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よろこびは心の中に

サティはお兄ちゃんの飲食店で
アルバイトさせてもらっていた時
介護会社からの依頼で
あるおじさんの家に
お昼のランチを届けに行っていた。

ブルーのペンキを塗りたくられた
アパートの左から3番目
表札は出ていないが
よく見ると鉛筆で名前が書いてある
お兄ちゃんから聞いていた通り
本当に鍵は開いていた。

『こんにちは』
恐る恐る中に入ると
六畳程の部屋の右奥にベッドがあり
仰向けで一人のおじさんが天井をみながら
『おーありがとーう』
と返事がきた。

首を上げる事も出来ない
全身動かす事も出来ない
不自由な身体のようだった。

週に3回料理を運んだ。
玄関先に置いたランチを
正午にヘルパーさんがやって来て
おじさんに食事介助しているらしい。


いつも変わらぬ風景だった。
おじさんの部屋に料理を届けに行った帰り道
サティはいつも心の中で思っていた。

『おじさん退屈だろうな。。
毎日毎日来る日も来る日も
あの部屋の片隅のベッドに仰向けに寝て
毎日毎日来る日も来る日も
あの白い天井を眺めている。
なんだか可哀想だな。。。』

まだおじいちゃんと呼ぶには若い
おじさんの境遇に想いを馳せていた。


そんなある日
おじさんの部屋に入った時
サティはびっくりした。
おじさんはとても楽しそうに
歌を歌っていた。
それはそれは
明るい声を上げながら
楽しそうな心躍る様子が
伝わってきた。
きっとおじさんにとって
いい思い出のある歌なのだろう。

サティが入ったことに気づき
おじさんはいつもの調子で
『おーありがとーう』
と言った。


サティはその日の帰り道


おじさんは全然可哀想なんかじゃない


と思った。


たとえ身体は不自由でも
心や精神は
自由なのだ。。。


本当は誰も

可哀想なんかじゃない


本当は誰も

可哀想だなんて思われたくない


その身に成り代わったこともないくせに


まるで分かったつもりになって・・・

まるで知ってるつもりになって・・・


サティは自分の思い上がりの偏見を
とても恥ずかしく思った。


可哀想はまるで不幸のふりかけ


不幸のふりかけをまぶし込み
憐れな醜い泥団子みたいな握り飯を
人は勝手に作り上げる。


本当はピカピカの白米なのに・・・

本当は美味しそうな白米なのに・・・


そんな不幸なふりかけをふりかけて

不味そうな握り飯を作り上げる。

みんなそれぞれ

それぞれの条件の中

それぞれみんな生きている。

その人にしか

見えない景色の中で

その人の人生を生きている。

遠くで火事を見ている野次馬

人を見下し嘲笑う輩

人の世は時に冷たく

人の世は時に残酷だ。

何が幸せで

何が不幸かなんて

本当は誰も知らないのに・・・

何が幸せで

何が不幸かなんて

本当は誰にも分からないのに・・・

人の幸せや不幸は。。。

。。。社会的概念ではなく

それは。。。

。。。内的な認識。。。


人は他人の眼の中に生きるのではなく

自分の人生を生きる

喜怒哀楽は外からやって来ると思いがちだが

本当はそうではない


喜怒哀楽の所在は
心の中

内側に起こる


心に太陽を

唇に歌を


人の心はいつだって自由


心の元気なおじさんに教えられ

サティはまたひとつ
こわいものがなくなった。


よろこびは心の中に・・・


歌は心の中に・・・


人の心や精神は自由


いつだって自由なんだ。






* * * * * * * * * * * * * * * *

最後まで読んでくれてありがとう(*^^*)♪

またサティに会いに来てねー(^з^)~.:*:・'°☆



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