見出し画像

⑧ つげ口された逆恨み 山本明秋(18)

生い立ち

「知能普通。性格は怠惰にして陰険。持続性なし」

山本明秋(犯行時18)は高等小学校を卒業後に自ら志願して水戸航空隊に少年航空兵として入隊し復員するまで軍務していたが、昭和21年6月に復員した後は実家(和歌山県日高郡船着村)に戻り、筏乗りの手伝いや大工見習いなどをしていたが、正業にはついておらずぷらぷらとしていた。
【刑事裁判資料56号】略称は刑資

犯行動機と事件内容

そんな山本を見た近所の主婦I(41)が「遊び暮らして金遣いが荒い」と山本の母に言った事で明秋は叱られ、それを逆恨みするようになった。
昭和23年2月、遊ぶ金に困り面白くなかった所、Iにつげ口された事を思いだし、Iを殺して強盗してやろうと思い立った。
4日は戦友宅に泊まり5日夜にI方に侵入し出刃包丁でIを殺害し、寝ていた長男(9)をタオルで絞殺し米や衣類を奪った【刑事裁判資料56号】
翌6日に着物を売りに着た若者の挙動がおかしいと通報があり連行し留置所に。
追求したところ事件を自供したため同日山本は逮捕された。
【紀伊民報昭和23年2月7日】【朝日和歌山48.2.10】
(新聞上では20歳となっているがこの時代は数え年表記)

刑事裁判資料56号上

裁判で死刑確定

昭和23年3月31日 和歌山地裁田辺支部 死刑
昭和23年8月12日 大阪高裁 死刑
昭和24年2月15日 最高裁上告棄却

記者への一問一答では一審で死刑判決を受けて即日控訴したこと、水戸の航空兵時代の事を聞かれると下を向いて黙り、被害者が夢に出てきたと答えた。
【紀伊民報昭和23年4月2日】
山本は昭和26年6月5日に大阪拘置所で死刑執行された
「あめつちに怫の光溢れたり心の窓を開けばみゆる」【昭和26年6月7日紀伊民報】
※GHQの資料によると明秋は「みょうあき」と読むようです。

刑事裁判資料56号上

この【刑資56】は「死刑無期刑刑事事件判決集」として上下巻があり上巻に死刑事件の資料が載っている。
戦後2~3年の新聞資料が少ない死刑囚が登載されていてとても貴重だが、こちらの資料は「国会図書館デジタル化資料送信サービス」に対応しているので全国の多くの図書館で閲覧可能となっている。
ただし、凄惨な事件現場の写真がそのまま掲載されているので苦手な方は閲覧の際は注意が必要となる

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?