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媚びない会話が好き

 会話において、媚びない関係というのは本当に風通しがよく心地いいなと感じることが多い最近。媚びない会話と言ったけれど、媚びていない言葉のやりとりこそが「会話」なんじゃないかな、と思うわけです。

先日、男性とご飯を食べていてまっすぐな目をしてこういうのです。
「僕は今、次にどんな話をしたらあなたが楽しんでくれるかを真剣に考えています。」
む〜〜〜〜〜〜、となって。あなたの提示してきた話を私がジャッジさせられているような感覚になり、私はこう返しました。
「この時間を楽しむこととそんなにも考えながら話すことは同時にできるんですか?」
ちょっと、ムッとされてしまいました。女の子を喜ばせたいプライドを傷つけてしまったかもしれません。(案の定、5歳も上の社会人の方に冷たく、割り勘をつけつけられました。当然にただ飯が食べれるとは思っていませんが……。)

こういう会話が私にとってはすごく媚びている会話のような気がしていて、とても居心地が悪く感じます。あなたがこの時間を楽しむために、わたしが強制的に楽しまないといけない、と感じてしまうから。でも、楽しい会話って、楽しいと感じる前に口が動いているし、頼んだ飲み物は全然減っていないし、たった一杯のコーヒーで長居しちゃってお店の方ごめんなさいで、カフェでも車内でもフードコートでもどこでも構わないような、そういうものじゃないかな。

私はそういう時間がとても好きで、最近、あるいい言葉を見つけました。それが、そんな媚びない会話が終わった後のこの言葉。
「こんな話でよかったんですかね。」これです。
あれ、今なんでこんな話してるんだっけ。どんな文脈からこの話になったんだっけ。自分がどれくらい話してて、相手に聞いてもらいっぱなしだった。この時に、相手が楽しんでいるかどうかを気にしている意識というものは会話の場所にはいなくて、それって無意識の中で、相手が飽きていないかなとか、疲れていないかな、というのはきっと考えているだろうけど
どちらかというと自分本位に口がペラペラ動いているような気がします。

「自分の話しかしない人」というのはなんだかあまり良くない響きのようがするかもしれないけれど、私は結構そういう人との時間は安心します。自分の話しかしない人というのはきっと2つあると思っていて、一つは会話における軸になるテーマを持ってきている人と、もう一つは相手の話を聞いていない人です。私も、後者はあまりいい気持ちはしない時もあります。何を話しても、その人の話にすり替えられていたり、私が伝えたいことが伝わった感覚がないまま会話が相手本意で進んでいく感じ。
前者の方は、話すバランスこそ相手に傾いているけれど、聞き手としての自分が会話の中にいるので全然平気です。

会話において媚びられるのが結構苦手だ、という感覚を、先日友達と話したところ「わかる〜!あなたと会話したいのに!って感じだよね!」と返ってきて、そうそうそうそうそうそうそうそうそう〜〜〜〜!となりました。ただ、この共感をあまりまだ言語化できていなくて。きっと相手は私を喜ばせたい、という意味では「私と会話している」んだけど、当の私はそれを会話とは呼んでいなくて、一体私は相手の中でどういう人として会話を向ける相手にして欲しいんだろう、というのが新しい問いです。

何かアイデアがある人ぜひ言葉にしてくれたら有難いです。それでは、また。もう夏も終盤だ。


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