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曖昧な関係性の中でどこかへいってしまった好きの気持ち

男女の友情が成り立つかどうか?という問いに答えるなら、成り立つかどうかは正直わからないが、成り立たせるために努力したいと思うような異性の友達が私にはいる、と答える。正直、最近、恋愛に関して私はこじれてるんじゃないか、と思うことが多くて。この人と付き合いたい、純粋な好きという感情はどういうものだったのだろう、とこの2年ほど悩むのだ。

とはいえ、かつて恋人がいた時もあり、その時のことを考えると私にとっての「付き合ってください」は理由なく会える約束の取り付けだった。なんとなくだけど、異性に「会いたいなー」というのは、自然な感情なんだけどそれを伝えることは難しい。別に、それは友達だから、好きな人だから、家族だから、そういうことはあまり関係なく、その話がしたい相手が男の人だったのだ。その日見た映画のこと、新しく部屋に来たガラスの丸テーブルのこと、作った料理のこと、夜中に帰る場所がなくて散歩していたこと、就職活動のこと。

その人と話すのが好きで、一緒に時間を過ごすのが好きだったら、もうそれは大体その人のことを受け入れている状態で、曖昧な関係性になってしまうこともある。以前は、特別な理由なく会ってもいい許可証としての恋人関係だと思っていたはずが、意外と理由がなくても、付き合っていなくても会うことはできるし、朝まで一緒にいることができてしまう。

ただ、恋人関係ではない男女関係は脆いな、と感じることが多々ある。相手に好きな人ができれば関係性を続けることは誰かを傷つけることになりかねないし、本命の人という相手を前に関係性のランキングは常に低くなってしまう。関係性にこんなにランキングがはっきりつくことってあんまりないよなー、とか感じる。
だからこそ、関係性がなくなってしまいたくない人は男女の友情を成り立たせる努力をするのだ。

そんな感じの私は相手が異性だから、同性だから、付き合っているから、付き合っていないから、出会いがアプリだから、サークルだから、みたいな感じではあまり人付き合いを選ばず
その時にその人といて楽しいのか、その人といたいのかという感覚を大事にしているように思う。このこと自体は悪いとは思わないし、この感覚のおかげで交友関係が広まっている感じもする。

だけど、ピュアピュアな好きの気持ちがわからないのだ。これが最近の悩みというか、自分の中の関心事で。「ピュアピュアな好きの気持ち」があたかも見つかるような、そんな前提で私の思考は進んでいるのだが、一旦探しに行こうと思う。友達と作戦会議して、一旦曖昧な関係性で会っている異性を整理してみるのはどうか、となった。それはとてもいい!どういいのかはわからないけれど、一旦純粋さを取り戻せ私!の巻なのよ、という感じ。

アプリもアンインストールして、これまであっていた人たちとも連絡を取らないでみよう〜、と思う!待っておけ、ピュアピュアな好きの気持ち!

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