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⑥ 謎多き死刑囚 李祥根《松原三郎》(17)

『犯行時17歳の死刑囚』は戦後三人確認されているが、他の二人(鬼頭青木)にくらべて李祥根に関する資料は極端に少ない。
死刑関連のサイトや書籍でもわずかに触れられてる程度である。

【刑集37巻6号】から

「MことRは昭和22年4月9日に雇い主の妻に服の購入代金の借用の申し出を断られて口論の末に同女と長女と二男を包丁で刺殺し金品を奪った。」
昭和22年7月16日岐阜地裁高山支部で無期懲役
(朝8時半に開廷し求刑死刑での無期判決に検察と被告とも控訴)
昭和22年11月25日名古屋高裁で逆転死刑判決
昭和23年6月8日最高裁上告棄却
【岐阜タイムス昭和22年7月17日】
【読売岐阜版昭和22年11月26日】
【刑集37巻6号】

発生から逮捕まで

国会図書館のマイクロ化の資料の傷みが激しいため文字の判別が難しいが、【岐阜タイムス昭和22年4月13日】より「飛騨で三人殺し」「怨恨か、清美村の炭鉱母子」
岐阜県大野郡清美村○之又(読取りにくいがスノマタと思われる)のKさん方で主人(35)が旅行中に妻(28)、二男(7)、長女(5)が殺害された(刑集37巻とは妻と長女の年齢が違う)
4月11日午前10時ころに配給の通知に訪れた近隣の人に発見され事件が発覚し、すぐに捜査が開始されて有力容疑者として前年の10月に滋賀県から来てKさん方に同居していた「松本某」が手配されたとある。
その後の【同月14日岐阜タイムス】の記事でKさんは土木請負業でかなりの資産を蓄えていて主人不在時を狙った模様。松本某は既に高飛びした可能性がある事が記されている。
逮捕は一ヶ月後の5月9日に青森弘前にて逮捕され翌日に捜査本部に入電されて捜査員が青森に向かった。この際に松原三郎となっているがこれが通名?
【岐阜タイムス昭和22年5月11日】

他に【東京新聞昭和24年3月16日】に名古屋刑務所に収監されている少年死刑囚二名(鬼頭正一と李祥根は共に仮名表記)に恩赦が適用される内容の記事がある。
李祥根の上告棄却後は他二名の『犯行時17歳の死刑囚』と共に昭和24年3月23日に恩赦となり千葉刑務所に移送された【恩赦と死刑囚】
【GHQ文書】によると「Ri Sho kon」となっているが他の死刑囚でも読み違いと思われる表記があるので正しいかの確証はない

※引き続き調査し新情報が入手出来たら発信します。

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