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好きな文章・嫌いな文章

サティは何かを読む時
書いているその人を思い浮かべる。
実際その文章というのは
実在する人間が書いているのであり
誰かの声だ。

会ったことのない人物を思い浮かべ
さしで向き合いその声に耳を傾ける。
そしてその人の印象を受けるのだ。


サティ的に一番上等な文章は
書き手の血肉が生々しく躍動し
読み手であるサティの中心にグッと
迫ってくる文章だ。

思わず涙がグワッと湧いてくることもあるし
ドキドキ心臓が高鳴り
呼吸が苦しくなることもあるし
思わず握りこぶしを握り
ガッツポーズをとって
しまいには
拍手したくなることもある。


好きな文章に上手い下手は
あまり関係ない。
それは声なのだから
アナウンサーみたいに正しい発音で
流暢に話されても
面白くないものは面白くない。
お前を見せろよ!
サティはシラケてしまう。


子供の歌声でも
おばあちゃんの歌声でも
下手でも
音痴でも
心にグッとくる歌声というものがある。
聴き手は『いいぞ!その調子!』
と息をのみ前のめりになる。
歌い手は今歌っている
一生懸命熱唱している
一生懸命
それは誰の心をも打つ迫力なのだ。


正しく歌う
正しく書くなんてどうでもいい。
正しくしようとしている
その勢いのなさは
受け手に伝わり
テンションは下がる。

あぁ、そうですか。
なるほど、そうですか。。
ふーん、そうなんだー
。。ってな感じ(笑)
(説明書や但し書きならそれでもいいが。。)


サティは何を味わいたくて
文章を読んでいるかというと
それは他でもない
ただ
感動したいのだ。


人間にはいろんな感情があり
それぞれがスパークしたくて
ウズウズしている。


日常のなかの漠とした感情を
文字にして声にして聴く
その感動はたまらない!


文章というものは
音でリズムで聴いているし
眼でも追っている。
時に力ある文章に触れると
その全てが一体となる。

書き手と読み手が一つになる。
同じ景色を眺めている。
そんな不思議な恍惚感が
文章にはあるのだ。


どんな場所でどんな格好で
それを書いているのか
書きながらその人物は
何を思っているのか
手を休めホッと息をついた時
興奮しているか冷めているか
時にバタンと閉じ
あるいはペンを放り投げ
ダメだこりゃ
なんて呟きすら聴こえてくる。

サティはその書き手に興味があるから
信頼した支持する書き手の調子が悪いと
疲れた友達を見るようで
『大丈夫、そんな日もある。。
いわんとすることは伝わっている』
などと心で呟いている(笑)
パーフェクトな人間などどこにもいない。
声の調子の悪い日も人間だからある。


文章が声なのだとしたら
どんどん発声した方が
いい文章になる。
歌を歌うとわかるように
その人それぞれの個性や癖がある。

読み手はそれを好みで選べばいいのだが
書き手の方は
嫌というほど自分の癖が目に付くだろう。
だけど一生懸命書けばいいんだ。
自分を精一杯出せばいいんだ。


私の好きな文章は
鍛え抜かれた発声のしっかりした
文章ではなく
粗削りでも自分の見ている世界を
誰に分かってもらえるともなく
叫ばずにはいられなかったという
小さなライヴハウスでたまたま見つけた
田舎から出て来て2年目位の
若者みたいな文章が好きだー!!(笑)





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最後まで読んでくれてありがとう(*^^*)♪

またサティに会いに来てねー(^з^)~.:*:・'°☆



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