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十代アベックのタクシー強盗殺人

夜に鳴り響くクラクション

昭和41年1月25日、神奈川県伊勢原町(現伊勢原市)の大山阿夫利神社の参道から少しはなれた林道で夜の10時頃に停車したタクシーからクラクションが鳴り響くのを近くの旅館で手伝いをしていた女性が不審に思い通報。
同じようにクラクションを聞いた近所の主婦が血まみれになりながら座席のうしろに寄りかかり、必死に片手でクラクションを鳴らし救いを求めて虫の息だった運転手Iさんを発見し、病院に収容されたが全身を28箇所も刺されていて死亡が確認された。
タクシーのタコメーターは午後9時15分で止まっていて、ボンネットには血痕が付着し、現場の足跡にはハイヒールの形も含まれていた。
他のタクシー運転手が同時間帯にアベックが歩いているのを目撃していて、伊勢原駅の婦人トイレからは血の着いたオーバーやマフラーが見つかった。
このアベックが怪しいとされすぐに捜査が開始された。
【読売京浜昭和41年1月26日と27日】
【週刊読売66.2】

十代のアベック

事件から二日後の朝に平塚市内の小さな神社の境内で薄着で焚き火をするアベックを近所の人が不審に思い通報し、駆けつけた警察官がアベックに声をかけると「思ったより早く来たな」と男がナイフを取りだした。
一緒にいた女も「ここにも…」と二本のナイフを差し出した。驚いた警察官とは逆にアベックは至って平然としていた。男はSで18歳、女はT子で17歳(一部新聞では16歳になっている)
未成年アベックがナイフで運転手をメッタ刺しにして売上金を奪うという他に例があまりない強盗殺人事件となった。【週刊読売66.2】

事件後の足取り

伊勢原署では4年前に殺人事件が起きて以来の大事件となったが、この未成年アベックは犯行後に電車で横浜に行き、一泊後に埼玉県の大宮に向かい、そこでタクシーを拾い平塚まで行き、Sが「金がないから兄貴の家で借りる」と横浜によったが、「家がわからないから」と一緒に探し、交番で平然と道まで聞いていた。
結局は料金を6千円以上を踏み倒して逃走し、先出の神社に行き着いていた。
逃走中に接触した人の証言では平然としており、とても人を殺しているとは思えない感じだったと言っている。
【週刊読売66.2】【昭和41年1月27日日本経済新聞夕】

二人の生い立ちと動機

Sは中学時代は成績優秀で風紀委員にも選ばれて、小田原の名門高校にも合格したが、一学期で退学してしまう。このころに通学中に絡まれた不良にさそわれて、不良の道に入り込んだようだ。二回ほど補導歴もある。
T子は内気で目立たない性格。中学卒業後に電気工場に就職したが長続きせずに、職を転々としていたが昭和40年の春頃にSと出会ってから変わり、厚化粧をし派手な服を着るようになった。
二人とも両親が共働きで特に貧しい環境でもなく、中学時代は問題行動などなかったが、卒業後に何かが弾けたように変わってしまったようだ。二人は約一ヶ月ほど同棲をしたようだが、生活力がなく長く続くはずもなく、お互いに別々の場所で住み込みで働くようになった。
被害者を28ヵ所も刺し刑事も目を背けたくなるような残忍な事件後も平然とした態度で供述し、食事もぺろりとたいらげ、よく寝るなど並みの神経では出来ない振る舞いだった。
報道では先に後ろからT子が刺し、すぐに前からSが刺したとされている。
何故こんな大それたことをやらかしたのかの問いかけに「二人で死のうと思った」「死ぬ前に大きい事をしてやろうと思った」という理解に苦しむ犯行動機を答えた。
【週刊読売66.2】

裁判

昭和41年10月26日午前10時、横浜地裁小田原支部にてSに対して無期懲役判決(求刑死刑)、T子は懲役15年(求刑と同じ)の判決が言い渡された。
裁きの場に出てから初めて現実を理解したのか、Sは青ざめて体を小刻みに震わせ、T子は手で目を覆うなど事件時の姿はそこにはなかった。
【昭和41年10月27日神奈川新聞】


資料提供:折原臨也リサーチエージェンシー様



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