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駿河の采女

静岡にいた時、やっぱり僕は、恋をしていた…笑
しょうがない、可愛いのは罪である。
恋は何もしないうちに破れたが、思い出は強烈に残った。
どっか、お食事誘えば良かったな…。
ヘタレの常套句である。
まあ、よし。
実らない恋はいつものことだ。
まるで寅さんだな、僕は。
アホな寅さんかもしれない。
けど、もうあちこち行くのはやめだ。
デラシネ(根なし草)はやめ。
帰ってきて万葉集読んでたら、駿河の采女(うねめ)の短歌を見つけた。
恋していた人を思い出した。
こんな短歌。

しきたえの枕ゆくくる涙にそ浮き寝をしける恋の繁きに

(しきたえの)枕を伝わる涙のなかに浮き寝をいたしました。恋のあまりのはなはだしさに。

巻第四、507


沫雪かはだれに降ると見るまでに流らへ散るは何の花そも

泡のような雪がはらはらと降るのかと見まちがうほどに、流れ散るのは何の花だろうか。

巻第八、1420


流れる花は、僕の恋でもあった。
まあ、よし。
この人の幸いを願う。

正直、静岡でのことは全部夢なんじゃないかと、思っている。良いことも、悪いことも。
理想に塗した逃避行であった。
それが全部でた。理想も、逃避も。
また、一から出直しだ。

みんな(とは言わないが、心情的にみんな)、優しかった。
静岡は大好きになった。
静岡のみんなには、幸せでいて欲しいと心から思う。幸せを思っている。
良いことも、悪いこともあって、それはドコでもそうだが、それでも大好きな土地なのは、何か運命じみたものを感じるからかもしれない。
後付けの、適当な理由かもね。
それではあっても、沼津の病院で随分と久しぶりに読んだちびまる子ちゃんの、あのヘタウマな街の灯りが、とても胸に迫るように読めた。
それは、街の人々を知り、街を知ったからかも知れない。少しではある、少しでは。
だが、あの街の灯りの絵が、街の灯りとそっくり重なる。
さくらももこって、やっぱり天才だったんだな…。

ちっぽけな僕でも、ちっぽけな僕の愛でも、何かお役に立てることがあるといいな。
それは、いつかあるかも知れない。天が許してくれるなら。
その時を静かに待つ。
駿河の采女は、とてもやさしい心を持っていた。
可愛い笑顔を持っていた。
元気かな、と思う。
うん、きっと元気だ。

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