたが、Jが知能が低く幼稚な精神だった事、父の幼少期からのせっかんや冷たい態度が影響した事も認められ死刑を回避しての無期懲役判決だった。翌年に確定した。

変わり行く時代

実はJが事件を起こした1969年9月は他に菅野純雄黒岩恒雄の二人の少年死刑囚が逮捕されている。同年1月には松本二三男、4月には永山則夫が逮捕と5件の死刑事件で少年の逮捕がある。極めて異例のケースだ。
Jの裁判が確定した2年後の1973年4月4日に「道義は重罰では保てない。尊属殺人は違憲」と最高裁で判決が出て三件の尊属殺人事件で殺人罪が適用になり1995年に刑法の改正で尊属殺人は削除された。
また1969年から1988年の18年半の期間で少年による死刑事件は発生していない。これは戦後最長の期間になる。

参考元
【読売埼玉69.9.6と9.7、71.12.22】
【読売73.4.4夕刊】【法務研究報告書】


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