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自律神経失調症と診断された日。

最初に病院で病名をつけられた日について遡ります。細かい年月日がすぐ出てこないので、身バレしない程度で書かせていただきます。

どこまでラインで区切るのか、まだは定まっていないので、わかりづらいかもしれません。こちらはスタートページに設定するので、今後、方針が定まりましたら、編集していきたいと思います。

もともと転職が多く発病前は1年事の延長の契約社員で最長3年でした。3ヶ月退職(試用期間)も数カ所ありました。正社員は半年から2年半くらいでした。2年目がネックだったように思えます。

お気づきの方は、いらっしゃるかもしれません。私の「自律神経失調症」は「適合障害」が根本にあります。(自律神経失調症って結構広い括りのようですね?)

学生時代は、ある程度優等生で過ごせましたが、対人関係は小さい輪の中で過ごしていました。これと言っていじめも受けていません。まあ、バッグを隠されたり暴言を吐かれたのとはありますが、精神的なストレスまでは行きませんでしたので、いじめを受けてた、とは思いませんでした。友達も少人数ですが、いました。

潜在的に社会に馴染めないと燻っていながら、普通の生活が崩れたのは、ある会社で就職した際です。入社した際は、ボーナスや昇給、社員が大人っぽい印象を受け「いい会社に就職できた!」と喜びました。

評価も上がり、2年目で出世もしました。しかし、そこから狂いだしました。後輩になった先輩に足を引っ張られ、短期間の出世だったのでサポートしてくれると言う上司とはすれ違い、日々悪化してきました。

私の知識や体験不足の上、ある意味での中間管理職の立場で疲労していく毎日で、コミニュケーション不足もあり、どう助けを求めていいかもわからず、求めてもタイミングが悪く助けを得られない日々が続きました。

簡単な仕事も出来なくなり、涙が止まらない日が増えていき、聴覚にも異常をきたす状態になりました。

耳鼻科に通い、異常はなくストレス性と診断されました。薬を貰いながら改善をはかりましたが、状態が良くなることはなく、出社が不可能になりました。耳鼻科より紹介状を貰い、心療内科を受診しました。(電話で自分で市で相談しました)

会社を休み、両親に付き添ってもらい初めて心療内科に行った際は、涙が止まらす、それでも状況説明をしました。お薬手帳も持っていきました。(耳鼻科の通院履歴があったので)先生は「会社が休ませてくれないなら緊急入院もできます」と提案頂きました。流石にそこまでは…と私も両親もたじろぎ、「病気ですぐには仕事が出来ないので休職が必要」と診断書を書いていただき、会社側の配慮もあり次の日の勤務後に休職手続きをしに会社に行きました。

直属の上司とその上の上司と面談しました。2対1で、私にはもう恐怖と不安しかなく、ひとまず診断書を提出し1ヶ月の休職願いを申請しました。この時言われた言葉が今でも覚えています。「他の会社でも毎回診断書出していたの?」という言葉です。今回が初めてで、まだこの会社で働きたかったからの対処だったので、今でも心に残るほどショックでした。

休職期間はほぼ何もせずに、一日の大半を寝て過ごしました。先生からもやりたい気持ちが出るまで何もせずに休みなさいという指示でした。治療法は薬剤投与でした。因みに父からの助言で会社に労災の手続きもしてもらいました。

寝て起きてご飯を食べて薬を飲む日々…

それでも1ヶ月が過ぎ、心の中でいくつかの整理をつけて復職しましたが…会社の対応は変わらず、「貴方が休んでいり間に頑張って来た人がいる、だから、特別扱いは出来ない」というニュアンスで伝えられました。会社側は全て私か悪い、ということにされていて、すぐ同じ仕事内容をすることになりました。「特別扱い」とはなんなのか?病気持ちである社員は「差別」するのではなく「区別」して頂きたいと今は思います。

その結果、当たりが強くなり、同僚と仕事の相談をしてても上司からは「余計なことを話してる暇がある立場なのか?」などと言われ、公開叱咤激励という名の公開処刑をされ、会社内で自殺未遂も図り、半年後、退職することになりました。退職電話、書類は郵便、私物の破棄で済ませました。

まあ、役職のない社員からは同情的で、いくつか配慮を頂きました。スマホのデータリセットしたのですが、辞めた後に会いに来てくれた方がいました。1度食事会を開いてくれて、一部の社員さんには挨拶(謝罪)と今後の連絡も取れるようになりました。

3ヶ月の失業期間を利用し、体や精神面を整えながら、次のお仕事を探しました。

次の会社もすぐ見つかりました。まあ、別の意味で、ブラック会社と言えるものでした。ワンマン社長の会社だった、と言って想像してもらえれば、そのままです。ある意味前の会社より酷かったです。

自律神経失調症と診断を受けて、立ち回りを変え、相性の良い先輩もいたおかげで、5年以上務めることが出来ました。辞める時に「何年居たかなぁと数えて、え!そんなに?!」と思うほどの最高記録です。

退職の理由は企業内容が変わってしまい、メンバーも総入れ替えになった事です。新しい風が吹く中、悪しき習慣が全て自分のせいになる傾向が見られ、精神的に追い詰められる未来が見えたので身を引きました。他にも元々あった社長にも問題が更に悪化していき、会社としても危うさを感じ退職する事にしました。新しいメンバーで会社を立て直すのが1番早いかな、と御局様目線では見えたんですよねw

前回とは違い、辞めた理由も自分の意思で決めたと思える事、無理をせず自分をセーブしながら働いたのにも関わらず勤務年数も伸びた事で少しは自信が着きました。

心療内科には今でも通院してます。投薬治療が上手くいってる証拠でもあり、まだ薬を手放せない状況でもあります。今の1番の悩みは、不眠症です。不眠症についてはまた別の記事にでもします。

余談ですが、次の仕事をしている際に、元の会社の上司から連絡があり、「体調はどうだ?良かったらパートで自由に働かないか?」と連絡がありました。丁重に断らせていただきました。ホントに身勝手な上司だなって思いましたね。人手が足りなく背に腹はかえられぬ状態だったのか…こう言った内容のことは意外と多いです。…人材が集まらない育ちづらい業種のせいかもしれません。

更に余談ですが、私がいた時のメンバーはこの数年で皆様退職されました。「あの時がベストメンバーだった」と、その後交流のある社員さんのお話です。因みに仕事を辞めてから、相性の悪い先輩とも仲良くなれました。笑(上下関係がなければ、もとい、持ち上げればすっごい付き合いやすい方でした。博識だし。この方もコミ障傾向ですね〜もったいない!)

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