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英雄たちの選択 ペリーvs阿部正弘を見て思ったこと 因果律

老中阿部正弘は、ペリーからの国書受取要求をきっかけとして、外様藩にまで対外政策提言を広く求める、当時としては画期的な政策を行った。が、これが世に発言権があることを広く覚醒させるきっかけとなり、結果、尊王攘夷の盛り上がりにつながり、倒幕の要因になったという。
一方、ペリーは武力による威嚇によって日本を開国させることに成功はしたが、武力への脅威の記憶から、維新後の日本は富国強兵への道を突き進み、遂には第二次大戦での日米開戦に至った、という見識。

もちろん、これらはあくまで要因の一つであり、そんな単純なことではないのだけれど、番組中に磯田先生が指摘していて当方に刺さったのは、歴史の因果を短期・長期の両方で見るべきということ。

と言うのも、先日認知症の母が介護老人施設に入居したのだが、直接のきっかけは、自宅で転倒・足の骨折からの緊急病院にて入院&手術、その後リハビリ病院に転院したこと。
幸い、術後経過とリハビリは良好で、歩行器を使用すれば歩けるところまでは回復した。ただし認知の問題は、一般に言われる通り長期慣れない環境にいたせいか、一気に進み介護判定要介護4。自宅で生活するのは現実的に困難と判断し、リハビリ病院退院後に施設入居となった。
入居にあたり、最も危惧したのは本人の抵抗だったのだが、これが一切なかった。骨折による入院からの流れで、本人なりに理解できたのだろうと思うことにしている。短期的には、転倒・骨折は大変なことではあったが、中期的には施設入居へのスムーズな流れの伏線となっていることに、因果を感じざるを得ない。骨折入院がなくてもいずれ施設入居は必須だったが、こうはいかなかっただろう。

はてさて、塞翁が馬の昔から、良いこと悪いことの因果律を知っていた人類、今日のビジネス界隈では、”失敗は成功のためのプロセス”・”成功体験こそ失敗の萌芽”などと、言い方は変わったが同じようなことを、まことしやかに言い続けている。
この因果律は、そういうものとして無用な評価は行わず、そのまま受け入れるのが自然の摂理なのだろう、と思うわけだが、留意すべきは磯田先生の指摘に戻って、そのスパンがどれくらいかということ。
自分の一生の間に、双方の振幅の絶対値を見ることができない事象もあるだろう。開国からの日米開戦なぞまさにそうだし。”月は見ていないときは存在しない”という話にも通じるような全然違う気もするが、因果律の全体像は、実は時間のフラクタル構造のようなものであり、一つのループがより大きなループの一部にすぎず、認知した気にはなれるかもしれないが、全体(あるいは長期)の認知は到底できないものではなかろうか。そう言えば、バタフライエフェクトとの位置関係はどうなっているのか?

というようなことを、身体をはって頑張っていただいた偉大な先人であり、そして残された肖像画では、ややぽっちゃり系の阿部正弘像に畏敬の念を覚えつつ感じたのでした。
とりとめのない文章、最後まで読んでいただきありがとうございました。




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