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❺❿一審死刑判決が破棄された少年事件二件 S(19)とN(19)

最近は死刑判決が予想される(?)事件で無期懲役の判決が出たり、一審の死刑判決が破棄されたりが続いているが、昭和に確定した少年の死刑事件では9人が一審無期から二審で死刑になっている。
逆に一審死刑判決が破棄されたケースも多々ある

その中で手持ちの【刑事裁判資料死刑無期刑刑事事件判決集56号下巻】から一審の死刑判決が二審で無期懲役になったケースを紹介したい。

❿知人の女性を殺害したS(19)

事件は昭和23年4月20日の仙台市で19歳のS.Tがなじみの独り暮らしの女性(58)宅を金目当てで訪れ、飲酒をしながら談笑し、この女性が蓄えがかなりあり日頃から賭け事などをし遊び暮らしている話を聞いた。
S.Tが「1000円貸してほしい」と申し入れた所、「この糞餓鬼!」断られたために、とっさに殺意が芽生え近くにあった金槌で頭を殴り殺害し、衣類などを奪い、証拠隠滅のために火を付け建物を全焼させた事件。
同月21日深夜に火が上がっているのを発見され現場の状況から他殺の線が浮上し事件発覚。
22日に朝市に被害者の衣類を売りにきた所を検挙された。
【読売新聞宮城版昭和23年4月】
【河北新報昭和23年4月】
少年はこの被害者宅に行く前に別の民家に窃盗目的で侵入していたが、住人が帰宅し諦めて逃走していた。
この少年には前年に窃盗罪で執行猶予3年の判決が言い渡されていた。
強盗殺人1、放火
昭和23年12月28日仙台地裁で求刑通りの死刑判決
(この時代は強盗殺人被害者1人でも相場は死刑)
S.Tは放火は無罪と控訴した。

二審では一審が破棄され無期懲役
S.Tは小学校卒業後に樺太で人夫したり、戦時中に戻った故郷の仙台では電工をしたり農業手伝いをしたりしていたが、新しく決まった就職先で着るための服代ほしさの犯行だった。
7人兄弟で両親健在で特に貧しい環境で育ったわけではないが、被害者が「糞餓鬼」と言った際に火蓋でS.Tを叩いた件と飲酒状態だった件、犯行時未成年だった件や計画性がなく咄嗟の犯行だったからか、昭和25年7月24日の仙台高裁で無期懲役が言い渡され、双方上告せずに確定した。【刑資56】

 ❺仲間と母子襲撃のN(19)

N.T(19)はKとYとE(共に成人)と共謀し、強盗事件を起こした。
愛媛県出身のN.Tは高等小学校2年を卒業後に海軍の工場で働き終戦と共に帰郷し、その後は農業手伝いや土工などをしていたが、別府に流れてきてからは失職し金に困っていた。
先に金に困っていたKが知人Eに相談したところ「強盗に入るのによいところがあるか?」と逆に持ちかけられたために数人が集まり強盗を計画し、ここにN.Tも加わった形になった。
昭和22年12月3日大分県速見郡八坂村で午後10時過ぎに4人は狙いをつけていた母娘二人暮らしの家に侵入。この際にEが「目を覚ましたら暴行しよう」とN.Tに指示をし、実際に被害者が目を覚ましたので母(51)をN.Tが後ろから首を絞め、Eが娘(17)の首を手で絞めて、この被害者宅にあった紐や風呂敷で手足や口を縛り蒲団で巻き、現金2万円と衣類数十点を奪い逃走した。
翌日朝8時頃に近所の主婦に発見され捜査がはじまり、同月9日午前1時半に別府駅で刑事に見つかり自白して逮捕された。当初は山下を名乗っていたが翌日に本名も自白した。
※刑資56では母親死亡で娘は未遂となっているが、昭和22年12月10日と12日の大分合同新聞では二人とも絞殺となっている。
強盗殺人1、同未遂
昭和23年2月25日に大分地裁で求刑通りの死刑判決が言い渡され控訴(KとYも同)

二審では強盗致死とされ死刑を回避
昭和23年8月28日に福岡高裁でK、Y、N.T共に無期懲役判決だった。暴行目的で強盗致死になった点が大きかったようだ(この時代は強盗致死でも死刑の判例はある)
なお見張り役だったKは不服として上告しているが昭和24年4月2日に棄却されている。
またEに関しては裁判記録でも「E某」となっているので逃走して未検挙?(ご存じの方がいたら教えてください)
【大分合同47.12.5、10、12、48.2.26】
【刑資56】



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