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⑩ 情交を装い女性を殺害 斎藤守(19)

生い立ちと犯行動機

斎藤守(犯行時19)は農家に生まれ兄と妹二人がいる。家庭は中流以上。中学校卒業後は地元熊本で建築会社の現場監督を1年7ヶ月勤め、辞めたあとは野菜の仲介業などをしていた。満州から伯父が引揚げ仕送りをしていた金を母親に返済するように催促してたことがブローカー業を始めた理由だが商売がうまくいかずに借金が増え、期日までに八千円を返済しなければならなくなった。
そこで砂糖を買付けて売れば利益になると考え知人の女性(31)を誘ったが、そもそも斎藤は買付けの資金を調達出来ず、ならば女性を殺害して買い付け金を奪う方が早いと考えて犯行を思い立った
【刑資56上】【朝日熊本47.8.31】

事件内容

昭和22年8月27日に知人女性と自転車で買付けに出発し、途中休憩の際に(熊本県宇土郡三角町)女性のハンドバッグの中の1万円を確認し、雑木林の方へ誘い情交を求め、女性が応じ仰向けになった所を忍ばせていた小刀で刺し逃げる女性を追いかけ今度は匕首で何度も刺し、最後は人の頭より大きい石を頭部に落とし殺害し、現金を奪い逃走した【刑資56上】
(この女性は夫が戦死していて、事件時の情夫は斎藤守とは従兄で妊娠中だった)
【熊本日日昭和22年8月29日】

逮捕と新聞報道

『情交を装い刺す。逃げるのをおいすがり最後の止め』斎藤守は聞き込み調査から被害者の知人でヤミ市にも出入りしていた事から、有力容疑者として捜査開始から三日後の8月30日にあっさり逮捕され、後悔し涙ながらに自供した。
因みにこの時の紙面では『斎藤護(20)』となっている。
この時代は数え年で表記するのがならわし
翌月1日に実地検証が行われた。
【熊本日日47.8.31】【朝日熊本47.8.31】
【朝日熊本47.9.2】

熊本日日47.8.31

裁判と死刑確定

昭和22年11月24日 熊本地裁 死刑
昭和23年10月12日 福岡高裁 死刑
昭和24年4月20日 上告取下げで死刑確定
斎藤は一審判決後に即日控訴しているが恩赦目当てなのだろうか?上告は取り下げている。
【熊本日日昭和22年11月25日】【刑集37巻6号】
【朝日熊本昭和22年11月25日】
一審の朝日新聞では佐藤健(仮名)で三回目の公判で死刑の言い渡しと報道

※斎藤守の死刑執行日は不明です。

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