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五街道の起点で八木海莉ちゃんへの愛が吠えている

 令和5年の祝日は3つが土曜日に当たっています。

 平日を休暇に変えてくれない祝日。底の抜けたコップみたいなものです。2月11日はこの年最初の無益な祝日でした。

 だから当日を迎えて、その日が昭和41年12月に制定されてから57回目の建国記念の日と意識することもありませんでした。思い出すきっかけは上野駅前で目にした光景です。

 秋田から電車を乗り継いで上野までやってきたぼくは、地下鉄に乗る前に外から駅の写真を撮ろうと思いました。上野は5年前に放送されたテレビアニメ『三ツ星カラーズ』の舞台でもあります。そこに足を踏み入れた証を残したかったのです。

 ああ果てしない大都会。そこがまさしく東京だと実感させてくれたのは、駅前を途切れなく歩く人々のあまりの多さと「神武天皇建国の精神に還れ」というスローガンを掲げた街宣車でした。

 何をもって建国記念の日とするか国によって違いがあるようです。日本の場合は『日本書紀』にある神武天皇が即位したとされる日に由来します。街宣車とその屋根に立つ男性の演説がぼくに土曜日と祝日の不幸なダブルブッキングを知らせたのでした。

 普段の生活でお目にかかれない景色をもう少し見ていたい気持ちになりましたが、上野への到着は予定より遅れていました。早いうちに目的の写真を撮影して地下鉄に乗ることとします。

 ただの土曜日に吸収された祝日。旅程の遅れも道中で仕事の電話がかかってきたことが原因の不幸な事故みたいなものでした。ついてない日と言いたくなりますが、これから幸せで特別な日になると期待して三越前駅を目指します。

 もっとも、そのときのぼくは事前に調べてきた「上野駅」がJRと東京メトロでそれぞれ異なっていることをいまひとつ把握しておらず手間取ってしまうのですが。

『三ツ星カラーズ』の琴葉と上野駅





 日本橋三越本店。それは確かに田舎の人間がイメージする「東京」のひとつの姿です。三越前駅はその三越本店の地下売り場と直結しています。

 電車を降りたぼくは地上の風景を見てみることにしました。そこには格調の高さを感じさせる建物が並んでいます。五街道の起点としての誇りが400年以上昔の江戸の時代から継承されていて、かつて蝦夷と呼ばれた地から訪れた人間を圧倒するようでもありました。

 目的地である日本橋三井ホールへ向けて移動します。そのホールはCOREDO室町1という商業施設の4階にあります。施設自体は三越前駅とも直結しているようですが、地上から歩いて入ることにしました。

 ふとコレドという耳慣れない言葉が気になって調べてみました。コアと江戸を繋げた造語だそうです。なんだか良い言葉だと思い、それは目的地も良い場所であるという願望と同化していきました。





 日本橋三井ホールでは、八木海莉さんというアーティストの公演が行われることになっていました。彼女にとってはメジャーデビューから2回目の単独ライブです。

 広島県出身の彼女は、歌手になる夢を叶えるため、高校入学と同時に親元を離れて上京しました。やがてYouTubeに弾き語り動画を投稿するようになり、透明感の中に違和感と紙一重の、それでいて無二の聴き心地を伴う個性が同居した歌唱で注目され始めます。

 大きな転機は2021年に放送されたテレビアニメ『Vivy -Fluorite Eye's Song-』でした。

 この作品で八木海莉さんは――ファン特有の馴れ馴れしい親しみを込めて海莉ちゃんと呼びますが――種崎敦美さんが演じる主人公「ヴィヴィ」と彼女の独立した人格「ディーヴァ」の歌唱役に抜擢されました。

 ヴィヴィは「歌でみんなを幸せにすること」を使命とするAIでした。当初は未熟でほとんど聴衆を集められませんでしたが、物語の進行と共に歌姫として人気を得るようになり、やがて使命のために長い年月をかけて模索していた「心を込めて歌うこと」が何を指すか答えを見出します。その過程に説得力をもたらし作品を支える軸を生み出したのは、ヴィヴィとディーヴァに宿った海莉ちゃんの歌唱でした。

 表現者として実力を示した海莉ちゃんはその年の暮れにメジャーデビューを果たしました。デビューシングルの『Ripe Aster』を皮切りに精力的に楽曲を発表し、2022年9月4日と20歳の誕生日でもある翌5日には初のワンマンライブを開催しています。

 夢を抱いて東京へやってきた原石は徐々にその輝きを放ち始めました。しかし、まだ完成に至ったわけではありません。

 いつか誰よりまばゆく光るスターの、いつかが訪れる以前の過程。前回から5ヶ月ぶりのワンマンライブは間違いなくそのひとつです。日本橋までやってきたのは海莉ちゃんのいつか見られなくなる未完成な姿を記憶に刻みたいからでもありました。





 前回のライブもチケットは購入していました。渋谷で開催されたそのライブは海莉ちゃんの初の単独公演で、20歳になる節目でもあります。彼女が成長する過程の目撃者となることを望むなら、万難を排して訪ねるべき晴れ舞台です。

 けれどもぼくは参加しませんでした。

 端的に言えば仕事が忙しかったからということになりますが、物理的に日程を開けられなかったというより、忙しさによる心の閉塞が本質的な理由であったように思います。

 秋田から渋谷への移動はちょっとした旅になります。ライブが近づく頃、ぼくはそこに向かう自分を想像し、出発もしていないのに帰りのことばかり繰り返し考えるようになっていました。大好きなテレビアニメ『宇宙よりも遠い場所』のセリフが脳裏に響きます。

引き返せるうちは旅ではない。引き返せなくなった時に初めてそれは旅になるのだ。

 消耗して踏み出すことへの恐怖に抗えなくなり、旅など望むべくもありませんでした。余裕を失った人間は自分と現在地を精神的な鎖で繋いでしまうのかもしれません。

 今回のライブも直前まで参加を迷いました。日々が劇的に変わることはありません。足首に絡んだ鎖が未だそこから消えていないようでした。

 それでも行く決心できた理由は何か。一言で説明する言葉は存在しません。複合的な理由をひとつに絞ることも不可能です。しかし、ライブ直前に発表されたEPの表題曲『健やかDE居たい』の中に求めてみたい気もします。

夢だけ心地良く居させて

 健やかで居られる訳が無い。そんな日々の中で、せめて心地良く居られる夢を見たい。

 夢なら必ず覚めます。望まずとも引き返せるのです。そんな風に自分を説得する潜在的な対話を経て、ぼくは日本橋へ旅立ちました。





 物販の先行販売でTシャツとキーリングを買いました。ライブの入場券は電子チケットですが、会場で売っているCDに紙のレプリカチケットが付属するということで、既に所持しているファーストEP『水気を謳う』も購入しました。同時にポスターも購入するか迷います。ランダムで海莉ちゃんの直筆サインが書かれているのです。しかしランダムということは買って当たる保証はありません。それを差し引いても魅力的なポスターですが、残念ながら貼る場所がないため見送りました。

 先行販売が終了し、しばらくして開場となりました。ホワイエのあちこちにライブのポスターが貼られていて、その多くに海莉ちゃんのメッセージが書き込まれていました。

 ホールの入口近くのポスターに「よくぞ、ここまで辿り着きましたね」と書いてあるのを見つけたとき、この場所にある夢を信じて東京まで来たことが報われたような気持ちになりました。

テンション上がってピンボケしてる

 ぼくの座席は運良く最前列でした。そこに座り、目の前に立つ海莉ちゃんを想像します。全身を緊張が駆け抜けていくのをはっきり認識しました。こんなに近くで推しを拝める。楽しみになるのと同じくらい申し訳なくもありました。





 ライブは音と光による演出から始まりました。ファーストEP『水気を謳う』にも象徴される海莉ちゃんの重要なモチーフは水です。その水に包まれていることが表現され、ぼくたちは彼女の世界に誘われます。

 ここで紹介すると、このライブは『poly dam』という題が付されています。多角的という意味合いのpolyに水を貯めるdamを組み合わせた海莉ちゃんの造語です。

 自身のYouTubeチャンネルに投稿しているひとり喋り「ぐうたらじお」でタイトルに込められた思いが説明されていました。最初のワンマンライブで『水気を謳う』の世界を表現した海莉ちゃんは、次のライブを歌と結びつく汗、海、涙、お茶といったあらゆる「水」を災害にせず受け止める場所としてデザインしたのです。

 下手側の扉から海莉ちゃんと楽曲を演奏するバンドメンバーが現れました。ステージに上がった海莉ちゃんを見てすごい、と思いました。すごい。今まで好きになった人の好きなところをすべて組み合わせたみたいな姿をしてる

 その「好き」とは恋愛だけでなく、家族や友達なども含めて他者を好ましく思う気持ち全般を内包した「好き」でした。「愛」と言った方がしっくりくるかもしれません。舞城王太郎さんの『好き好き大好き超愛してる。』の小説史上最も美しい書き出しを思い起こします。

 愛は祈りだ。僕は祈る。僕の好きな人たちに皆そろって幸せになってほしい。それぞれの願いを叶えてほしい。温かい場所で、あるいは涼しい場所で、とにかく心地よい場所で、それぞれの好きな人たちに囲まれて楽しく暮らしてほしい。最大の幸福が空から皆に降り注ぐといい。僕は世界中の全ての人たちが好きだ。

 この「僕」は、世界中の全ての人を愛する理由を「とても仲良くなれるし、そういう可能性がある」からと語ります。あまりにファンシーな思考にも感じられますが、身近な存在への「愛」を抱くことが可能ならば、原理的に不可能とも言いきれません。何よりぼくには、あの瞬間目の前にいた海莉ちゃんに捧げたくなった祈りの総量が、世界中のすべての人々への「愛」に変換しても余りあるほどに思えました。

 すぐ目の前に海莉ちゃんがいます。ずっと見ていたら申し訳ないのではと考え目を逸らしそうになりますが、彼女を直接見たくてここまで来たのだと思い直し、素晴らしい景色を瞳に焼きつけることに決めます。

 衣装がとても素敵でした。髪の毛先を染める鮮やかな色がよく見えました。リッケンバッカーのエレキギターを持つ姿に初々しさとアーティストの風格が同居していました。緊張しつつも身振りを混ぜながら楽しそうにCDで聴く以上のクオリティで歌う姿が輝いていました。

 海莉ちゃんが最初に披露したのは「やる気が起きないときの感じ」を表現し、そんな状態だったぼくが旅するきっかけにもなった『健やかDE居たい』でした。

健やかで居られる訳が無い
終わりない矛盾ばかり
毒溜まりガタつくばかり
有する熱 扱えなくて
都合に遊ばれる気はない
エネルギーは欠かせない
解く課題 バタつく回り
夢だけ 心地良く居させて

 足りないリズム感で必死に手拍子しながら、光の演出の中で歌ってギターも演奏する海莉ちゃんを見上げていました。今日が幸せで特別な日になるという願望は確信に変わっています。





 二曲目にセカンドEP収録の『ゾートロープ』を歌い上げ、海莉ちゃんは観客へ言葉少なに、けれども真摯に挨拶してくれました。海莉ちゃんのMCは客席に深々と頭を下げる姿が印象的です。こちらが頭を低くして感謝を伝えたいのに、それ以上に受け手をリスペクトしてくれる彼女に表現者としての信頼が深まる気がします。

 三曲目はミュージックビデオの「ハートカウントダンス」という振り付けが印象的な『君への戦』でした。

 ハートカウントダンスは難易度が高く、ぼくもライブに向けて練習しようと思いながら挫折したのですが、海莉ちゃんはその振り付けを歌いながら滑らかに披露してみせました。車の運転席で踊る海莉ちゃんがあまりに魅力的で、とりわけ何度もミュージックビデオを再生している曲だっただけに、目の前で見られたことは至福でした。

 短いインターバルで次々に楽曲が披露されていきます。もう少し休んでもいいのにと思うほどのペースで平然と歌い続けられるのは日頃の鍛錬の賜物でしょう。『Vivy』のディーヴァのような、こんなに近くで見ることが叶わないアーティストへの成長曲線が見える気がしました。

 合間に海莉ちゃんの可愛らしさが滲むようなMCも挟まれます。新しく買ったエレキギターを使う曲は最初に持ってきたのでもう出てこない、というトークで客席の笑いを誘っていたのが印象的でした。

 そしてライブ中盤にはアニメ『Vivy』からヴィヴィとディーヴァそれぞれの曲をひとつずつ披露してくれました。ぼくはアニメをきっかけに海莉ちゃんのファンになったので、ここで興奮が最高潮に達しました。自分のオリジナル曲だけで勝負できるアーティストに成長している海莉ちゃんが『Vivy』の楽曲を歌ってくれたことが嬉しかったし、曲の紹介でそれぞれ異なる日々を歩んだヴィヴィとディーヴァを個別に扱ってくれたことにも感動しました。

 ステージに立つ海莉ちゃんは『A Thunder Moon Tempo』を歌っているときはヴィヴィで、『Harmony of One's Heart』ではディーヴァの姿をしていました。その瞬間、日本橋三井ホールは『Vivy』の舞台であるニーアランドでした。

 秋田から東京の旅は往復の電車賃と宿泊費だけでおよそ5万円はかかります。出発前はその費用と東京で過ごす時間を天秤にかけることもありました。しかし、架空の世界でしかなかったはずのニーアランドにも行けるなら安いくらいの出費です。大好きなアニメの世界を体験できたようで、一点の曇りなく来て良かったと思えました。技術的な巧拙を超越した海莉ちゃんの表現力だからなせる技です。





 ライブ後半も魅力的なステージが続きました。『お茶でも飲んで』でミュージックビデオの最後の可愛らしい踊りを思い出し、『ダダリラ』の心地良いリズムにテンションをさらに上げ、『Sugar morning』のように静かに浸れる曲も楽しみます。どの曲も高い質で歌い上げる安定感がありつつ、歌詞を間違えてしまう生のライブならではの場面も少しだけあって、それもなんだか得をした気分にさせてくれます。しまった、といった風にはにかむ表情が愛くるしいのです。

 最前列だから何度か目が合ったと感じる場面に遭遇したことも嬉しかったです。本当に目が合っていたか確かめる術はなく、単なる勘違いかもしれません。しかしこの勘違いには本当にそうだったかもしれないという希望があって、沈む日常の中でそういう希望がきらりと光ることもあります。

 最後の曲は、スタジオジブリ作品の『星をかった日』にインスパイアされ、海莉ちゃんの地元を離れ上京した経験と結びつく『さらば、私の星』でした。ミュージックビデオを背景に歌う姿が美しく、曲に込められた思いがホールに充満していくようでした。

 海莉ちゃんとバンドメンバーがホールを去り、会場ではアンコールの手拍子が響きました。『水気を謳う』『健やかDE居たい』の両EPに収録されている曲はすべて歌ったし、去年の配信シングルの曲も歌われています。じゃあアンコールで歌う曲はあるのかと考えてまだメジャーデビューシングルの『Ripe Aster』が歌われていないことに気づき、それならアンコールはあるだろうと考えつつ、本当に出てくるのかなという緊張を感じました。後から振り返れば終了のアナウンスもないので再登場は既定路線だったと思いますが、アーティストのライブはほとんど経験がないのでアンコールの有無を判断できないのです。

 そして海莉ちゃんたちは戻ってきました。衣装はこのライブのTシャツ「健やかTEE」に替わっています。ぼくも物販で同じTシャツを買っていましたが、現場で買ったものを着ると急拵え感が出るような気がして前回のライブグッズの「潜水艦Tee」を着ていました。どちらかを選びがたくはありますが「健やかTEE」を着ても良かったなと思いました。

潜水艦Teeです

 海莉ちゃんは「やっとアンコールできる曲数になりました」と笑って、新曲『セレナーデ』と『Ripe Aster』を披露しました。

例え間違いでも何度も手を伸ばすよ
隠し事 花開き 熟れる頃
心触れる 愛に揺れる
言葉を灯す

 ライブは名残惜しく、それでも満ち足りた手応えを示して幕を閉じました。ぼくはホールを出て物販に立ち寄り、ポスターを購入して会場を後にしました。

サイン入りではありませんでした





 翌日も同じ場所で海莉ちゃんが歌うことになっていました。けれどもその前に秋田へ帰らなければなりません。現地で体感するライブの魅力が想像以上でもう一度味わいたいと思うのですが、滞在を伸ばすことはできませんでした。東京から離れることを無念に感じつつ、この日の思い出を大切に忘れないようにしようと決心します。

 振り返れば、東京へ出発する前のぼくは未完成な海莉ちゃんを記憶に刻みたいと望んでいました。

 そこには将来有望な彼女を早期から推すことで後々古参としての地位を示せるという打算もあるでしょう。

 同時に、ぼくは『宇宙よりも遠い場所』『響け!ユーフォニアム』『メイドインアビス』、最近で言えば『ぼっち・ざ・ろっく!』といった何かに「憧れ」を抱いた人がそれに向かって突き進む物語が大好きです。『Vivy -Fluorite Eye's Song-』のヴィヴィが「歌でみんなを幸せにすること」という使命に向き合い続けた姿もそのひとつです。自分や誰かが憧れを抱き、それが叶うことを望んだとき、そこには祈りがあります。

 愛は祈り――憧れと祈りにこそ、野性的なだけでも無機質なだけでもない心の価値が顕現します。

 そして歌手になるため単身東京へやってきた海莉ちゃんもまた、憧れに突き進む存在でした。だからこそ応援して輝く姿を見たいと望みます。人間が持つ心の価値を証明し、肯定し、希望を掲げさせてほしい。未完成な海莉ちゃんが焼き付いていればこそ、いつかスターになった彼女の軌跡は希望を宿した物語となります。

 ライブを通してぼくの願いは叶えられました。憧れに向かっていま持っているすべてを尽くして歩む海莉ちゃんを確かに目撃しました。

 一方で、目の前にいた海莉ちゃんの姿には想像や理想と異なる部分もありました。

 彼女はこれからもっと多くの人を惹きつけるパフォーマンスを実現させ、海莉ちゃん以上の海莉ちゃんになるでしょう。その確信は以前から想像していた通りですが、現実の海莉ちゃんを見て、それ以上をイメージできない自分もいました。

 いつか完成したスターになる。その「いつか」は誰にも保証できません。しかし「poly dam」1日目のステージに立っていた海莉ちゃんは、ぼくの中で「いつか」を待つまでもなくスターでした。あの輝きは秋田で頭の中に描いていた想像とか理想を完全に超越していて、記憶の中にあってなお旅の意義を照らしています。





 水道橋から中央線に乗って御茶ノ水で降ります。そこから別の電車で東京駅へ移動するつもりでしたが、新幹線の出発まで余裕があったので歩いてみることにしました。

 朝から昼へ移りつつある日曜の陽光を浴びながら、日本大学理工学部の建物を見上げたり、観音坂を下りながら脳内で全力坂のナレーションを再生したりしました。その道中は極端に人が多いわけでもありませんでしたが、田舎の商店街を歩いているときの街が死んでいる感覚と縁遠いことは言うまでもありません。東京は街そのものが人の気配を放っているように感じられます。

 初めてまともに東京の街を歩いたのは5年ほど前のことでした。そのときは人の波に恐怖すら覚えました。これだけ人がいたら自分という存在は埋没して消えてしまう。そんなところで暮らすなど当時のぼくにはとても想像できませんでした。

 東京駅を目指しながら、今はそういった恐怖がないことに気づきます。人々の中で埋もれてしまうものを守るより、埋もれても自分の存在を示してくれるものを見出す方が大切なのです。

 東京駅に辿り着き、昼食を買って新幹線に乗り込みました。イヤホンで海莉ちゃんの歌を聴こうとして、前日の生で聴いた記憶を大事に残したい気持ちもあって一瞬迷いますが、『健やかDE居たい』を聴くことにしました。

健やかで居られる訳が無い
終わりない矛盾ばかり

 まったくその通りだと思いました。これから秋田に帰って、生まれて以来ずっと暮らしているその土地が肌に合っていると思えるか、そんな保証もありません。

 だから東京で見た夢を忘れず憶えておこうと誓いました。そして、海莉ちゃん自身が望む通りに、あるいは望む以上に幸福な形でアーティストとして成長することがさらなる夢でもあります。

 新幹線は上野、大宮、仙台を過ぎて北上を続けます。ペットボトルのお茶を飲みながら眺めると、車窓の向こう側が旅の続きを引き受けるように白く染まりつつありました。

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