見出し画像

#エクストリーム帰寮2023 体験記―後

熊野寮祭の企画「エクストリーム帰寮」の体験記の後編です。前編がまだの方は下記のリンクから先に前編をお読みいただいたうえでこちらをお読みください。


1. 朝の琵琶湖と疼く両足

 瀬田の唐橋で夜明けを迎え、朝食休憩を終えた私は、本格的に痛み始めた足を再び動かして琵琶湖沿いを進み始めました。瀬田の唐橋から少しだけ北上して、早々と国道1号に合流してそのまま1号線を進み続けると最短距離(2kmくらいの短縮らしい)になるのですが、折角琵琶湖の方まで下りてきたし、浜大津で朝の琵琶湖を眺めながらリフレッシュする方がメンタル的に良いだろう、と判断し、国道1号に合流せず、国道422号を北進。一つの目印である近江大橋の遠いこと遠いこと。まあそもそも瀬田の唐橋から浜大津まで7kmもあるのが驚きですが。2年前歩いた時こんなに遠かったっけ・・・?途中御殿浜の辺りで国道から逸れて真っすぐ北の方に続く道を発見。そうすると近江大橋のたもとをショートカットしてにおの浜方面に真っすぐ出ることができるのでは・・・?と考えそちらの方に進むことにしました。膳所(ぜぜ)の市街地に入ったようで、かつての城下町ということもあってかかなり細い道や屈曲した道が多く、北を目指して歩き続けるにはかなり曲がりくねった針路となってしまいました。結局ショートカットには成功したのですが思ったよりも距離は削減できませんでした。
 膳所の市街地を歩いているころから両足がさらに痛み始めました。足をほとんど揉んでいなかったので当然なのかもしれませんが、一応まだ歩ける状態。ですが信号待ちで止まるたびに柱にもたれたりちょっとした段差に座ったりして足を休めないと動けない・・・という感じ。浜大津を9時半に出れば良い時間帯に帰寮できると考えたのですが、そうすると浜大津で40分くらい休憩時間が取れることに。良い話。とりあえず頑張って浜大津に辿り着きたい・・・!と思って、真っすぐ湖岸を進もうとすると、湖岸の遊歩道は工事で通行止め。ガチで心折れた。結局そのまま国道沿いを進み、さらに湖岸を行く道(なぎさ通り)との三叉路でなぎさ通り側に進み、びわ湖ホールや琵琶湖文化館(城みたいな廃墟)を横に見ながら、やっとの思いで浜大津の、いつもの公園(?)に辿り着いだのです。浜大津は俺の庭・・・!ここまで来たなら京都は目の前です(多分)。雲は多いものの風は無く、暖かな日差しが降り注いでいます。朝早いからか人も少なく、座って休憩できるベンチもガラガラ。なるべく奥(浜大津駅に近い方)のベンチを占拠し、荷物を置いて寝転がり休憩タイム。しかし全身が痛いこと痛いこと。数十分の休憩では全然マシにはならないのですが、全体重を足とお尻以外に委ねるのは久々だったのでとても気持ち良かったです。眠気は若干ありましたが寝落ちするほどでもなく、お星見で撮った写真を軽く現像したり、さらにはバナナを食べて栄養補給をしたりしていました。行きの草津SAでKOしたにもかかわらず、あまり食べていません。胃腸の調子がどうのこうのというよりも、ずっと歩き続けた後は食欲って普通に湧かないんですよ。ちょっと調べたらホルモンがあーだこーだとかいう話が出てきましたが、これが事実かはさておき、多量のエネルギーを消費するのに取り入れることができないと瘦せてしまう一方。これは困りました。inゼリーでも買っておくべきだったかな・・・

 瀬田の唐橋から浜大津まで、距離にして7.3kmを1時間半強。表定速度は4.8km/h。思ったよりも速い・・・!信号待ちが意外に無かったことが大きかったのでしょうが、歩くときは時速5kmくらいで歩けているということになりますね。ここからの表定速度と比較してみても。ここまではまだ耐えていた、ということになるでしょうね。実際、びわ湖ホール近辺に来るくらいまでは歩くペースが格段に遅くなったなとは感じなかったので。周囲の人の歩くスピードが速く感じられた(つまり自分の歩く速度が遅い)のは専ら逢坂山越え以降でした。

庭だ・・・!ここにいると毎回見る学習船うみのこは居ませんでしたが、見慣れた景色に感動

2. 「もう無理だ、動けない」

 浜大津の公園を出発。その近くには観光船ミシガンの出る旅客ターミナルがあり、いつもなら展望デッキに登ってミシガンの出航を眺めるのですが今回は流石にその気力はありませんでした。浜大津駅前の交差点は併用軌道もあって横断がややこしいのはわかっていたのでペデストリアンデッキを利用。エレベーターって偉大・・・!ここから電車に乗ったら一瞬で熊野に帰れるのですが間違っても使ってはいけません。駅のペデストリアンデッキを歩いていると「こわび号」(石山坂本線の復刻塗装の通称)が来たのですがカメラを出す気力も起きず。まあ「エクストリーム撮り鉄」をしたところで電線が邪魔しまくるのですがね。ここからは歌枕としても有名な東海道の逢坂山に向かって登っていきます。大津から山科に抜けるルートとしてはこれともう一つ三井寺方面からの「古関越」もあり、両方とも2年前に歩いたことがあるので迷う心配はないのですが、ここまできたなら逢坂山を越えたほうが無難だろうと判断。

逢坂山越えの同志・・・!この後この電車は浜大津で折り返し、峠に入る直前の踏切で抜かれました

 何がって、一度歩いたことのある道なので精神的負担はそこまで大きくありませんでした・・・ドジャース移籍の大谷駅までは。ただこの頃には蓄積疲労のためか坂を上る足取りが非常に遅く、同じく逢坂山を(山歩き?)越える中年夫婦に抜かれまくり。この人たちは朝普通に準備をして元気いっぱいの状態で登っているのですから、羨ましくて仕方がありません。満身創痍の状態だとなんというか、魅力的な神社やトンネル跡など周囲のものにも興味がなくなり、ただひたすら歩き続けないと、という感情に支配されるようになります。逢坂山のピークはすんなり越えられたのですが、その頃にはもう足が限界に。座る場所を探し求め、沿道の石材店に置いてあったベンチ型の石(本当に座っていいのかは知らないよ!)に倒れこむように座り込んでしまいました。もう無理、あと10km弱動けない。時間はたっぷりあるので日のあるうちには帰れるのだろうけれども、本当に倒れこんでしまいそう。数日動けなくなってしまいそう。天下の国道1号ということもあって目の前を車やトラック、サンタバイク(!?)がひっきりなしに通過し、また京津線の電車も本数は少ないですが通っていきます。なんで私はこんなところを一人で歩いているのだろう。EX帰寮は心理戦といいますが、この辺りはやはり「自分との闘い」を意識せずにはいられませんでした。15分ほど休憩し、ここからは音楽プレイヤーを解禁して好きな音楽(歩いていて楽しくなる音楽)をかけて乗り切るという作戦に出たわけです。まあここからの2時間強が遠くて大変だったのですが。

3. 「京都が盆地なの劣りすぎだろ」

 滋賀県の支配は、逢坂山を越えて山科盆地に入ったエリアにもあるのです。県境どうなっとるねん。足の痛みに耐え、顔がゆがんだ苦悶の表情を浮かべ、国道1号をひたすら西に進みます。国道1号をそのまままっすぐ行ってしまうと五条通の方面に行ってしまうので、どこかで旧三条通に入る必要が生じます。側道のようなところの歩道を歩いていると目の前に湖西道路とのジャンクションが。その辺りは流石に歩いたらまずいのですが、上り坂を歩く気にもなりません。少し歩いて井筒八ッ橋のお店に来たらこれである。

「これより京都!?どこがだよ!!!!!」(実際お店の住所は大津市です)

 ただでさえこのようなダミーがあるのに、歩道はここで途切れておりこれ以上進めそうにありません。ということで数十メートル戻る。横に階段があったのでダメもとで登ってみたら、歩道橋があり、それを渡ると普通の道(これが旧東海道らしい)に出ることができました。タイムロス。限界を迎えている足で階段の昇り降りほどキツいものはありません。どうも手前の藤尾交番のところで国道を逸れて旧東海道に入っていたら迷わずに済んだそうですが、地図が使えないしまともな地図を全然見かけなかったので仕方ないですね。そして旧東海道を歩き始めるとすぐにこれ。

は????????

 旧東海道を真っすぐ進み、1号線を跨いでショートカットできる歩道橋がまさかの通行止め。有難いことに地図が書いてあるのでそれ通りに進めば1号線をくぐることには成功したのですが、地下道ということでまたまた激しいアップダウン。今回の帰寮の中で最大の難関といっても過言ではないくらいでした。まあなんやかんやで国道の北側に出れたので、そこから旧三条通に入ることができ、後はひたすら三条通を蹴上の方まで行くだけ。道に迷う心配がないというのは大きかったのですが、体力を完全に消耗しており、苦悶の表情を浮かべのろのろと歩く私は傍から見れば変質者だったんでしょうね。京都市はまだか・・・?京都市に入る前に立てなくなってしまうのではないか・・・?と思っていた矢先・・・

最初に大津市に突入してから7時間10分。長かった…

 ようやく大津市の脱出に成功。こんなところまで大津市だったとはたまげたものです。ということはもうすぐ四宮の駅で、そこから京阪と東西線は4駅ほどの距離。4駅というとそこまで遠くはない印象なのですが、疲れ果てていたこと、そして途中に九条山越えがあることを考えると果てしなく遠く感じられてしまいます。浜大津からここまで5.8kmで、所要時間は1時間半。表定速度は3.87km/h。一気に落ちましたが、それでも沢山休憩を挟んでのこの表定速度なので、歩いているときの速度は4km/hくらいはあったということの方が驚きです。
 山科区に入るといたるところに山科茄子の風船が掲げられていたり、「山科義士祭」ののぼり旗が。義士祭は赤穂のやつだろ・・・?と思っていたのですが、大石内蔵之介は山科にゆかりがある人なので全く関係ないということは無いのです。途中のお寺のような場所(ベンチがあったので・・・)で休憩し、山科駅の前をとぼとぼと西進し、気づけば現三条通に合流していました。山科の辺りはまだ土地勘があったとはいえ、元気なときと死にかけの時を比べてはいけません。沿道について何も感じなかった(感じる余裕がなかった)からか、文明の血を歩いているのにもかかわらず沿道についての記述が薄いような。まあただ歩くことしか考えていませんでしたから・・・
 現三条通に入ってから疲れは一向に溜まっていきます。この先九条山越えに向けて少しずつ高度も稼いでいくので緩やかながらも上り坂。歩くごとに全身が疼いてうめき声が自然と出て、もう歩けないとなったことが何回もありました。JRの高架をくぐったところ、某出版社の前などこまごまと休憩を重ねずにはいられませんでしたが、一応10分くらいは歩き続けられるくらいの体力はあったようです。なんでだろうね、自分でもわからない。なんとしても熊野まで辿り着かねばならない、という謎の義務感とかなんですかね。なんか悔しいね。

もうマヂ無理。でもあと3km、リタイヤしない…

 向こう側から自転車がビュンビュン下ってくる、無限に続くように感じられた坂をゆっくりと登り、苦し紛れにも九条山を越えて、また休憩を挟み、笑顔溢れる観光客が沢山いる蹴上に苦悶の表情でたどり着き、道端にあった段差に腰かけて死んだように俯いてしまいました。京都は盆地ということもあって、南側から行くとき以外は全て山を越えなければいけないという本当に劣った場所。越える場所が限られているので山越えの道に辿り着くことができれば怖いものは無いのですが、流石に勘弁してほしいです。

4. 最後の力を振り絞って

瀕死。なんでこんなところで人が死んでるんだ?と怪しまれても仕方がありません

 時刻はちょうど正午。残りの距離は2km強。蹴上からはひたすら下り坂で、ゴールはほとんど見えているといっても過言ではないのに、足が全く動かないせいでとてもつらい。そうやって死んだように俯いていると、何か視線を感じます。ふと目を開けて見てみると、3歳くらいの女の子がこちらをじっと覗き込んでいました。そりゃこんなところで人が死んでいると気になってしまいますよね。大丈夫だよというアピールはしたつもりですが、まあこんな状態だと伝わらないでしょうね。はぁ。まあでも疲労が限界に達していたというのは誰の目にも明らかだったでしょう。深夜の山道を歩いて怪しまれ、観光地を死んだ表情をして怪しまれ…EX帰寮が心理戦なのは、それをうまく乗り切る(誤魔化す?)ことが求められるというのも一つの要素かもしれません。

 もう動けない、と詰んでいると、Kから「足を揉もう」とのLINEが。足を触ってみても硬すぎて、また痛すぎて拒絶反応が起こってしまう。でもそれを我慢して揉んでみると、なんということでしょう、足の痛みがかなり低減されたではありませんか。例えてみるならば3時間前に浜大津を出たとき、そのくらいまでに足の状態が復活しているのです。もっと早く教えてくれよ~~。足の痛みが少し楽になったことで苦悶の表情も消え、再び歩みだした私。勢いそのままに、蹴上の坂道を下り、信号待ちで止まることのないように赤信号に突き当たるたびに曲がりながら、動物園の前を通り、ペット関連のイベントで賑わっている平安神宮の前の道を突っ切り、ゴールが近づいて感情が昂る中で、12時半、甲南町の山の中に落とされてからちょうど13時間、熊野寮に帰着したのでした。我ながらよく頑張りました、本当に。自分の足をここまで誇らしく思ったのも生まれて初めてかもしれません(もしかしたらこれが最後かもしれない)。府県境から熊野寮までの6.5kmを1時間50分、表定速度は3.55km/h。なんか、最後まで思ったよりもあったなというのが正直な感想でしたが、標準的な歩行速度(4km/h)ってめちゃくちゃ遅いな??いや~、しかしそれを抜きにしても長かった・・・・・・・・・

5. まとめ

ということで、今回の帰寮のまとめ(と後日譚的な何か)を。

「キョリ測」にて距離を計算。

・落とされた地点・・・甲賀市甲南町磯尾の山中
・総歩行距離(道迷い含む)・・・約51.3km
・総所要時間・・・13時間0分(お星見含む、表定速度:3.94km/h)
・歩数・・・約75,700歩

 昨年と比較してみると距離は実に1.5倍以上。歩数も1.5倍以上となっていて整合性が取れるのですが、やはり長距離とだけあって休憩を取りまくったり、最後の方はペースダウンして歩幅が短くなったことから歩数も多く時間も長くなってしまいましたね。まあこれは仕方ないとして、我ながらよく51kmも歩きましたね・・・。一人だったのである程度耐えれたというか、序盤の高速区間をかっ飛ばしたのが大きかったのかなとは思います。距離と疲れ具合の目安は下のようなもんでしょうか。
 10km…まだまだ余裕
 20km…足よりも先に肩が痛い、まあまだまだ歩けるよ 
 30km…流石に足も疲れが蓄積してきて歩くたびに痛む
 40km…割と限界近い。マメに休憩しないと
 50km… #もう無理歩行できない
 (それ以上は悟りの境地)
 帰ってからGoogle Mapで調べてみたところ、草津線ルートも工夫すれば今回通ったルートとそこまで距離は変わらなかった模様。滋賀県内についてはアップダウンも少なく、またいざとなったら駆け込めるお店があちこちにあり、沿道も様々な見どころがある(?)ということで、草津線ルートを選んでも良かったかなという気はしました。一人だったから新名神ルートで山中を特攻できたという説はあって。多分複数で行動してたら間違いなく草津線ルート選んでました。
 50kmを歩き満身創痍となった私は熊野寮の椅子に倒れこみ、少し休憩したのち帰宅を開始。歩くときと自転車に乗るときって使う筋肉がかなり違うんですね、思ったよりも楽でした(流石にいつものように爆走はできないけど)。その日はずっと座って前編のnoteを書くなどぼーっとしていたためか、翌日は全身筋肉痛ではあったものの歩けない状態までにはならなかったのでした。若いってすごい。9時間半くらい寝たのもあったけど、回復力が凄まじい。今日でこの状態なら明日はもう少し楽に歩けるようになっているはずです。来年のEX帰寮は出られるかわからないのですが、出られるなら来年こそはちゃんと複数人で参加したいですね。距離はこれ以上伸ばしたくないけど。45km選択で50km強はまあまあ良い方だとは思うので。土地勘無いヤバい人は倍歩くから

 というわけでこの記事は以上となります。最後までお読みくださりありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?