テンプレートまみれ
バスに乗っていて本を読んでいたときに、学生4人ほどの話し声が聞こえてきた。
話の内容は就活の面接のことだろう。そこでどんなことを話したかについてのことであった。
「私はいろんな人に〇〇と言われていて…そこから私は〇〇だと感じ、〇〇な人間だと気付きましたって言ったのね。 私そんなんじゃないのに」
周りの人も同調するかのように笑い、お互いがそんな風に頑張っているよねと励ましあっていた。
僕は違和感を感じた。
たしかに面接でいったことは事実であるかもしれないし、その本人の一面であろう。ただ本当の本人というのはまた別のところに存在しており、客観的に見た私を面接では披露しただけなのではないだろうか。
就活活動で、自己分析をして、主観的にも客観的にも自分を理解し、それを言葉にして伝えたときには、本来の自分は遠いところでそれを眺めてしまっている気がしてならない。
世の中にはテンプレートというものがあると私は思っている。
この面接でのこともテンプレートが関与しているのかもしれない。
私は〇〇であり、客観的にみると〇〇である。また、いままでの経験から〇〇となり、こういった力を社会で伸ばし、〇〇の良さを活かしたい。
こんなものだろうか。
いや、最近のテンプレートはもっと複雑なのかもしれない。
個性を出すというテンプレートもある。
私は(他とは違い)〇〇をしてきました。そこではそこでしか得られない〇〇を経験し、私がやらなければいけないこと、やりたいことを発見しました。そしてこの〇〇を伸ばし、将来的には〇〇になりたいのです。(将来像が明確としており、仕事とは経過点の一つである)
いろんなパターンはあるがこんなものだろう。
インターネットの記事や就活本、人との話などを通し、ぼんやりとテンプレートが浮かび上がる。そこで個性をだそうと、他とは違う自分だけのものを作ろうとしても土台にはそのテンプレートがあるので、本来の自分というものは完全に表現できないのではなかろうか。
テンプレートまみれである。
これはなにもバスの中の学生に限らず、私を含めた多くの人、多くの分野でいうことができるであろう。
例えば大学生のリアクションペーパーを知っているだろうか?
大学の講義の出席になったり、先生への質問や感想などを書き込むものだが、私が講義を受けていたある教授がこんなことを言ったのを覚えている。
「私は驚いた。リアクションペーパーには型があるかのようにほとんどが同じなんだ」
教授がいうにはこんなテンプレートがあるそうだ。
「今日は〇〇をした。〇〇という知識が手に入った。
今後この〇〇をうまく活用したいと思う」
もちろんなにも悪いところはないし、そう思ったのであればしっかりとした感想であろう。
成績の評価Bくらいはもらえてしまうのだ。
小学校から積み上げた経験から、こういったテンプレートであればこういった評価がもらえると頭の中で分かっている。だからこのテンプレートを使い続けようとなってしまうのだ。
まるで、考えたことをやめたように、ただただ〇○のところに文字を入れ替えて、あたかも自分が考えたように振る舞うのだ。
それでは本来の感想、本来の自分はどこにいるのだ。
世の中というのはこういったテンプレートがはびこっているのは間違いないだろう。
aと言われたらbといい、bといわれたらaを言うのだ。
こう言われたらあのように答えたりこのように表現をすればいいと思い込み、それから離れることはほぼ不可能に近い。
それならばどうしたらいいのだ。
私自身を生み出すには?
あたらしい概念を作り出すには?
二つわたしには考えられる。
一つ目は0から1を生み出す、テンプレート外から物を生み出す飛び抜けた天才の存在。
二つ目は、既存のテンプレートを組み合わせてあらたな表現方法を生み出すこと。
先程テンプレートは世の中にはびこっているといったが、それをうまく利用するしかことがないだろう。
ある一分野のテンプレートとある一分野のテンプレートを組み合わせることで、誰もが見たことのないものが生まれる可能性がある。
簡単に言うと、個性と個性を掛け算するとでもいえるのだろうか。
その掛け算が時に、計算狂いがおこり、莫大な数値を生み出すかもしれないし、そのテンプレートは紛れもなく自己であると言えるだろう。私が作り上げた私の表現であると言える。
私自身はここを目指したい。
もうテンプレートまみれにはうんざりなのである。
正直、私が上記で述べたこと自体がもう誰かが作り上げたものの形態に染まってしまってしまっているのも自負している。
私自身は天才でもない。
でもだからこそ、表現をやめてはいけないと思う。
考えることをやめてはいけない。
諦めて、そんなもんだよねと認めたくない。
いろんな分野のテンプレートを持ち替えって、それを表現し続け、自分の持っているものと掛け算をし続けるのだ。
私は他の何者でもない私を表現したいのだ。
読んでくださってありがとうございます。いろんな本とか、音楽とか、経験とか今までずっと考えていてことを、外に向けて発信しようと思い日々noteしています。何か読んでくださった方に少しでも変化が起きたのならそれほど嬉しいことはありません。