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⓯少年二人が死刑判決の長崎の事件のK(18)とM(19)

戦後に『複数の少年に死刑判決』といえば、大阪、愛知、岐阜連続リンチ殺人事件が有名で控訴審で三人の少年に死刑判決が下され、2011年3月に上告が棄却され確定した例があるが、それ以前に戦後、四つの事件で複数の少年に死刑が宣告された例がある。
今回はそのうちの一つを書き記す。

長崎で発生した少年による強盗殺人事件

昭和34年2月25日の午前11時頃に福岡市内でパトロール中の警察官が手に包帯を巻いた不審な二人組の少年を発見し職務質問した所、現金3万3千円と質札11枚を持っていた。問い詰めた所あっさりと長崎で人を殺して金を奪ったことを白状したために緊急逮捕となった。
二人は同日の深夜2~3時頃に長崎市加治屋町にある家具店(1~2階が家具置き場で3階に居住)に侵入。室内を物色中にこの家に住む就寝中の50代の夫婦に気づかれたためにとっさに馬乗りになり、首を絞めたあとに布団で縛り上げて身動きできなくしてから手斧やノミで頭部や背中をメッタ刺しにし、凶器を便所内に捨てて金品を奪い逃走した。
妻がまもなく死亡し、主人は一命は取り止めたが脳に重大な損傷を受けその後に後遺症により精神異常になった。
少年二人は午前6時15分長崎発の快速列車に飛び乗り、福岡に逃走し市内を徘徊している所を上記の通りに職務質問を受けご用となった。

二人の少年

逮捕された少年の一人M(19)は「自分が貰い子であることをずっと僻み、世の中が嫌になり死ぬ前に安芸の宮島を一度見たかった」と供述し、その旅費目当ての犯行だったという何とも言えない動機だった。
共犯のK(18)は長崎生まれでM(19)とは高校時代の友人で、襲われた家具店の元店員だった。二人は共に喧嘩を理由に高校を退学していた。

裁判

強盗殺人1、同未遂
昭和34年9月に長崎地裁で二人に死刑が求刑された。
昭和36年12月16日同地裁
「手口が極めて残忍で計画的」として犯行時少年だった二人に求刑通りの死刑判決が下された。弁護側が量刑不当を理由に控訴した(この時代は強殺1でも死刑確定の例は多数あり)
長崎地裁で少年に死刑判決が下された唯一の事件
昭和37年10月29日福岡高裁
「当時は未成年で思慮分別が浅い。始めから殺害の意図はなかった」として一審の死刑判決が破棄され二人に無期懲役の判決が言い渡された。
※上告せずに確定したと思われます。

最初に記した通り、戦後に複数の少年に死刑が下され『確定した』例は大阪、愛知、岐阜連続リンチ殺人事件だけだが、死刑を宣告された事例は他にもある。

【長崎時事新聞59.2.26、61.12.17、62.10.30】



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