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悪しき慣習

 皆さんの職場では、朝礼はありますか?
 毎朝の仕事について情報共有する大事なものですよね。私の職場では、係内の朝礼は毎朝ありますが、職場全体の朝礼は、コロナウィルスの流行の後ということもあり、月1回となっています。

 この全体の朝礼が厄介なもので、毎回誰か(下っ端)が自分が良いと思う話をしなくてはならないのです(テーマを与えられる場合もあります。)。

 偉い人の参加する全体の朝礼で、おかしなことを話してはならない。」 「こんな内容で大丈夫だろうか。」「何のためにこれしてるの。」など、この慣習に若い人たちは戸惑って、この朝礼で話す話を考えるために、残業をしなくてはならないなど、本末転倒なものとなっています。

 私も若い時は、年に何回か訪れる地獄の時間について、何を話そうか迷い、戸惑い、その日が近づくのが嫌で嫌でたまりませんでした。

 その当時、私が話したものの一つに、好きな故事成語である「人間万事塞翁が馬」について話をしたものがありました。

【人間万事塞翁が馬】
『その昔、塞(砦)に住む老人の馬が逃げたところ、周囲の人たちは、老人がかわいそうだとして哀れみましたが、老人は「これは福となるかもしれない」と言いました。そしてしばらくすると、その馬が駿馬(足の速い馬)を連れて戻ってきたのです。
 周りの人はこのことに喜んだのですが、老人は、「これは禍となるかもしれない」と言います。そして今度は、老人の息子がその駿馬に乗っていたところ、落馬して足を骨折をしてしまいました。
 周囲の人たちは、また哀れんだのですが、老人は再び、「これは福となるかもしれない」と言うのです。その後、戦争で男子は兵役で連れて行かれたのですが、足の骨折が幸いして老人の息子は兵役を免れ、命が助かったというものです。』

 この故事成語には、「人生とは何が「福」となるか「禍」となるかわからず、予測がつかないこと。」を意味しており、「悪いことがあっても、それが最終的に良い結果をもたらす場合があるので、何事にも一喜一憂せずブレないことが大切」ということです。

 自分が話した内容なんて誰も聞いていないと思い、ただ朝礼が終わったことに一安心していると、あまり話したことのない先輩から「この故事成語、俺も好きなんだよね。」との反応がありました。

 その先輩が優しいだけなのか、本当に好きな故事成語だったのかは分かりませんが、自分の話に反応してくれたことに、自分が少し認められた気持ちになりました(ほとんど話したことのなかった先輩だったのもプラスされて)。

 その時まで、悪しき慣習と思っていたこの朝礼の話ローテーションが、それからは、人の考え方などを参考にする、自分の考えを伝える良い機会となりました(今でも、自分の番が回ってくると、話す内容を考えるのに一苦労します・・・🥲)。

 ちなみに、この時の先輩が今の直属の上司になっているのも、人間万事塞翁が馬なのかもしれませんね。笑

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