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ラジオの遠近と結婚、あるいは繰り返す日々と乗り越える「あの夜」。

仕事が就業時間内に終わらず、やむを得ず夕食後もiMacに向かう夜は、radikoを使ってラジオを聴いている。
真夜中に目が覚めてしまったら、枕元のiPhoneを探って、ラジオをつける。

状況的にあるいは身体的に眠れない夜の友、ラジオ。

しかし月曜の深夜と火曜の深夜は、そういう理由がなくてもできれば眠らずにずっと起きていたい。「菅田将暉のオールナイトニッポン」と「星野源のオールナイトニッポン」があるから。

好きな番組はいろいろあるけれど、私はこの2つのラジオ番組が、特に大好きです。

バラエティ番組の限られた時間で質問に答えている時の姿も、もちろん別人の人生を生きているドラマの姿も、スターとしてキラキラと歌う姿とも、ラジオの彼らは重ならない。
何かが違う。

菅田将暉さんが番組冒頭で結婚報告をしながら涙声になっていくのを聴いて一緒に泣いてしまった夜。
星野源さんが「初詣に行きました」「結衣さんが」とさらりと話すのを聴いて、ふふふと笑いつつ、なんとなくやっぱり涙ぐんでしまった夜。
テレビでは、彼らはあまりそういうふうに自分たちの結婚について語らないし(語る時はなぜか、周りが冷やかす空気になるのを感じて、見ている私がいたたまれない)、私もこんなふうに泣くほどには心を揺さぶられない。
でもラジオだと、なんか違う。
ラジオでは彼らは生活を語る。その一部にもちろん結婚や家庭も含まれていて、それをさりげなく語る時の彼らは私に…なんだかとても近いところにいる。

いつも「テレビの型」のようなものにはめられてしまう彼らが(それはそれで見やすくなってるとは思うのだけれど)その型から外れて、もう少し自由になっているような気がする。

「おい菅田!」と呼びかけるクソリスナーも、「バカじゃないの?」と源さんに笑われるリスナーも、彼らに私は会ったこともないけど、みんな近い。

ハガキ職人のみなさんだけでなく、ツイッターでクスクス笑って聞いてる人たちも、黙っている人たちも、ラジオの隣にいる人たちみんなが近い。

近いんだけど、遠い。

友だちと話をする時に「ここは話さなくてもいいな」と線を引いてることってあるでしょ。あの距離感に似ている気がする。そしてそれは話し手だけのことではなくて、聞き手も「ここは向こうが話さないなら聞かないでおこう」と同じく線を引いてる。
よいラジオ番組のパーソナリティとリスナーは、その「線の引き方」の基準が、似ているんじゃないかな。

近寄りすぎないようにしつつ、遠くにも行かないでいてくれる。
そういう友だちって、稀少で、大事だよね。
夜のつらさを共有しつつ、それを力づくでなんとかしようとはしない。でもそこにいる。

繰り返す日々の重さからちょっとだけ逃れて、乗り越えるために夜を共有する人たち。
近いけど遠く、きっと今後も会ったりはしない、どこかですれ違っても気づかない人たちがラジオの時間だけ、ほんの少し近づいて、終わったらまた静かに離れていく。

で、そんなラジオの愛しさへの気持ちをそのまま演劇にするという、できるとは思ってなかったのにやり遂げてしまった、不思議な演劇化「あの夜」。
初日、あまりに良くて大泣きして、今夜の千穐楽もチケットとりました。

あと少しで始まるよ。

遠くて近い、ラジオの夜をぜひ。


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