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⑬ 旭川三人強殺 山田作一(18)

戦後の少年事件に有りがちな生い立ち

山田作一(犯行時18)は8歳の時に母、15歳で父を亡くし孤独の中で仕事も長続きせず、少年院に入り退院後に窃盗罪で懲役10月執行猶予3年の有罪判決を受けている。
その後は伯母の家に引き取られたが、居心地が悪かったのか?飛び出し、北海道を放浪するようになった。
ここまでは気の毒な生い立ちで同情出来る部分はあるが、山田作一は根っからの悪だったのか金のための悪事が強盗殺人にまで大きくなってしまった。
【刑資56号上】

悪質な犯行計画

所持金が尽きた山田は北海道磯谷郡南尻別村の以前2回ほど訪れた事のある家に狙いをつけた。
ここは父親が未復員で女子供だけで生活している事を知っていた。
昭和23年4月2日に山田は深夜に懐中電灯を持参し覆面まで被り、はじめから殺すつもりで被害者宅に侵入。物音で起きた母親(29)を金具で殴打し、「これで帰ってくれ」と金銭を差し出し命乞いをするも再び殴打し匕首で殺害した。
更には犯行発覚を恐れ、起きてきた長男(9)と次男(6)を躊躇なく金具で殴打し殺害した。
戦争という人の死が今よりも身近な環境での成育であったとしてもあまりにも残忍な犯行だった。
【刑資56号上】

そして逮捕

山田は犯行後に小樽に行き、盗品を友人に仲介させ売りさばき旭川の駅で代金を受けとる約束をしていた。
一旦札幌に入りその後に代金受けとりに同年4月5日に旭川の駅待ち合い室に現れた所を、情報から張り込んでいた捜査員にあっさりと検挙された。
※年齢が数え年表記で『山田(廿歳)犯行自白』となっている。廿は二十という意味です
【昭和23年4月6日北海道新聞札幌版】

北海道新聞48.4.6

裁判により死刑確定

昭和23年5月11日 札幌地裁小樽支部 死刑
昭和23年10月27日 札幌高裁 死刑
昭和24年7月15日 上告取下げで確定
【刑集37巻6号】
山田は恩赦目的で上告を取下げたと思われるが、その後日付不明だが執行された






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