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女子高生コンクリ事件 主犯以外の少年

この事件は数ある少年事件の中でもネット上では特に有名過ぎて、他所で沢山の方々に取り上げられているので今更内容を記す事はしない。
まだよく知らない方は下記に高裁の判決文のリンクを張り付けるので目を通していただきたい。
主犯4人のうち3人が再犯をしたことはご存じの方も多いのではないかと思うが、【月刊ゼンボウ1989年11月号】に掲載された冒頭陳述書には9人の少年が登場する(内8人が実名掲載)
最近は減ったが、少女の暴行に加わったのは100人という悪質なコピペが出回り、別の少年事件の主犯や芸能人が名を連ねる加害者リストも出回り、それらが拡散して収拾がつかなくなっているので、この機会に主犯以外の5人について触れたい。

平成2う1058(東京高裁の判決文)
https://daihanrei.com/l/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E9%AB%98%E7%AD%89%E8%A3%81%E5%88%A4%E6%89%80%20%E5%B9%B3%E6%88%90%EF%BC%92%E5%B9%B4%EF%BC%88%E3%81%86%EF%BC%89%EF%BC%91%EF%BC%90%EF%BC%95%EF%BC%98%E5%8F%B7%20%E5%88%A4%E6%B1%BA

暴力団の舎弟組織の『極青会』

都内の暴力団幹部Tの舎弟として主犯A(M)が長として、Tが運営する生花店「フラワーフレンド」を事務所として、メンバーが出入りをしていた。これは少女を監禁中の1988年12月11日に結成された組織。
具体的な数を書いている文献はないが、当時の報道では十数人が出入りしていたようだ。
これに尾ひれが付いて広がり、『監禁女がいる』事を知っていたであろう人数が、犯行に加わった人数として広がり、悪意(?)のあるコピペとして改ざんされて最終的には100人衆などというものになってしまったようだ。

監禁場所の家の長男

主犯C(M)の実兄で一連の犯行の中では少女が逃げないように見張りをしていた、食事を与えていたという役割になっているが、冒頭陳述書では最後の暴行時にA(M)の指示で三回ほど少女を殴打している。
この長男が主犯4人が不在の時に少女が亡くなっているのを最初に確認している。A(M)に様子がおかしいと連絡をした。

乱暴に加わった二人

1988年11月28日深夜の乱暴にK.K(16)とI.T(17)が加わっている。
K.Kは2000年11月28日のニュースステーションに伊原という仮名で出演した。この時の仮名が加害者リストに実名として出回った。
番組の中で長野県穂高町の初等中等少年院の有明高原寮に家裁で審判の結果、半年間の入院となった。
1989年5月入院、1989年秋ごろに退院。番組放送時は建設会社で働き1994年には結婚し子供も生まれている。
(犯人の中には結婚して子供もいるというのは彼の事ですね)
同番組内で共犯のI.Tもまた中村という仮名になっている。
この番組での仮名が、実名として加害者リストに入ったというのが伊原と中村の真相。K.KとI.Tを実名でリスト入りさせてたコピペもあるのにそれに追加して伊原と中村もリスト入りさせてしまっているという事になる。

もう一人の再犯者のH

1988年12月中旬の少女へのリンチにH(17)は加わっている。冒頭陳述書の犯行内容は性的なものになるので控えるがライターで火をつけて火傷を負わせた一人がHで、Hは後に覚醒剤関連で再犯をしている。
事件に関わった者で3人の再犯者がいるのは誤りで実は再犯者は確認されているだけで4人いたというという事になる。

極青会入りを拒否した少年

昭和63年12月5日夜、岩城一夫(仮名の16歳)はAやCと共謀し原付バイクで二件のひったくり事件を起こした。
この岩城は同月11日頃にAから極青会入りを誘われたが、「真面目にやるから入りません」と断った。
断ったのに別の暴走族チームを結成しようとしていたのをAに知られて、極青会メンバーのT.H(年齢不明)の自宅にいる所をT.HがAに報告し、フラワーフレンドに連れていかれて暴行を受け、その後に荒川に連れていかれ更に暴行を受けて全治4週間の怪我を負った。

以上が冒頭陳述書に掲載された少年9人の内の主犯以外という事になるが、冒頭にふれた加害者リストコピペには名古屋や栃木の事件の少年までリスト入りしてしまっているが、それだけこの事件は一般の人の中にも関心がある人が沢山いるという事なんだろうと思う。

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