『結婚できない男』『まだ結婚できない男』の脚本の変化から学びとれる価値観の変化

当記事は、私の在学する大学の講義「社会学」のレポートの内容で、ちょっと外部に乗っけてみても面白いなと感じたため、投稿することにした。


“結婚はデメリットが多すぎる”と言い、おひとりさまを楽しむ偏屈な建築家・桑野伸介が職場の人や隣人、周りの人とのやりとりによって恋愛の価値観が変わっていく様を表現したドラマ。第1作目『結婚できない男』は2006年、第2作目『まだ結婚できない男』は13年後の2019年に公開された。

“結婚できない男”は今や”結婚しない男”といえる

結婚をしないと心に決めている桑野伸介というキャラクターは、2006年当時は少数派で目を向けたくなるような特異な存在だったから、演出側は特異なものを晒しみせつけることでドラマの面白みを出せたように見える。

しかし2作目の第1話は「厚労省の調査によると日本人の生涯未婚率は何% にも上がっていて〜」という書き始めから始まった。


放送された2019年後半の時点で、桑野はもう少数の存在ではなくて、肩身の狭いキャラクターでもなくなっているということ。国家が取り組むべき大きな社会問題ではあるものの、おのおのの暮らし方の話ではある。
それで縁あって2作目をやるとなったとして、同じように「この人異質でしょ〜面白いでしょ〜」と演出するのでは飛ばないだろう。
奇人で特異な存在を見るよりは、奇人だけど共感性の高いドラマに13年の間で変化したと言える。

ここ最近、心拍が上がるようなドラマよりも、ぼんやりと見ていられそうな、自分が共通項を持って役を見るドラマが増えている気がしている。(うちは新ドラマは全録画するが、圧倒的に録画欄に「グルメドラマ」が増えたのを実感している。今季も3つはある。グルメ系は実際に存在する店を紹介するし。


そもそも第1作目では結婚や男女交際をよしとしない桑野が、かかりつけの女医(演:夏川結衣)と痴話喧嘩をしていくうちに女医を好きになっていることに気づき、最後は自ら告白して付き合うという話で、桑野が交際に対しての価値観が変わっていく成長を見るドラマで完結したはずなのに、第2作目ではその女医とは結局別れ、「やっぱり独身がいい」と殻にこもってしまった状態ではじまったので、見る人によっては新鮮味がなかったという話は多かったが、楽しみ方は変わったと私は感じるので視聴対象が変わっているので気にするまでもない気はしている。


結婚したい人としたくない人の対比

前作から桑野の事務所でアシスタントを担当する村上英治(演:塚本高史)は、新作で共同経営者となった。
彼は前作では彼女がいながら桑野の隣人と2人でご飯に出掛けるなど、大人の営みまではないもののふわついた恋愛感での女性付き合いをしていた。結婚という言葉を聞くと大していい顔をしていなかったり、当時の彼には結婚する意思はなかったのかもしれない。


2作目では建築の案件を持ち込む社外の森山と付き合っていた。2作目の中で彼はあまりふわっとした女性付き合いをしなかった。

女性だけの場に彼女なしで乗り込むなどはしなかった。

やがて第8話中で二人は挙式を挙げた。その二次会を独身である桑野が上司としてスピーチをしていて、既婚者と未婚者のコントラストが強かった。この回はどちら側の視点でもものを見れるものだったと思う。多数少数問わずどちらでも見れる話をしていたり、どちらも共存しているからこそ生き方が間反対だが多様性の対比が画になっていい世界線に現れているように感じる。



2作目で桑野は一言も「好きだ」と言っていない

1作目の最後に、かかりつけになった女医の早坂と会うたび口喧嘩をしてるにもかかわらず「喧嘩するほど仲がいい」で距離が縮まり、桑野は「あなたのことが…好きかもしれない。」と告白をし、そのまま桑野の自宅に2人きりで鍋をしに行った。という終わり方をした。
2作目の頭で桑野の職場の後輩たちが「付き合っていたけど別れた」と証言していたので、本当に2人は付き合ったんだそう。
2作目でも前作と同じように、桑野の誹謗中傷問題を担当してくれた、弁護士の吉山(演:吉田羊)と口喧嘩を伴いながらお互いが気になってきて距離が縮まって…という流れ。
最終話では、吉山の母が体調を崩したので、東京の法律事務所を畳み長野に帰って母の弁護士事務所を継ごうとしている吉山を呼びつけ、「本当に長野に帰るんですね。私の話をしてもいいですか?長野に帰るのはやめたほうがいいんじゃないですか…。あなたがいないとつまらない!」と口にし、吉山は「あなたがどうしても!というなら!仕方ありませんね」と、映画を見にいく約束をつけて終わった。

最後の追い上げで「あなたは東京にいてくれないと私は困る」と桑野は言ったが、一言も好きだとは言っていない。
私は『結婚できない男』シリーズを往復で見続けて1月半ばで6ループ目に入るが、この言い違いを見ている。このあと恋愛に昇華している可能性もあるが、「好きだ」と行ってていないので私は必ず付き合ったとは思っていない。付き合ったという推測もあるが私がそういう判断をしたということは、放送終了後にかなり自由に妄想を繰り広げられるような脚本になっているように感じられる。
このあと恋愛に昇華している可能性もあるが、「好きだ」と言っていないので私は必ず付き合ったとは思っていない。付き合ったという推測もあるが私がそういう判断をしたということは、放送終了後にかなり自由に妄想を繰り広げられるような脚本になっているように感じられる。

主人公を普遍的なものに導くような1作目と違って、
2作目は好き⇄好きじゃない、付き合う⇄付き合わないを明確にしないことによって価値観を自由に保てる脚本であると私は感じた。
1作目の時代の「結婚が一番」人間はまだ生きているだろうし、そちらの価値観もだいじにするのは数字社会のテレビ業界では当然だろうなとも感じる



また二次創作にしたり妄想し放題なエンタテインメントを、サブスクや何やでいつでもどこでも見れる中で、
大きい意見小さい意見のうち、いったい価値観をどちらに絞るかという決断は創作物の中では日に日に必要がなくなりそうなのではないかと考えている。

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