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わたしを縛っていた価値観

無意識のうちにつくっていた壁

演技を探求していくうえで自分の抱えている精神的な問題が大きな壁となることがある。

この問題がなにかが具体的になれば、演技に使うことも出来るのだろう。
しかし大抵の場合は、その問題と向き合いたくなくて蓋をしている場合が多いのではないか?と思う。

私にも幼少期から長年抱えていた「ある壁」が存在していたことに、ごくごく最近になり気付いた。

私はその壁によって、
「演技で表現をしたい衝動」を「目立ってはいけない」「はみ出してはいけない」「調子に乗るなよ」と抑え込んでいた。

こういった類いのことは、演技に関してだけではなく仕事やプライベートでも起こり得るのではないだろうか?
ならば私の気付きを公開することで、誰かのお役に立つかもしれない…

そんな想いから、
私が長年苦しんでいた「壁」がどうして出来たのか?
また、その気付きについて綴っておこうと思う。


好きなはずなのに苦しくなる

私は小学生の時から演劇クラブに所属していた。

母子家庭で育った私は一人っ子、母親は仕事の鬼だし、母自身が親との関わりが上手くいっていなかったこともあり、家の中でのコミュニケーションはほとんど皆無の状態。いつも孤独を感じていた。
私は人とのコミュニケーションを常に家の外に求めていた。

そんな状態の私にとって「舞台でたくさんの人と関わる」ことは、まさに求めていたものそのものだった。

たくさんの人と舞台と客席とで繋がる
舞台上の共演者と繋がる。
私のなかにたくさんのエネルギーが流れ、出ていく。
互いのエネルギーが循環する。

その感覚が忘れられず、大人になっても役者であることを辞めることができなかった。

大人になっても役者を続ける全うな理由として「仕事として役者で売れる」ことをずっと目指していたが、それは、収入を得るのはなかなか難しい役者という職業に対して「大人としてちゃんと将来を考えてますよ。だから大丈夫ですよ」的なものを、無理やりくっつけていたように思う。

なんとなくだけど、それは、「大人になったらちゃんと仕事してないとダメだろ」みたいな固定概念から出てきてたんじゃないかな?

でも50歳も間近となると、そんなもんは社会に対しての「言い訳」でしかなくて「ただ役者やりたい」だけなんだなぁ。と思う。

子どもの頃から理由は1ミリも変わってない。

そこには地位や名誉なんてのを超え、単純な「多くの人と繋がりたい」という想いだけしかない。
それだけでここまで役者を続けてきたのだと思う。

そして、より沢山の人と繋がるためには、演技力を高め、観客や共演者から共感してもらいたい。
お愛想的な「すごいね~」とかではなく、本音で本気なヤツだ。
そんでみんなで同じものを見ながら感動できちゃえば楽しいじゃないか!
それだけ。


「マキさんが芝居するのはご飯食べてるのとおんなじだもんね」
「あなたは本当に演技することが好きなんですね」



私がよく言われる言葉。

そう見えるのは、
演じることが私の生命エネルギーの源だからなのかもしれません。
本人は役者を続けることは衝動的なことなので、なんの頑張りもなく、気付いたら続けてた。と言った感じなんですもの。

そんな私だが…
ここからが少し複雑だ。


たくさんの人と演技で繋がりたい!
そのために役者として成長したい!


そう思う反面、
自分の「伸びしろ」みたいな部分が見えてくると、二の足を踏む自分がいた。

例えば、
演技訓練で新しい感覚を掴みかけた時
新しく演技できる環境に足を踏み入れそうになる時

どこかで「そっち行っちゃダメ!」とばかりに、急ブレーキを踏む自分がいる。
そして元の状態へと強引に引き戻す自分がいるのだ。

まるで現状から飛び出そうとするのを必死に止めるように。

現状から飛び出したい自分と、それを必死に制御する自分。

そんな2つが常に葛藤していたように思う。
そのため自分の葛藤を扱うのに必死で、作品や役へ集中できる状態ではなかった。

本来なら、役者は自らの感覚を役の感覚へと変化させる生き物。
だけど、私が常にもっていた葛藤は小林真樹という役者の「自意識」であるため、演技とは程遠い状態だった。

その違いに気が付いたのは、
46歳になり、この葛藤の原因になっているかもしれないと思われる、ある出来事にやっと気付けた時だった。


幼少期に起きたある出来事が度々思い出される

思い返せば、その記憶は度々ふっと浮かんできていた。

小学校低学年の頃の記憶。お友達、複数人と放課後に家の近所で遊んでいた時のこと。私が「みんなで欽ちゃんの仮装大賞に出ようよ!」と言い出して、みんなでアヒル?ひよこ?のダンスを創った。

みんなで夕方までダンス創作に黙々と励み「練習してみんなで出ようね!」と励ましあって解散したような記憶がある。

ここまでは、大人になって度々思い出すことがあった。

当時の私は「欽ちゃんの仮装大賞」という番組が大好きで、(ご存知の方もいらっしゃると思いますが)仮装してパフォーマンスするチームを一般応募で募り、審査員が点数をつけて優勝を選んでいくというもの。

一人で出演する人から、家族、学生仲間、職場の仲間などなど様々な人達が、自ら創作したパフォーマンスと仮装を手作りして発表する番組。

当時は色んなアイデアやパフォーマンスに心踊らされたものだ。

そしてそれは、どうやら幼少期の私にとっては憧れの番組だったようだった。

「私も出てみたい!!」

自分が好きなものをやってみたい!子どもがよく持つ単純な想いだった。


そしてこの思い出には続きがある。

その翌日のことだったと思う。

小学校の教室でクラス全員が席に座って前を向いている。

担任の先生らしい人が教壇に立ちクラス全員に向かってこう言った。

「昨日、欽ちゃんの仮装大賞(テレビ)に出ようという話が出たそうですが、辞めましょう」

先生の顔は少しぼやけているし、セリフもはっきりとは覚えていないが、そんなような事を言っていたように思う。

その時の私は「あ、わたしのことだ」と察知した。

そして同時に、昨日一緒にダンスを作っていた友達や、事情を何も知らないクラスメイト達の前で公言されたことに対しての羞恥心と申し訳ない気持ちが沸き上がる。

自分があのとき「みんなで出よう!」なんて言い出さなければ、こんなことにはならなかったと自分を責めた。

私のせいでみんなも巻き込んじゃった。

私はこの時にはじめて「恥ずかしい」という気持ちを知ったのかもしれない。ただただ教室で一人ショックを受けていた自分を思い出した。

そこで私の記憶は終わっている。


この記憶は残像のように一瞬見えることがあったが、テレビ番組が深夜に終了した時に出てくる砂嵐のような映像になり途中で映像がぼやけてしまっていた。

なので当時の感情まで鮮明に追体験したのは、今回がはじめてだった。


この記憶から気が付いた。

「あ。わたし、この時からずっと目立ったらいけないって思っていたんだ」


私が目立つとロクなことがない。

自分もだけど、誰かも傷つけることになる。

だから例え面白がられてもあまり調子に乗るんじゃないよ。


そんな前提が私の無意識に刻まれていたように思う。

そしてそれが、私の人生の歩き方を決定していたように思うのだ。


大人になってから、この状況と似たような状況に陥ることが度々あった。

団体のトップにあたる人が、仲間が見ている中で私を否定するといった場面。

今思えば、そういった場面を作る方向に持っていっている自分もいたし、そういった状況に対して、ものすごく過敏になっていたように思う。

「ほらね、目立つとこうなるぞ!」「私はこういう風に言われるに値する人なんだよ」と前提を強化していたのかもしれないと思えてならない。


「私が目立つと誰かを傷つける」って凄い設定だなぁ~と今になれば客観的に思えるが、幼少期の私にしたら「学校の先生」ってのは絶対的な存在で、なんでも知ってるし、大げさかもしれないけれど「人生の歩き方」を先導してくれているような「神」に近い存在だったのかもしれない。

私たち昭和40年~50年世代は学校の先生を咄嗟に「お母さん!」と間違えて呼んじゃうのは、結構あるあるで、それって母親と同じくらい先生という存在をリスペクトしていたんだと思う。

(自分の子どもを見ていても担任の先生を尊敬しているのが伺えるので、時代を超えても同じなのかもしれないが)


気付ければ刷り込まれた「設定」は変えられる

今までは教室での映像までは見ることが出来なかった。

46歳になってやっと「これは今の自分とは関係ないことですよ」といった感じで、そこに触れられるようになったのかもしれない。

大人になり、母になった私がこの記憶を追体験した感想は…

「なんだよ。子どもが思い付きで言ったことを、こんなオオゴトにして大人は何をやってんだ」だった。

現在の自分から見れば、なーんてことはないことに、なんでこんなにも振り回され続けていたのかと笑えてしまう。

しかし、その反面で、

心の勉強を少しかじったこともあり、

現状が自分が望んでいる現実と違う場合に「幼少期にできた思い込み」が無意識に作用して自分の現実を創っているかもしれないこと。

それと、人は存在しているだけで価値があり、存在するだけで誰かの人生に影響を与えているということ。

この2つの事実を信じられるようになった今だからこそ、触れることができたのかもしれないとも思う。

生きてるだけでみんな凄いんだぜ。って前提があるから、それ以外の前提には疑問が出てくるのだ。


心のすみっこに「ほっ」とする部分ができた。隙間?ゆとり?ができた感じ。ひとつ、自分が自由になれた気がした。


この思い込みによって固く守っていた重荷のようなものが、ひとつ無くなり、緊張する部分が減ったように思う。

それによって少しづつ、自分が緩んでいく。

いま、これを書いていて、また気が付いたが、

要は外側の世界に対して恐怖心を抱えていたのだろう。そこから身を守るため、固くして自分を守っていたのかもしれない。

この記事でも

“からだの緊張(頑張って力が入る)が自分の世界を狭くする” https://note.com/satomaki824/n/n332077343c82

からだが緊張してるのと、リラックスしてる時のパフォーマンスの違いについて記したが、恐怖心は緊張しか生まないので前に進まないのは当たり前だなぁと思う。


あれは過去と知ったら前に進むのが楽しくなってきた

さて、最初の話に戻る。

私が演じる時に抱えていた問題。

「目立ってはいけない」「はみ出してはいけない」「調子に乗るなよ」と抑え込むことで起きていた葛藤。

その言葉を「好きにやっていいよ!」「目立っていいよ!」に変えてみた。

すると、ドキドキはするけれど「挑戦しよう!」と前向きに望めるようになっている自分がいる。

もちろん演技訓練のなかで失敗はする。だけど昔のように「ほらね、やっぱり」と自分を貶めることは無くなった。

その代わりに気付きの方が断然大きくなった。

きっと私のフォーカスの先が変わったんだと感じる。

自分が望んでいる「本来の目的」に向いてきたのかもしれない。そんな気がしている。


地球は目には見えないスピードで自転をしているらしい。見たことないからわからないが、そうらしい。

私たちの人生も地球の自転のように、目には見えないけれど緩やかに変化を続けているものなんだろうなぁ。

そんなことを感じる。

そう思うと、私たちに同じ瞬間は一秒たりとも無いんだろう。

だから変わっていったらいい。変わり続ければ良いんだ。

そしてどうせ変わるなら、無意識に操られているのではなく、自分が望むようになりたいものだ。


そうしてまた、私の「演技を探求する」旅は続く。


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