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『ワンダーエッグ・プライオリティ』という世界の中心でアイが叫ぶアニメと対峙する ワンエグ特別編を観た3

 『ワンダーエッグ・プライオリティ』は4人の少女を軸に据えた群像劇ですが、物語の視点を固定する意味でも“主人公”として大戸アイの存在が中心にあります。つまりアイを中心に解釈することで、物語全体の理解も進めやすくなります。

 それは特別編も例外ではありません。アイの「復活」までの軌跡を追うことが特別編そのものと対峙することに深く繋がります。

 というわけで今回はワンエグ特別編について大戸アイを中心に理解してみたいと思います。

(過去回)




 特別編のアイは……というか、ねいるも含めてなので特別編全体と言ってもいいのでしょうけど、“電話”が大きなポイントになります。

 特にアイについては、自らのスマホを投げるシーンが二度描かれています。これが特別編の軸となる表現です。

 初めに、アイのスマホは何を象徴しているか。注目すべきは裏側に貼られたプリクラです。

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 ちなみにBluRay/DVDの2巻に付いてくるよ!

 プリクラは5話で撮影したもので、それ以降アイのスマホに貼られています。小糸の自殺から塞ぎ込んでいたアイにとって、ワンダーエッグを通して出会ったねいる、リカ、桃恵の3人はかけがえのない友人です。アイにとってのプリクラは「友達と過ごした時間」の象徴で、それを使ってスマホ絡みの表現が描かれていきます。



 まず1回目の投げる場面。これはアイが生き返った小糸と再会し、ねいる(実際にはあいる)との会話を経た後に訪れます。

 小糸は1話からずっとアイの親友と語られつつも不穏な描写がいくつかあり、アイ自身も疑っている節がありました。本編12話でねいるに「嘘の友達」と言われた場面でも否定していません。

 親友だった小糸を信じきれていないアイですが、彼女にとって重要なのは小糸と過ごした日々によって救われたという事実でした。12話では小糸と過ごした時間の価値を信じ、愛し、生きようとする決意を明確にしたことがアイの成長として描かれています。

 しかし、再会した小糸は別人のようにアイに冷たく振る舞いました。元々小糸と親友として過ごした時間は、偶然が重なっただけのものに過ぎなかった。パラレルの自分との邂逅も経て信じることの重要性を見出したアイですが、自分が抱えていた疑いもまた事実という現実を突きつけられるのです。

 その絶望に拍車をかけるかのように、ねいるもアイに冷たかった。

 プリクラが象徴する4人の時間に救われたアイですが、その時間もまた小糸と過ごした時間と同質のものだったのではないかと疑ってしまいます。そしてその疑いはある程度事実です。卒業すれば学生時代の友人となかなか会わなくなるように、友と過ごして救われる時間は曖昧かつ有限。だから否定することができません。

 別人と化した“小糸”と“ねいる”。消える小糸との写真。存在しなかった思い出。

 アイはスマホを投げることを最後まで躊躇いました。目の前の現実が残酷でも、胸の中では友達と過ごした時間が輝いています。

 それでも、結局は地面に投げつけました。4人と過ごした日々と、それに救われた実感に対する決別の宣言。

 余談ではありますが、この次のシーンは床に置かれたタバコのカットから始まります。スマホが投げつけられた地面に意識を誘導しているので、床を見下ろすカットがスムーズに入ってくる構成となっています。衝動的に大切なものを投げたことへの絶望、後悔、虚脱を描く巧みな演出でした。



 それからアイは精神的に多少の回復を見せています。小糸にもねいるにも一緒に過ごした時間を否定されますが、アイにとってワンダーエッグが繋いだ友情はまだ健在でした。リカと桃恵と3人でカラオケに行き、大切な人が生き返った後の日常について語り合っています。

 リカも桃恵も万年やパニックを殺され、大切な人も別人となってしまい、4人で過ごした時間に対して明るい感情だけではありません。それでも、日々を共有した友達として集まることを阻むほどの抵抗はありません。

 衝動的になってぶつかったりすれ違ったりしても、また同じように笑い合える。大人になってからもそうそう得られるものではない、14歳の子供たちの特別な関係性です。



 そして、その関係性が美しくも儚く限りあるものであるという現実を描くのも『ワンダーエッグ・プライオリティ』という作品。

 カラオケの後、まだガチャを回す意志があるアイやリカとの違いを感じた桃恵はふたりとの別離を決意しています。

 リカもねいるの真実を知ったことでエッグの世界とは決別しました。

 ふたりとも抗えない現実によって煌めいていた日々を手放すことになります。友と過ごす美しい時間が卒業によって消え去るように。

 ワンエグにおいては、日々を消し去る「現実」の象徴がフリルで、それを生み出す「大人」の象徴がアカと裏アカです。これらの存在はアイ、リカ、桃恵とは対極にあります。

 では、ねいるはどちら側か?



 その判断にアイのプライオリティが関わってきます。

 小糸の自殺に関わっていたかもしれない沢木、その彼と恋愛する多恵、そして自分を親友と思っていなかったかもしれない小糸。アイは多くを疑い、別の世界では疑う気持ちから死を選択しています。しかし、彼女はエッグを巡る戦いを通し、周りの人々を信じる強さを手に入れました。この「信じること」がアイのプライオリティです。

 けれども、ねいるにはそのプライオリティが発揮されません。

 再会した小糸、一緒に戦うことを選ばなかった桃恵、エッグ世界で戦う価値とねいるの人間性を信じられなかったリカ。アイは友と過ごす時間の有限性と曖昧さを突きつけられています。

「私はあなたとは友達にならない」
「私が傷つきたくないの」
「私は降りる。機械のために死にたくないからな。ねいるなんか元々いなかった」

 そして2回目のスマホを投げるシーンが訪れます。

 アイはねいるを信じきれず、彼女からの着信に応答できません。ねいると話したところで彼女と過ごして救われた時間の絶対性を否定されるだけかもしれない。現実に傷つけられてしまうだけかもしれない。ねいるという友達は存在しなかったと結論づけられるだけかもしれない。不安。それはアイが耐えるにはあまりに重すぎる辛さでした。

 スマホが、友達と過ごした時間が、ねいるとの関係性が、ベランダから放り投げられます。その場で地面に投げつけただけならまた拾えばいいでしょう。絶望して後悔して虚脱を覚えても、タバコの臭さに躊躇って、やっぱり共にいる日々の方が大切だと考え直せばいいのです。

 しかし、スマホは拾い上げることができない遠くまで投げ捨てられました。決定的な拒絶と決別。衝動的だった1回目とは違う、自身の意志による選択です。



 衝動的であれ意識的であれ、プライオリティに反する行動には後悔が伴います。アイがねいるに救われたことは事実だったはずです。彼女はそれを信じることができるし、スマホを投げ捨てようとも心根の奥では信じています。

 だから自ら選んだ拒絶を激しく悔やみ、多恵に慰められる場面も描かれました。

 大抵の人は学生時代とか他の楽しかったと思える日々でも、多少は後悔を抱えているものでしょう。それは晴らせないものであることが多いですし、晴らせたとしてそうしなければいけないわけではありません。

 これは4人の少女の煌めく日々を描くと同時に、それを消し去る現実の存在を否定しなかった『ワンダーエッグ・プライオリティ』という作品においても不変です。桃恵にもリカにも後悔はありますが、戦って笑って輝いた季節に見出したプライオリティを胸に生きていきます。

 アイも後悔を抱えながら前に歩き出しました。転校して、桃恵やリカとも会わなくなって、それでも共に過ごした時間を忘れず、その過去を未来への希望として生きています。

 新たな日々を生きるアイにとって「私のプライオリティ」は何か?

 もう答えは見つかっています。

「かまちょの私はもう卒業……私は……」
「信じるんだ!」
「じゃないと誰も守れない。誰も愛せないんだ!」

 アイは取り戻します。「私のプライオリティ」を、すなわち生きようとする意志の根源を抱いて走り出しました。

 そのプライオリティを胸に戦えるからエロスの戦士なのです。

 アイはねいるとの日々を信じます。自分が感じる彼女との友情や、会いたいという気持ちを信じます。ねいるも抱いている同じ気持ちを信じます。

 信じるから愛せる。だから何度だって戦える。

「大戸アイ……復活!」

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 なんとか特別編についてアイを中心とした文脈で書き切れました。

 完璧かと言えば上手く組み込めなかった部分があるんですけど。

 特別編のラストで流れるアイのモノローグ。

「今日の天気は晴れ。テレビでは過ごしやすい日になるって言ってたけど私にはちょっと寒い」

 このモノローグから始まる場面でアイは枕井商店の前にあるガチャガチャを目にして走り出すわけですが、これは特別編冒頭(総集編部分を除いて)にて枕井商店の前でねいると会話する場面と重ねられています。

「今日ちょっと寒いね」
「夕方雨降るって」
「えー。いい天気なのに」
「じゃあまた」
「うん。またね」

 かけがえのない友人であるねいるとの他愛のない会話。アイは一度辛さに負けて投げ捨ててしまいますが、本来はこの時間の価値を信じることが彼女のプライオリティです。だから今度はそれを確実に選びとる。「またね」と交わした約束を果たすために。

 ということで、これで特別編についてアイに関することは拾いきれたと思います。「復活」の宣言を締めにするために良いところに入れたかったですが。

 アイ、リカ、桃恵について書けたので、残すはねいるのみとなりました。ねいるは本編でも特別編でも描写が多いわけではないので、想像で補完する部分が増えそうですけど。まあ野島伸司氏にしてみれば勝手に想像を膨らませて補完することを望んでそうしている節もあるかなという気はします。

 なんとか近いうちにねいるについて書けるよう頑張ります。オリンピックが熱い季節ですが、ワンエグにもドキドキする季節が壮大かつ繊細に描かれているということで、どうかひとつよろしくお願いします。

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