「正しい読み方」について言いたいこと  ①難読漢字編

正しい読み方がよくわからないものがこんなにたくさんある世の中で私たちはよく生きているなと思う。

私たちはこれまで正しい読み方に打ちのめされ、正しい読み方に傷つき、正しい読み方を使って人を嘲笑ってきた。

僕は、正しい読み方が初見ではわかるはずがないものについて、それを間違えた人を嘲笑うという場面にこれまでの人生で何度もでくわしてきた。

例えば、大阪に「放出」という駅の名前がある。この駅の読み方は「はなてん」といい、初見の人にわかるはずがない読み方で設定されている。
ある日、電車で友達と話しながら、「今どこ?」と聞かれたので、電車の斜め上にある液晶画面を見て、「今、(ほうしゅつ)ってとこやな。」と答えると、その友達は嬉々として「えっ?今なんて言った?」と聞いてくる。
この時点で彼が何を言いたいかはわかってる。
「これ(はなてん)なwww。」ってこのあと言うのだが、もうコチラに向けられた半笑いの顔がその言葉をすでに口にしているようなものだった。
そもそも、こっちも「今、(ほうしゅつ)ってとこやな。」って言った時点で放出の読み方が(ほうしゅつ)でないことは薄々感じている。
こっちだって、
心の中で「本当に(ほうしゅつ)って読むんやったらそんな駅名面白いけどそんなわけないよなー。けど、僕はこの漢字に対してこの読み方しかレパートリーは持ってないし、ここで変に当てにいった読み方で(ぼうで)とか(ほうで)とかって言ってもいいけど、これは自分に対しても、読み方に対しても誠実じゃないな。」と思っているわけだ。

あっちはただ、「読み方を勘違いしたやつ」としか認識していないだろうが、
これだけは覚えておいてほしい。

正しい読み方がよくわからない者は、たとえ自分が思いついた読み方が間違っていると気づいていたとしても、一度間違えることでしか正解を得られないのだ。
間違ってはいるが、勘違いはしていないのだ。

だいたい、正しい読み方って概念自体腹立たしい。
正解を求める日本の教育が生活のいたるところに染み渡っている気味悪さを感じる。

よくクイズ番組で難読漢字の読み方が出題されていて、左下に正答率〇〇%と表示されているのを見るが、
「あれで、正答率50%を下回る読み方なんて廃止してしまえ!!」
って毎回思う。
言葉は元来、人とのコミュニケーションの道具として発達してきたのなら、
大多数の人が間違えた読み方をしていたとしても、
その大多数の中ではその読み方で流通するのならそれでいいじゃないか。

そしたら、知識的富裕層がその村にやってきて、いやらしい顔で近づいてきて会話に割って入って、「それ(はなてん)って読むんやでぇ」と言ってくるのはいかがなものかと思う。

放出駅という漢字に対して、(はなてんえき)と読む人が35%,
(ほうしゅつえき)と読む人が27%、
その他(奇をてらった読み方に挑戦した勇気ある敗北者たちの割合)が38%となっているのなら、
まだ(はなてん)読みの割合が一番大きいので、廃止対象だとは思わないのだが、
仮に、(はなてんえき)と読む人が34%いて、
(ほうしゅつえき)と読む人が52%いて、
その他(自分への誠実さをもかなぐり捨て、正しい読み方マウントに真っ向から挑もうとした愛らしい人たちの割合)が14%
となった場合、
もう「はなてん読み」は廃止対象だと思う。

そもそも、大阪には難読地名が多く、
①交野(かたの)
②住道(すみのどう)
③私市(きさいち)
④松屋町(まっちゃまち)
など、がある。
それぞれ審査していこう。

①交野(かたの) 34点
『講評』
こちらは、吹田(すいた)や、箕面(みのお)など他の難読地名に比べてもめっぽうにタチが悪い。
なぜなら、安易に(こうの)と読んでしまうトラップが仕掛けられすぎている。

②住道(すみのどう) 26点
『講評』
こちらも交野(かたの)同様、安易に(じゅうどう)と読めてしまいすぎる。
そして、個人的にだが住道(すみのどう)に関しては、(すみのみち)の方がカッコイイと思う。

③私市(きさいち) 21点
『講評』
難読漢字と触れ合う中で、頭の中でパターンが形成されてくることがあると思う。

例えば、住道(すみのどう)のように(じゅうどう)だと思ってたけど、
「住」という字はたしかに(すむ)とも読むことができるからその予測してなかったもう一つの読み方が来るというパターン。

もう一つは、放出(はなてん)、交野(かたの)のように、
最初は(ほうしゅつ)、(かたの)と読んでしまいがちだが、
「これは難読漢字なんだ」という構えができると、実は難読漢字の正解の読みは五十音においての『行』が間違えた読み方と同じものが多く、
確かに見てみると、
(ほう)と(はな)は同じハ行、
(かた)と(こう)は同じカ行、
であることから、むちゃくちゃ頑張れば推測可能かもというパターンがある。(これはわれながらすごい発見だと思った。)

しかし、私市(きさいち)は難読漢字に抗う僕を嘲笑うかのように、『私』
は(きさ)と読むんだと暴論ほざき出す。
もう間違えさせにきていることは明確である。
これを初見で間違えた人にあなたは半笑いで注意できるだろうか。いや、ない。(反語)

④松屋町(まっちゃまち) 0点
『講評』
これは本当に腹立たしい。人をバカにしてるような読み方だ。
一応これまで審査した、
交野(かたの)、住道(すみのどう)、私市(きさいち)
は今こうしてnoteで記事を書いてる時でも、
予測変換で漢字がきちんと出てくる。
かたの → 交野
すみのどう → 住道
きさいち →  私市
と読み方から打てば出てくる。
ただ、松屋町(まっちゃまち)に関しては、
まっちゃまち → 抹茶街
当然のように抹茶で有名な街「抹茶街」が出てくる。

そして、(まつやまち)と打ったら、松屋町と出てくる。

じゃあ、松屋町は(まつやまち)でいいやろ!
ゆえに0点である。

お願いだから、どうか大阪に住んでいる友達に会いに行って、その時に正しい読み方マウントをくらってしまっても
その友達のことは嫌いにならないでほしいと思う。
悪いのは、日本の正解教育と難読漢字との相性が良すぎたために人々のいやしいマウンティング根性が奇しくも引き出されてしまったことだ。
難読漢字のことは嫌いになっても、その友達を嫌いにならないでください。
そしてもちろん、前田敦子のことは嫌いになっても、AKB48のことは嫌いにならないでください。



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