グレースーツの君(きみ)

社会人になって1年後、運よく仕事で結果を残せたので東京支店に異動になった。ど田舎からの上京だったので、何かと心配になったりするのかと思ったけど、そんなにドキドキすることもなくすんなり上京した。
(ちなみに不動産も間取りだけ見て、内覧することなく決めた)

当時勤めていた会社はかなりの体育会系で、17人いた同期は私が転勤する頃には4人になっていた。男性優位な会社だったので女性の営業が少なく、60人いる営業マンの中で女性は4人だけだった。
(全てのハラスメントが毎秒単位で起こっていたので、女性が少ないのは当たり前である)

しかし、そんな中でも一番の売上実績を持っていたのは、東京支店の女性営業・Hさんであった。
かなり頭のキレる人で、主観を入れない働きぶりはそれはもう無駄がなくて完璧だった。

女性同士の方がいいだろうという理由で、Hさんは私の教育係になった。彼女は案件をいくつも抱えていたので、そのサポートと将来的には彼女の顧客を少し引き継いで担当する流れになっていた。

幸いにも仕事のスタイルが似ていて、お互いとても楽だった。彼女が支店長に「この子は無駄がないし、ちゃんと話を聞いてある程度のところまで指示がなくてもやってくれるから、すごく優秀です。」と言ってくれたのはとても嬉しかった。

私はHさんを先輩として、とても頼りにしていた。
しかし、なぜか彼女に言いようのない違和感を覚えていたのだ。

最初の違和感は、あまりにも他の社員の仕事を把握しすぎているところだった。
互いに見られるようにGoogleカレンダーに訪問場所やメモなどを共有してはいるが、把握範囲が広すぎるのだ。

例えば、外回りが終わってオフィスで事務整理しているとHさんが突然、斜め前の別の営業に「そういえば、××商事に電話したの?」と言った。その人は「あぁ忘れてた。かけるか〜」と言って電話をかけた。

それがすごく奇妙に見えて思わず「他の人の予定も把握しているんですか?」と聞いてしまった。すると彼女は「まぁね。私がいないと何もできない男が多いのよ。」と言った。

な、なんだって〜!!!!!!!

私はびっくりして「(ハッ!漏らしたかも!?)」と思うほど衝撃だった。
(もちろん、ノーお漏らし)

一気に幻滅した。私がいないと何もできないって….
それは傲慢ではないか…….?と

その日を境に色々と分かったのだが、確かにHさんは優秀だけど、あまりにも周りの社員へのサポートが手厚すぎたのだ。
優秀なのに毎回遅くまで残っていたのは、他人の仕事をやってあげていたからだったし、またそれだけではなく、いつも寝過ごして電車の乗り換え駅を過ぎてしまう社員のために全く違う路線なのに同じ電車に乗って起こしてあげたりしていたことが分かった。

異常、異常すぎる……

そんなこともあり私は彼女の仕事スタイルだけを尊敬し、それ以外では絶対に関わらないように心がけた。

ただ虚しいことに、彼女が自発的に他の人をサポートをしても、頼まれてやっている訳ではないのでみんなからの感謝はかなり薄かった。
「なんかやってくれてありがとう!」それ以上でも以下でもないのである。
(側から見ていて少し切なかった)

あまりにもHさんの説明だけで文章を書いてしまったが、ここからが本題です。

ふぅ…

そんなHさんといい感じの距離を保ちつつ働くこと3ヶ月、私はあることに気づいた。

東京支店に来た時から、彼女のスーツが一回も変わっていないことに気づいたのだ。出会った時から着ているオ◯ヒカのグレースーツ。それしか見たことがなかった。
その時は「(同じスーツを何着も持っているのかな?)」と無理やり納得したが、それにしても…と思った。

もう気になってしまったので、事務作業中にやんわりと「今度新しいスーツを買おうと思っているんですけど、もう黒・紺・グレー・茶を持っているので何色買えばいいのか分からんのですよ〜」と話しかけた。

「(この話の流れで最終的にこのスーツ以外持っているのか聞き出したい…ッ!)」そう思っていたのだが彼女の返答は

「そうね〜私は基本、紺しか着ないから色変えなくてもいいんじゃない?今日はたまたまグレーだけど、紺でもうっすら柄が違うやつとかで選んだりしてるよ!」と言ったのだ……….

私は絶句してしまった。

なぜなら私の勘違いでもなく、彼女は絶対にこれまで紺のスーツなんて着たことがないからだ。
たまたまグレーなんてもんじゃない、毎日グレースーツだったのだ。

※一瞬、色盲?と思ったが特殊な業界なので入社試験で色覚異常・色覚検査が行われているのでそれはない。

「どうした?」

あまりの衝撃で頭の中で色々考え込んでしまったため、心配された。
心配されるのは…俺じゃない──

「あ、すみません。一瞬耳鳴りが…(雑な言い訳)ってか紺のスーツって持ってましたっけ?」

自分の記憶が正常かどうか確かめるために、彼女に問う。

しかし、彼女はまっすぐな目で「昨日着てたじゃんw!」と言ってきた。

あの時の奇妙な感覚は今でも忘れられない。
でもこれ以上聞き出しても変な空気にしかならないと気づき、「あれ〜そうでしたかね!」と受け入れ話をやんわり終わらせた。

その日の仕事おわりに、あまりにも感情が乱れていたので思わず彼女がいないタイミングで彼女の向かいに座っている男性社員に「Hさんっていつもグレースーツ着てますよね?」と聞いた。しかしその社員は「そうだっけ?グレー?わかんないけど、毎日スーツではあるよね!」と言った。

毎日スーツなのは当たり前だろ!!そこじゃねぇよ!と思ってしまった。

その後もやんわり色んな人に聞いたが、みんな覚えていなかった。
こうなってくると自分の記憶に不安を抱いてしまう。泣けちゃう。と落ち込んだ。たかがスーツの色なのに…

そうして私は、Hさんのスーツのことは意識せずに、仕事に集中しようとその違和感に蓋をしたのだった。

それから2ヶ月ほどがたち、いつも通り働いて、その日は直帰をしようと大江戸線に乗って新宿まで向かっていると電車が緊急停止してしまった。18時台の電車だったのでかなり混んでいて最終的には代々木の手前で下ろされて代々木駅まで線路を歩いて移動した。

代々木駅に着いたタイミングで東京支店のグループラインに「大江戸線、緊急停止で今動いてません!大江戸線利用される方は他の路線が早いかもです!」とメッセージを送った。

みんなから「ありがとう!」「大丈夫だった?」「気をつけてね!」といった反応がくる中、Hさんからのメッセージは

「私も今、東西線でもらいゲロされちゃいました(涙)新しいスーツだったのに最悪です(泣)」と書いてあった。

もちろん、朝見たかぎりいつものグレースーツだった。
せっかく封印していたのに….また思い出してしまった。
しかし、さすがにゲロがついたら新しいスーツになるだろう!と思ってしまった。もうグレー以外のスーツが見れればそれでよかったのだ。

次の日、出社するといつもと変わらないグレースーツだった。
同じ皺・薄いけどわかる小さなシミ、昨日とまったく同じだった。

でもみんなは気づかない。気づかないまま彼女を労っている。

怖い…怖すぎる…
営業成績1位を取ると人は狂うのか?と思った。
さすがにその日はHさんと話す気が起きず、黙々と仕事を済ませた。

しかし、その日は仕事終わりに、いつもはあまり交流のない事務員(部署は同じだけどフロアが違う)のみんなと飲み会があり、複雑な思いを持ちつつ、Hさんと会場に向かった。
ワイワイガヤガヤと騒いでいると当然席も変わるので、いつしか私はいつもはあまり交流のない女性の業務陣と話をしていた。

20代〜50代ぐらいの女性ら4人と私で他愛のない話をしていると、そのうちの一人が「ねぇ見て、Hさん、また”お母さん”やってる。」とHさんを指差した。

”お母さん”やっている。言い得て妙だ。
振り返ると飲みすぎた上司のジャケットを脱がしてハンガーにかけたり、水を頼んだりしていた。

私は「まぁHさんは気配りができるから、気になったらやってあげたいんじゃないすかね。」と言った。

なんとなく、業務の人たちがHさんのことをよく思っていないのが分かった。私は嫌いとかそういうのではなく、もう怖いのであまり話題に乗りたくなかった。

話を変えようと、頭で話題を作り出していると誰かが言った。

「Hさん、またあのスーツ。もう破れるまで着るのかな?」

私はハッとして、みんなの顔を見た。

「さすらいさんもさすがに気づくよね?彼女、ずーっと同じスーツなんよ。同じやつを何着とかじゃなく、アレだけ。」

私は驚いて、これまでの経緯を説明した。

そして、みんな呆れたように「1,2ヶ月くらいで気づいたんだよね。同じだな〜って。でも私たちもさすらいさんと一緒。男性社員はそんなところ見てないし、気にもしていないし、当の本人はグレーなんてほとんど着ません!だもんね。怖いよね。」

やはり自分の記憶は間違いではなかったのだ。

私はとにかく安堵した。もう彼女がグレースーツしか着ないのであれば全然それでいいのだ。私は私の記憶が間違いじゃないことを知れただけでハピハピハピハピハピーなのだ。

ちなみに彼女はその後もスーツ以外に不可解な言動(その場にいなかったのに居たと言ったり。参加していない会社のイベントで怪我をしたなど言ったり)などが目立ったが、私が退職するまで、男性社員は気づかなかったし、成績はずっとHさんが1位だった。

彼女が退職し3年ほど経ったので、時効かなと思い書いたが、怖すぎる。
つかなくてもいい嘘、というわけでもないし。
なんだったんだろうと思うけど、理解することは私にはできないだろう。
(彼女がグレースーツ以外を着ないと地球が滅びるとかそういうのになったらめちゃくちゃ考えます!)

私のことは最後まで可愛がってくれて感謝はしているが、その感謝を超える人間としての怖さがHさんにはありました。
これまでの社会人生活で色んな人を見てきましたが、トップレベルで怖かったです。

それでは、唄います。

あぁ、グレースーツのきみよ
なぜそんなにも紺を推していると思われたいのか
きみを狂わせている色は結局何色だったのか…

あと今思い出したけど、Hさん!原田マハの本貸したまま返してもらってないです!あっでも大丈夫!あげますんで!!はい!お元気で!


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