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心神喪失の拳銃少年

事件の概要
時は昭和の中期、場所は京都
警官が刺されて拳銃を奪われ、その拳銃で主婦二名が撃たれて、そのうち一名が死亡するという大きな事件が発生した。
警官が襲われたのが18時20分、20分後に食事中に家に上がり込んできた男に胸を撃たれた主婦が即死
更にそこから15分後に別の主婦も食事中に腹を銃撃され重傷。最初に刺された警察官も脊髄を損傷し重体だった。
事件は二番目の犯行を目撃した人の情報で少年と判明しすぐに手配され非常警戒となった。
少年は第二現場の亡くなった主婦の甥で、第三現場の主婦とは同居人の関係であった。
未成年だったがまだ三発の弾が残っている可能性もあり、顔写真が公開され、新聞には自首を呼び掛ける母親の手記も掲載された。
少年は近くの工場で一晩身を隠し、翌日にふらふらと歩いている所を職務質問されてあっさり認めて逮捕された。
事件は24時間で早期に解決したが、逮捕された少年は日頃からノイローゼでここから長い日が始まった。

少年
逮捕された少年は日頃から異常行動などがあり入退院も繰り返していた。
この少年は小学生時代は友人も多く、至って普通の生活をしていたが、中学に上がると二年生の時には無気力な状態が見受けられ、両親や叔父や叔母と倉庫の2階のベニヤで仕切った居住スペースで共同生活をしていた。
テレビの音量などで口論になる事もあり、親や教師に反抗的な態度で補導歴もあるが、精神異常などは見られなかった。
中学卒業後に見習い工をしながら、定時制高校に通っていたが、この頃から「働きたくない」など鬱ぎがちになり、高校も中退し仕事も何をやっても長続きせずに、引きこもりがちになった。
「人生が嫌になった。何故働かないといけないのか?」と家出を繰り返し、睡眠薬を大量に飲み病院に担ぎ込まれるなども数回あり、独り言や空笑など異常性も見られた。
両親は再入院に向けて動いていたが、そんな矢先に事件は起こってしまった。

進まない公判
少年は事件から4ヶ月後には起訴された。鑑定留置されたが、拘禁による影響もあり異常行動はエスカレートし、便器で逆立ちや壁に敬礼、服を破り全裸になるなどが見られ処置入院も複数の病院を転院した。
何度も精神鑑定が行われ、事件から20年後にはようやく処置入院も解除され集団外勤作業(ゴルフ場のボール拾いなど)にも出れるようになった。弟の所に外泊も出来るようになったが、この頃に少年の両親は相次いで他界している。
停止していた公判が再開されたのは起訴からなんと30年後、公判停止の手続きから26年後のことであった。
検察の求刑は懲役13年、弁護側は手続きに問題ありと主張し免訴が相当とした。
判決は事件当時は心神喪失状態だったと認定され無罪が言い渡された。

(同年代の類似の事件を見ても精神疾患がなく責任能力があれば死刑事件だったと思われます)

裁判長「事件は関係者の人生を大きく暗転させた。今も遺族の心は癒されていない。運命として納得するには余りにも酷だ。日本の刑事裁判史上空前絶後の長期裁判となり関係者の冥福を祈りたい

※検察が控訴せずに確定したと思われます。また無罪判決が出たこと、当時少年だった男性はまだ存命の可能性があることを理由に具体的な場所や日付や年齢等は記載しませんでした。

参考: 【京都新聞】【判例時報】
協力:折原臨也リサーチエージェンシー

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