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いちにちの始まりはいつだってマイナスからはじまる。

いちにちの始まりはいつだってマイナスからはじまる。朝、目が覚めたときには「あぁ、またいちにちが始まるんだ」とか「人に今日はどれくらい会うんだろう」とか、今日の頑張らないといけないことを考えて、むくり、とベッドから降りる。そもそも睡眠というのが幸せな時間過ぎるというのもあるけどね。

昨日、シンガーソングライターのヒグチアイさんが自身のインスタグラムで悩み相談を募集していた。「最近生きるのが辛いです」というお便りにヒグチアイさんはこう返していた。

わたしはね生きるの辛いが大半すぎて
もうそれが常になってる
生きるのは辛いものだって思ったら
ちょっと楽になったよ

「生きるのが辛いが常である」こと。これを聞いてどう感じる?辛いのが常っていうのは、悲しいことなのかな。

マイナスからはじまるいちにちで、頑張ったり、嬉しかったり、幸せだったり、感動したりすることは、プラスというよりもゼロを目指すそんな感覚だ。ゼロっていうのは、わたしにとっては「あ、生きていてよかったかも。」ということで。

死に痛みも苦しみも、誰かの悲しみも伴わなかったら、とっくに死を選んでると思う。それは、今生きていることが楽しくないとか、人生に対して悲観的であるからなどではなく、生きるのは辛いからだ。それがわかっていて、些細なことにしあわせを感じるようにできている感受性が生の手綱を握って、離さない。

今日は、夜にカレーが食べたくて自分のバイト先に行くと月曜日なのにお店がやっていない。店長のFacebookをみると臨時休業のお知らせがあって。でも、カレーのためにお腹を空かせてたもんだから、何か食べたくなって
駅前の汁なし坦々麺を食べようと、そちらに向かう。お店の中には人がいて、あかりもついているけれど準備中になっている。ううう、こんなに食べたいものが食べれないとは。と思いながらも、3軒目よく1人で行くラーメン屋さんに行くと、開いていて、オリジナルラーメンと小ライスを頼んだ。

お店でひとり、ご飯を食べている時間は食べ物だけじゃなくて、自由をも栄養として身体が摂取している気がする。店内は5人ほど入る狭いラーメン屋で、わたし以外には夫婦がビールも飲みながらラーメンを食べていた。「別にお店で食べた料理が美味しくなかったからといって、その人の学歴のなさを料理の腕に紐づけるのはおかしくない?馬鹿馬鹿しいわ」と奥さんが言っていて、へぇ、と思いながら食べていると、「お姉さん大学生?」と聞かれ、そこから会話が盛り上がり、最終的にラーメンと小ライス代をご馳走してもらった。

若い女の子と一緒に楽しく話しながら食事ができたっていうだけで、嬉しいのよ〜!と奥さんに言われて、わたしの今日のいちにちがゼロになった。ラーメン屋から出て、ほくほくした気持ちのまま、明日も頑張ろう、と思った。別に今日のラーメン屋の出来事のことは、なんの糧にもしなくていいはずなのに、すぐに明日のマイナスからゼロへのプラスされる何かにされてしまう、よね。

今日も、明日のために睡眠につく。寝ている間は、いいことも悪いことも考えずに済むから1番楽だと感じる。そして、明日起きたとき、また「いちにちが始まるんだ」と思うんだろうな。

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