クリムト展はもう行った?

今日の午前、上野の東京都美術館で行われているクリムト展を見に行った。


まえまえから見たいとは思っていたのだが、なぜか踏ん切りがつかなかったのだが、6月1日(土)~6月14日(金)の期間中、大学生・専門学校生・高校生以下無料という優しい配慮に乗させていただくことにした。


今回一番見たいと思った絵は、「女の三世代」という絵である。

どんな絵なのかと表現しようとしたのだが、拙い語彙力では非常に難しい。

絵の中央部には、赤ちゃんとそれを抱きかかえる母、老いた女性が右から順に描かれている。


赤ちゃんの背中の方から母の頭から首にかけて緑色の葉が描かれており、生命が生まれたことへの幸福と成長する様子が感じられた。

母の表情は男性では出せないような、何かを守るという強い覚悟がありながらも優しい表情でそれを包むような女性らしい表情である。

老いた女性は肉がすり減り、髪は水に濡れたようにしたに滴り落ちている。
目元を抑えている左腕はもう止まらない時間と、老いを悲観しているような印象を受ける。


3人の後ろの方には色彩豊かな丸色の模様が描かれており、子と母の上部に描かれているものと、老いた女性の下部に描かれているものの2種類があり、時間の流れと体験を表現しているように感じられた。

上部に描かれているものは水に緩やかに流れているようであり、丸の大きさは人生の感動の大きさ、体験の密度の濃さを表しているように感じる。

老いた女性のほうはいままでみた感動や体験の模様が散りばめられているが一つ一つの大きさが小さく、猛烈なスピードに時が流れながらもいろんなものが集約したような、生が満ちたような印象を受けた。


中央の3人の女性とその後ろの時の流れを区切るかのように、奥の方は真っ黒に塗りつぶされており、歓喜の生の中にも孤独や失望、死への恐怖があり、時がない状態「無の状態」を感じる。


私たちがいない世界でも時は流れておりただただ命の循環がある。

実際に実物を目にした時には、その絵の大きさに迫力を受けたとともに、体に活力が湧いてくるのがわかった。


以前のnoteで死を感じながら生きるという記事を書いたのも影響してか、その生の循環、円環、生の恐怖、歓喜、とまどい、悲観など、すべてを美しく感じた。

福永武彦の作品の中に、本当の絵というのはその中に時間を感じられる。だからこそその絵は時が経っても生き続けるという表現をしていたことがある。

女の三世代はまさに時をもった作品と言えるだろう。

またクリムト展では、日本画家に影響を受けた絵が複数あり、和と洋が入り混じっているのも面白いと感じた。

まだ見に行っていない人は、是非とおすすめできる展覧会である。

普段とは違う時の流れを感じにいってみてはどうだろうか。



読んでくださってありがとうございます。いろんな本とか、音楽とか、経験とか今までずっと考えていてことを、外に向けて発信しようと思い日々noteしています。何か読んでくださった方に少しでも変化が起きたのならそれほど嬉しいことはありません。