種と糸

(千秋と椎)



「苗を買いたい」と椎が言うので、千秋が車を出して少し遠い種苗店へ行くことになった。助手席に座る椎は、こころなしかいつもより楽しそうにしている。
 庭は、どんどん息をふきかえしていく。毎日の変化は微々たるもので目にはわからないのに、季節の変わり目や雨が続いてからの快晴の日など、はっとするほどあざやかに生き生きしていることに気付くのだ。葉っぱの一枚一枚にまで生命力がみなぎっているのがわかる。
 玄関先に並べられたプランターも増えてきたので、今日ついでに木材を買って、棚を作ったら椎が喜ぶかもしれない。
 今日の出がけにも椎は、プランターに水をやり、枯れた葉っぱや萎んだ花びらをぷちぷち摘んで丹精していた。
「なんの苗買うの?」
「決めてないけど、前に駄目になってたつつじ抜いたところが寂しいから、そこに何か植えたい」
「ああ……」
 つつじの木を抜いたのは、おととし、椎があの庭の世話をしはじめてからすぐのことだった。千秋の腰ほどの背丈だったが、ほんの少しスコップを入れただけでいとも容易く抜けてしまったその木は、完全に枯れてすかすかしていたのを思い出す。祖母がいたころには毎年たくさんの花をつけ、よく蜜を吸っていたのに。
「千秋は何か、好きな木ある?」
 横からじっと視線を向けられ、千秋は「うーん」と首を傾げる。
「またつつじじゃ駄目なの?」
「つつじは他にも二本あるから」
「え、そうだっけ……じゃあ違うのがいいな。俺、正直全然わかんないからさ、椎と一緒に見て決める」
「わかった」
 植物についてまったく知識のない千秋は、庭のことはすべて椎に任せている。
 きれいになった庭を愛でるのはおいしいとこ取りみたいで申し訳ないなとも思っているが、本人も自分のペースで自由に弄るのが好きだからと気にしていないようだった。
 どうしても自分ひとりでは手が足りない力仕事でもなければ、手伝ってほしいとは思っていないらしい。
「元・祖母の庭」は、どんどん「椎の庭」に生まれ変わっていく。それはすこしも寂しいことじゃなく、きっと祖母が生きていたら、とても喜んでいただろうと思う。晩年は体のあちこちが弱ったと言って、荒れゆく庭を悲しそうに眺めているばかりだったから。
 
 農家が営んでいるという種苗店に到着すると、駐車場の一角からすでにたくさんの苗が並べられていた。思っていたよりずっと大勢の客で賑わっている。
「先に木のほう見てくる。千秋も来て」
「うん」
 野菜の苗、花の苗、こんなに種類があるのかと驚くほど多くの苗が、黒いポットに入って整然と売られている。そこにつけられた値段が高いのか安いのか、千秋にはまったくわからない。奥の方へ進んで行くと、ほかより背の高い苗木が並んでいた。
「めちゃくちゃ種類あるじゃん。こっから選ぶってこと? 椎は何か、欲しいのないの」
 ゆるゆると首を振り、「低木がいい、とは思ってる」とだけ答える。
 低木と言われても、ここにある苗木はどれも膝丈ほどの若い苗木ばかりで、成長したらどのくらいの高さになるのかなんて千秋にはさっぱりわからない。
 それで結局、ふたりで一周して欲しいものを探すことになった。
 歩いているうち、果物の苗木がたくさんあるところへ進んできていたらしい。周囲にはりんごやぶどう、さくらんぼと注釈の書かれた木が増え、それを見ているとわくわくした。たとえばりんごの木が庭にあったら、秋になるたびりんごが収穫できるのかと思うと、椎が丹精している家庭菜園とはまた違った楽しみが出来る。
「椎、椎、なんか実のなるやつがいいな」
「このあたり、そういう木ばかりだね。さくらんぼ、ぶどう、プルーン、プラム、りんご……」
「そうそう、そういうの。畑とはまた別じゃん。この中に低木ってある?」
 椎は周囲を見回して少し考えてから、「どれも大きくなるよ」と答える。
「そっかー……」
「べつに大きくなるならなるでいいけど。りんごにする?」
「んー、よく考えたらでかい木があると落ち葉で大変かな」
 それに椎は低木がいい、と言っていた。椎の庭なのに、その希望を引っ込めさせてまで欲しいとは思わない。
「いや、いい。もうちょい探そう」
 しかしそのまま練り歩いても、椎は首をかしげるばかりだった。
「もう一回むこう見てくる」
「うん」
 むこうってどこだろな、と思いつつ頷いてついていくと、椎が戻ってきたのは果樹のコーナーだった。
「りんごかな……」
 と呟いて、椎は紅玉の木に触れる。と、従業員が近寄ってきて、「なにかお悩みですか」と柔和に尋ねられた。
「果物で、低木ってあります?」
 人見知りの椎が若干緊張するのがわかったので、かわりに千秋が答える。従業員は、「もちろん」と笑みを深めて案内してくれる。
「僕のおすすめはブルーベリーです。低木ですが、結実するようになるとたくさん収穫できますよ。こちらは甘みの強い品種なので、生で食べるのはもちろん、干してもジャムにしてもおいしいです」
「へえ……椎、ブルーベリー好き?」
 かたわらで話を聞いていた椎に尋ねると、「好き」と頷いた。
「俺も好き。いいな、これにしない?」
「そうする」

 並んでいた中でもとりわけ元気な株を選んでもらい、丁寧に包んでもらって車へはこぶ。まだ小さな苗木なので、トランクではなく後部座席の足元へそっと積んだ。
 さきほどの店員によれば、植えてから三年ほどで結実するようになり、実がなればボウル一杯にできるらしい。
「できたらジャムにしよう。それと果実酒も漬けてみよう。濃いシロップも作って、夏はかき氷にかけて食べる。あとは何だろうな」
 運転席に乗り込みながら張り切って言うと、椎は笑った。
「三年後まで出来ないのに、気の長い話だね」
「すぐだよ」
「うん。楽しみ」
 三年後にももちろん隣にいる予定だけれど、ひとまず今日のところはスーパーに寄り、真っ赤ないちごをお土産に買って帰路についた。

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