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③ 埋もれていた少年死刑囚 中島昇(19)

昭和20年~22年までの期間は資料も殆どなく死刑事件でも新聞記事にすらならない事が多く、まだ未見や詳細不明の死刑囚が数多くいる。
中島昇もその一人でネット上のとある論文資料がきっかけで犯行時が少年と判明したので概要を記す。

事件の概要

昭和21年2月7日午前1時頃、愛知県岡崎市南康生町の菓子雑貨商方で母娘二人が侵入してきた強盗に頭や顔を刃物で切りつけられ、母(73)が死亡し娘(41)も瀕死の重傷を負い現金1000円などが奪われた事件で犯人は現場から逃走した。瀕死の娘も同日に息を引き取った。
新聞記事では母(71)娘(43)になっているが被害者の年齢が曖昧なのはこの時代はよくある。
【読売中京46.2.8】【GHQ文書】
【朝日愛知46.2.8~9】
※逮捕日は読売関西中京版では記事になっておらず、朝日では2月25日以降の愛知版が欠号。中部日本新聞はマイクロが劣化し文字の判別が難しく欠号(3月1日から3日まで)もあるため今のところ不明

裁判

逮捕されたのは木炭職人の中島昇でGHQ文書記載の生年月日から犯行時は19歳で未成年
起訴は昭和21年3月12日(この時代は逮捕から起訴が一週間前後のため中島の逮捕日は2月末から3月一週目あたりと思われる)
同年5月13日 予審終了
同年7月2日 名古屋地裁岡崎支部 死刑判決
同年10月16日 名古屋控訴院 死刑判決(覆審制)
上告をしなかったために10月22日に確定
(旧刑訴法の上訴期限は5日)
【GHQ文書】【中日46.7.3】

死刑執行

中島は名古屋刑務所にて昭和22年7月19日午前10時35分に執行された。
両親は健在で7人兄妹の長男で遺体は監獄法74条により岐阜県の実家の父親に引き渡された。【GHQ文書】

永田憲史教授とGHQ資料

永田教授著書の『GHQ文書が語る日本の死刑執行』にはイニシャル表記だが46件の死刑執行始末書が紹介されている。実はこの続きとも言える56件の死刑執行始末書が永田教授の論文として閲覧できる。戦後まもない頃は情報が殆どないために大変貴重な資料となっている。

この中の【整理番号102】のN.Nは執行時21歳で生年月日などから少年死刑囚の可能性ありと判断。原本を調査をした結果、少年死刑囚と判明したので今回公開した。
永田教授の論文には国会図書館に所蔵されているGHQ文書の死刑執行始末書の原本のボックス番号とフォルダ番号が記載されている。
タイトル「Executions」
ボックス番号:340 ; フォルダ番号:28
国立国会図書館書誌ID:000006654120


総ページ数544ページの膨大な量になるため調査閲覧には相当な根気が必要と思われる。
今回、さすらうは折原臨也リサーチエージェンシー様と情報を共有し調査作業に協力をしていただいた。



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