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【死刑選択】少年法51条により減軽事件まとめ

ネット上には「少年法があるから死刑に出来なかった!廃止しろ!」という意見が散見されるが、果たして戦後に当てはまる事例がどれくらいあるのか気になり調査をした。既にnoteで発信済みの事件はリンク先を参照されたし。前後編に分けようと思ったが一つにまとめた。
調査にあたり折原臨也リサーチエージェンシー様、『少年死刑囚一覧』を参照し各事件を深掘りした。
個人での調査なので漏れがあることをご了承いだきたい。

小名浜祖父母強殺事件S.T(15)

※リンク先を参照

②上田煙草店強盗殺傷事件H山(17)

昭和24年1月8日朝ころ長野県上田市のタバコ小売店Mさん方に何者かが侵入し女主人のMさんとMさんの義母とMさんの息子がスコップで殴られ、Mさんと義母が死亡し息子は頭部が血だらけの状態で泣いている所をMさんの内縁の夫が発見し上田署に届け出た。
金品が奪われた形跡もあり強盗殺人事件として捜査が開始され、この家に下宿していた青年が先日Mさんと口論となり衣類を持ち逃げしていた事から犯人有力で指名手配され10日に検挙、取り調べを受けたがアリバイがある事がわかり本件に関しては白
その二日後に血のついた服を来て現れたMさんの内縁の夫(最初に通報した)の息子のH山(17)が検挙され犯行を認めた。
H山は実母と14歳の時に死別し、窃盗で松本刑務所に入院歴のある不良少年だった。
昭和24年2月28日 長野地裁上田支部
強盗殺人には死刑、同未遂には無期懲役、窃盗には有期刑が選択されたが、少年法51条により無期懲役判決
控訴せずに確定
【刑資56】【信濃毎日24.3.1】【読売長野24.1.9~14】

③久間村一家5人強殺事件O.T(17)

佐賀県藤津郡久間村にて昭和24年5月12日の朝、古物商Fさん方に配給袋を届けに来た隣家の女性が一家5人が布団の上で惨殺されているのを発見し急報した。
一家は就寝中を手斧で襲われたと見られ、直ちに捜査が開始され、遺体から出た斧の刃こぼれと足跡から長崎に住むO.T(17)が逮捕された。
足跡が炭鉱用の特殊な靴で炭鉱所で働く者をしらみ潰しに探した結果O.Tの実家から手斧が見つかった。
O.Tは盗み目的で侵入し、気づかれたために咄嗟に殺害したと殺害目的は否定。O.Tは満州引揚げ者で中学中退。家庭は貧しかった。16歳の時に窃盗と賭博の前科がある。
昭和24年6月24日佐賀地裁で死刑相当も17歳のため無期懲役判決が言い渡され確定している。
O.Tは仮出所後、再び強盗殺人で逮捕される。
昭和52年7月1日に藤津郡嬉野町で土産卸商のHさんが前日から400万円を持って失踪し捜索願いが出された。
Hさんは遺体で発見され、失踪前に接触していたO.Tが浮上、取り調べでも供述が二転三転しO.Tの家の近くでHさんの車の目撃情報がある点、急に金回りがよくなり借金を返済した点、Hさん失踪の日にアリバイがないなどから逮捕状を取った。
O.Tは完全黙秘だったが自宅の床下から血がついたハンマーなどが発見された。その後の自供でアタッシューケース、眼鏡、現金120万円が見つかったが、O.Tは佐賀署の三階から取り調べ中に飛び降り自殺し、事件は不起訴で幕を閉じる後味の悪い結末だった。
【佐賀49.5.13~16】【佐賀49.6.4】【佐賀49.6.25】
【佐賀77.7.3~14】【佐賀77.7.25~26】【検察資料】

④札幌母子強殺事件S野(17)

昭和24年9月5日早朝、札幌市内で母子が包丁で切りつけられて殺害され金品を奪われる事件が発生した。
翌日に小樽で逮捕されたのはS野(17)で被害者とは同級生で被害者の母親からは可愛がってもらう関係性だったが、「金を手にして東京で不良団を作りたい」という動機から殺害を決意。
事件の前日に訪れた際の「泊まっていきなさい」という好意を裏切る犯行だった。S野は朝鮮生まれで中学中退、百貨店に勤めるも続かずに進駐軍の倶楽部でハウスボーイをしていた。窃盗の前科がある。
飲食店で血のついたシャツを洗ってくれと頼んだのが検挙のきっかけだが動機も含めて全てが短絡的に思えてしまう。
昭和25年7月10日札幌地裁で無期懲役判決
死刑をもって処断すべきだが少年法により減軽
控訴せずに確定した。
【北海道49.9.6~7】【刑資56下】

⑤物部村母娘強殺事件Y下(17)

昭和24年12月14日の夜、京都府何鹿郡物部村で母娘の三人が丸太で全身を殴打され殺害されているのを集会から戻った主人が発見。その際に背の低い男と鉢合わせになったが右肩を殴り逃走。三千円などがタンスから奪われており逃走した男が犯人と見て捜査が開始された。
翌年1月5日に同村に住むY下(17)が検挙されたが奪った時計から足がついた。
被害者一家の主人はY下の自宅での集会に参加していて検挙されたY下はお茶出しをしてアリバイ工作をしていた。Y下は他に別件の放火事件でも起訴された。
昭和25年11月8日京都地裁で死刑相当の無期懲役判決
昭和26年7月13日大阪高裁で放火に関しては証拠不十分で無罪となり原判決破棄の無期懲役相当を少年法により減軽され懲役13年以上15年以下の不定期刑が言い渡された
しかしこの判決が間違っていたという珍しいケース。少年法51条により刑を減軽する場合は懲役10年から15年の間で禁固、懲役の定期刑を言い渡さなければならないのに法解釈を誤り不定期刑を言い渡し、裁判長も検察官も気づかずに判決が確定した。
検事総長より非常上告申立があり
上告審が開かれた。
昭和26年12月21日最高裁で原判決で法令の適用により懲役13年以上15年以下の不定期とした部分を違法とし破棄。「事件につき更なるべき判決が原判決より利益な事が法律上明白であるとはいい得ないので主文の通り判決する」
※上記の通り新たに判決を下さず懲役13年以上15年以下が確定
【京都49.12.16朝夕】【京都50.1.7】【集刑58】

中瀬村一家4人強殺事件H(16)

※リンク先を参照

⑦呉雑貨商夫婦強殺事件M本(17)

昭和31年7月7日の夜、広島県呉市で食料品店のT夫婦が何者かに営利な刃物で刺されて死亡し、売上金1万円が奪われた事件。
同店に子供をつれてアイスクリームを買いに行く途中のHさんが道端で不審な二人組を目撃し、同店のドアを開けようとしたら中から黒づくめの男がHさんを威嚇するように走って逃げた。Hさんは怖くなって自宅に逃げ帰った。上の階に住むTさんの兄が物音がしたので下に下りると夫婦が血だらけで倒れており、出刃包丁が落ちていた。Hさんが見た三人が容疑者として直ちに捜査が開始された。
事件から三日後に主犯倉永勇(25)が逮捕され、更に二日後に少年二人、K(18)とM本(17)が逮捕された。
K少年がサイダーを買って飲んでる間にM本が主人に短刀を突きつけ脅して一万円を奪い、倉永とKが妻を縛り上げ、M本が主人を刺殺、倉永とKが妻を刺して殺害した。金員に窮し前夜に下見する計画的な犯行だった。
昭和32年5月14日広島地裁呉支部
主犯倉永に求刑通りの死刑判決(昭和35年4月8日上告棄却)
M本は死刑相当も犯行時17歳のため無期懲役判決
K少年は懲役5年以上8年以下の不定期刑(求刑は同5年以上10年以下)
※少年は共に控訴しないで確定したと思われる。
【読売広島56.7.9】【中国56.7.14】
【読売広島57.5.15】

鎌倉ブース氏夫妻強殺事件K又(15)

※リンク先参照

⑨保原駅女子高生殺害事件T(17)

昭和33年10月2日午後6時過ぎ。伊達郡保原町の福島電鉄保原駅にて帰宅ラッシュの混雑の中で女学生Eさん(17)が21ヵ所もシノでメッタ刺しにされて病院に運び込まれたが1時間後に死亡が確認された。
犯人はEさんの小中学の同窓で隣家の少年T(17)。
Eさんに好意を寄せていたが、当日待ち伏せて想いを打ち明け冷たくされたら殺害しようと決意し、犯行に至った。また事件の数日前には電車で隣の席に座った際に席を移動したことも殺意を抱く原因となっていた。
ホームのベンチで手についた血を洗い一服してた所を取り押さえられた。
Tは小学2年生の頃に遊び中の事故で右手人差し指と中指を切断している。また父親は暴力で服従させるタイプで家庭も貧しく学校にもあまり行かずにTも働き家計を支えていた
こんな生育環境から劣等感が芽生え、粗暴で執念深い性格が形成された。
昭和34年4月28日福島地裁で無期懲役判決(死刑相当)
求刑は懲役15年だったため求刑越えの判決となった。
裁判長「複雑な家庭環境は認めるが、自己の感情のままでこのような結果を引き起こしたのは許せない。世の親が安心して子供を学校へやれず社会の不安の元になる」
火薬類取締法違反でも起訴されていたがこちらは無罪判決だった。
※控訴せずに確定した。
【福島民友58.10.4】【福島民報59.4.29】

⑩日立タクシー運転手強殺M(16)

昭和39年1月19日、茨城県日立市にてタクシー運転手が殺害されて売上金が奪われる事件が発生し犯人が逃走した。
聞き込みや現場の状況から2~3人の不良グループの仕業と目星をつけ、若い三人組が水戸から東京までタクシーで移動したとの情報から東京都北区の喫茶店を突き止め、ここを溜まり場にしていた不良グループの主犯格M(16)の身柄を確保。共犯のS(16)は自首、もう一人の共犯Y(16)は自宅にて逮捕された。
Sの女友達に会いに行くのにタクシーに乗ったが金がなくなり強盗して金を奪おうと計画し、Mが持っていた拳銃で背後から発射、怯まずに掴みかかってきた運転手をSがスパナで殴打し殺害。金品を奪い死体を引きずりだし、日立から水戸まで奪ったタクシーで行き車を乗り捨て水戸から東京まで別のタクシーで逃げた。
昭和40年7月2日水戸地裁
吉田裁判長「30年の裁判官生活で求刑より重い判決を言い渡すのは初めてだ。成人なら死刑もやむを得ない」
主犯Mは死刑相当の無期懲役(求刑懲役15年)
腕を組み顔色一つ変えずに判決を聞いていた。
Sは5年以上8年以下の不定期刑
Yは5年以上8年以下の不定期刑
【読売茨城65.1.21~22】【いはらき65.7.3】

住吉木材会社夜警員強殺(17)

※リンク先参照

⑫静岡警察官殺害事件T石(16)

昭和43年7月7日朝、静岡市城東町で自転車で警らから帰る途中のS巡査が軽四トラックに轢かれて瀕死の重傷を負った。拳銃を奪われトラックは乗り捨てられていたが、トラックは盗難車で目撃情報から若い男のモンタージュが作成された。
モンタージュの反響から似た男の情報が約70人寄せられたが、願い虚しくS巡査は事件から3日後に息を引き取った。
寄せられた情報を一件ずつあたり、その努力が実り事件から10日後の16日未明に犯人が検挙された。
検挙されたのはT石(16)でまだあどけなさが残る面持ちで、事件の前日に給油した際に車が故障しスタンドの店員らと約1時間やり取りした事でこの店員らがはっきりと覚えていた。T石はガンマニアで事件後に奪った拳銃を見せびらかしたりしていた。
当時は空前のモデルガンブームで専門店の客の7割が中学生という背景もあった。
昭和44年5月16日静岡地裁
「被告人には殆ど反省の色も見られずに死刑を言い渡さなければならないが少年であるため無期懲役を言い渡す」T石は薄ら笑いを浮かべ判決を聞いていた。
※控訴しないで確定したと思われる
【静岡68.7.8】【読売静岡68.7.16夕】
【読売静岡68.7.17】【静岡69.5.17】

⑬106号混血少年連続殺人事件S藤(16)

有名な事件なので簡単にまとめる。
昭和41年12月13日
愛知県豊橋市で妊娠中の女性を殺害し現金を奪う
同年12月27日
千葉県我孫子市で主婦を殺害し現金を奪う
昭和42年1月16日
山梨県甲府市で女性を殺害し現金を奪う
広域重要指定の106号に指定
同年の1月23日の指定された当日に少年S(16)を逮捕
昭和44年9月9日千葉地裁松戸支部
死刑相当無期懲役判決(同求刑)にSはふてぶてしく笑う
求刑死刑という誤情報が散見されるので注意
【読売中京66.12.14】【読売66.12.28】
【読売67.1.17】【読売67.1.24】【読売千葉71.9.10】

⑭高月老夫婦強殺事件(17)

昭和53年7月7日未明、滋賀県伊香郡高月町で老夫婦が数十ヶ所の切り傷、刺し傷がある状態で死亡しているのが発見された。前日には初孫と会い、事件当日は友人と鮎釣りに行く約束をしていた充実した老後を無惨にも引き裂いた犯人が岐阜で検挙されたのは事件から約3ヶ月後の10月1日だった。
逮捕されたのは少年で17歳、盗み目的で侵入したが気づかれたために持っていたナイフで殺害した。
現場には複数の遺留品があり若い男の犯行と目星をつけていたが、岐阜で売りに出されていたチス(石を加工する工具)から足がついた。また犯行に使われたナイフも高時川から発見された。
昭和54年7月5日大津地裁
死刑をもって処断すべきだが少年法により無期懲役にする。」
少年が中学生のころ父親の交通事故で母親が看病に付きっきりになったあたりから生活が乱れ、成績も下がり学校にも行かなくなり、無口でおとなしく孤独感からSFや犯罪小説を読み耽る日々を送っていた。中退後は工場で働き、犯行後にはバイクを買い別の鉄工所でアルバイトをしていた。追われる日々のことをスリルを味わうかのようにノートに書いている。
以下発見されたノートに書いてあったこと。
「警察が来るとすれば足取り捜査だ」
「腕の傷で医者にかかったが県外だからわからない」
「もし僕が取り調べられるとしたら◯日頃だろう」
「警察に逮捕されるようなことになれば自殺する」
地図には赤丸がつけられていて、捜査陣を挑発しているかのようだった。
※控訴の有無は不明
【読売滋賀78.7.8】【滋賀日日78.10.2】
【京都滋賀版79.7.6】【アサヒ芸能78.10.19】

⑮入間母娘強盗殺傷事件(16)

昭和55年3月7日の早朝、埼玉県入間市で母子家庭の母娘が何者かに刃物で切りつけられて母(45)が死亡し、娘(15)が重傷を負う事件が発生した。
室内は物色された跡もあり、現場付近では体操着姿の若い男の目撃情報があり強盗殺人事件として捜査が開始され同月31日に近所に住む非行少年(16)が逮捕された。
少年はシンナー乱用者で重傷を負った娘の同級生の兄で遊ぶ金ほしさの犯行だった。事件後に血のついた衣類を脱ぎ捨て凶器とともに川に投げ捨て、そのまま自宅に戻っていた。凶器と靴下が供述通りに発見された。
この少年も家庭環境が複雑で6年前に離婚で母親とは離別し、父と妹の三人暮らしで高校は二ヶ月で中退し父親も愛人宅に転がり込み、窃盗、シンナー、喫煙などの非行を繰り返していた。
昭和56年1月16日浦和地裁川越支部
「死刑をもって罪を償うべきだが少年法により無期懲役を言い渡す」
少年は重傷を負った娘に乱暴しようとした件でも未遂で起訴されている。
※控訴の有無は不明
この年代は少年のシンナー乱用が社会問題になっていた。埼玉県内だけでも8千人以上が補導されるなど少年犯罪が問題化していた。少年補導員制度がスタートした年でもある。
【読売埼玉80.3.8】【埼玉80.4.1】【埼玉81.1.17】

⑯名古屋アベック殺害事件(17)

※超有名な事件なので割愛

金沢夫婦強殺事件O.T(17)

※リンク先の⑦を参照

ここで紹介した事件が全てではなく漏れがある可能性もあるが、「少年法があったから年齢により死刑に出来なかった」事件は2004年の金沢の事件以降は発生していない。少年法というよりは殺人罪の量刑相場の問題だと思うのだが…


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