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【着物コラム】「日本文化」という側面から見た着物



こんにちは、着物コーディネーターさとです。
今回、初めてnote編集部のお題企画に参加してみようと思います。

そう、
「日本文化」というワードが出たとき、
大体の人は着物もセットで連想しますよね。民族衣装ですから。

では「文化」って何なんでしょう?

広辞苑では下記のように表記されています。
①文徳で民を教化すること。
②世の中が開けて生活が便利になること。文明開化。
③(culture)人間が自然に手を加えて形成してきた物心両面の成果。衣食住をはじめ科学・技術・学問・芸術・道徳・宗教・政治など生活形成の様式と内容とを含む。文明とほぼ同義に用いられることが多いが、西洋では人間の精神的生活にかかわるものを文化と呼び、技術的発展のニュアンスが強い文明と区別する。


この場合の「文化」は③の事をさしていると推測できますよね。

今日は「文化」という側面から見た時の、現代社会においての着物について書いてみようと思います。





礼装としての着物の普及と文化

現代の着物の世界のルールが作られたのは、第二次世界大戦後だというのが通説です。
戦後には洋服が「普段着」としてシェアを伸ばし、
着物は「礼装」として営業展開をするよう、シフトチェンジしました。

現代でも、「着物は礼装、特別な行事の日に着る衣服」としてのイメージが一番強いですよね。
しかし、この「礼装としての付加価値の付け方」が現代社会とマッチせず、
レンタルを含めた小売市場規模はピーク時の1/6程度に低迷しています。
(参考:着物市場規模に関する調査2019年:2,875億円と推計きものと宝飾社)


着物の世界の文脈やルールは、戦後の営業展開の「高価な衣服としての付加価値」を引きずったものが大半です。
「分かる人しか分からない」という付加価値の付け方は、特別感とセットになり、煩雑なルールを生みました。
形式ばった席での着用も多いので相性が良かったのだと思います。
現在の和装関連の企業・商品広告も「着物を着ることは特別な事」「着物を着ていると上品な人だと他者が評価してくれる」を訴求するものが多いです。

つまり、着物の世界の文脈やルールの根本は
着物=選ばれしお金持ちに向けた高尚な趣味
または
着物=人生のイベント向けの特別な衣服
という事ですよね。

「民族衣装」や「文化」としての側面は、
これらの「高価な衣服としての付加価値」の文脈・ルールとは深い繋がりが無いと私は思っています。
「人生の節目に着物を着るのが日本文化」と言うのは、
売り手の都合によるものがかなり大きいですよね。


「浴衣を着て夏のイベントに行く」という体験とセットになっている浴衣の方が、
売り手の都合優先の「特別な衣服」としての刷り込みより、なんだか文化的な気がしませんか?
実際、東京都内で開催の花火大会は、男女共に浴衣姿がかなり多くなったように感じます。





「文化」としての着物とは何か


私がこういった「お金持ち向け」「礼装」としての着物に対して懐疑的になったキッカケの一つは、
祖母の古いアルバムの写真を見つけたことでした。

私の記憶の中の祖母は着物を着ている事はほぼなかったと思います。
しかし、祖母は大正生まれだったはずなので、「着物が普段着だった世代」の女性です。

アルバムの中の祖母の着こなしは、
私の知る「きちんとするのが正義」の着物姿とは全く違うものでした。


小千谷縮?と思しき着物に博多織の帯。
素足に下駄。旅行に行ったときの写真のようでした。

これも旅行に行ったときの写真のようでした。
不鮮明でよく分からないのですが、日傘をさしているのが祖母のようです。
こっちに視線を向けている奥の女性の着こなしもラフで素敵。

椅子に座っている女性が祖母、立っているのは祖母の妹です。
帯揚げがくしゃくしゃだったり、帯締めが斜めだったり、
おはしょりも紙のような折り目が付いていなかったり。


現代の着物の着付けと全く違いますよね。
私は、この写真を見たときに「ああ、これがリアルな着物だったんだ」と感じました。

帯や小物とフルセットでローンを組んで購入する着物、
シワひとつない補正がたっぷりの着付け、何も入らない小さなバッグ、
全てが「当たり前」だった私にはとても衝撃的でした。

本来の「日本文化」としての着物って、
売り手の都合で決められたルールや、特別な衣服としての付加価値、
他者が上等な人間と評価してくれる事とは全く別物だったのです。



私は着物がとても好きです。
西洋で発生した洋服は基本的に西洋人に最適化されていますよね。
機能的で動き易い、洗濯もしやすいので私も好きなのですが、
日本で日本人に最適化された着物はやっぱり特別です。

ほぼ全てが四角い布で形成されているゆえに、着付けと言う作業で自分で形を決められるところや
モーションの小さい日本人に似合う、「縁取り」を強調する形、
礼装の着物は古典が主流ですが、1920年代以降の、化学染料や西洋の流行が反映された着物も大好きです。

「日本文化」と聞いて連想する「着物」には
私の好きな着物の側面は、正直あまり反映されていません。
でもやはり「文化」という側面で語られる着物は、実際の文化よりマーケティングの影響の方が濃厚です。

私はこれに異論を唱え、着物という存在の脱構築を目指したいと思います。