記録_LI

基礎って何だろう?

お金を頂くと言う事は、何かはっきりとした成果が見えないとならいのですよね?

私は、お金を頂いて子ども達と勉強をしています。
子ども達も保護者の方もお金を払っているから頑張れると言う部分もあるかも知れません。

言葉も数の仕組みも身につけていないと困る事は沢山ありますし、沢山知っていれば楽しくなることも解ります。
その事を、どうやって子どもに伝え、一緒に楽しんで行けば良いのかがずっと課題で、取り組み方法自体良く解りません。

このたし算のやり方が一番良いとか、この文章の書き方が一番良いなどの方法は沢山あるのだとは思うのですが、その事を楽しむ方法を一緒に探すにはどうしたら良いのでしょう?

この教材を使って学ぶにはどうしたい?
と言う問いかけに
子ども達は、本当に色々答えてくれます。

「短い時間で取り組みたい」
「いつもケアレスミスをしてしまうから、ケアレスミスを無くしたい」
「前回学んだ物との比較をしたい」
「今回は良く出来たと思う」

と色々と考えて取り組んでくれてはいるけれど、本当にそう思っているかどうかは解りません。
自分の学びを自分で考えた経験がないので、まだまだ与えられたものへの意味付けになってしまっています。

私自身も今日の学びを自分で考える事と意味付けとの区別がつきません。
そしてどこまでかは、ある一定の強制が必要なのか、そうではないのかも解りません。

小さい子は、今日やりたくない事はやりたくないと態度に表しますが、成長と共にそれが少なくなり、やりたくなくても我慢をしてやる事ができます。我慢と言う力も必要だとは思うのですが、どこまで必要なのか それさえ出来る子と出来ない子の差があって、もともと持っている力の差もあります。

「考える力」って何でしょうか?
1+1= を考えるのも考えるだと思いますが、今話題になっているのは、そういう事ではなく、「何故1+1を学ばなければならないのか」みたいな事を考える事なのだと思います。

でもそれは、1+1を学んでいなければ、考えられないとも思うので、基礎と言えるものは、どこまでの何なのでしょう?

子どもと一緒に学ぶには、子どもを信じる事も疑う事も必要で、その度合い自体がとても難しいです。ルーチンだけで回していけない事を一緒に考え続けていきたいです。学びが変わっていく事とはどういう事なのか何度も何度も考え、多くの方の考えを読んだり聞いたりしていきたいです。

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