見出し画像

英語学習#07

教材名:Penguin Readers Level4
「Women who changed the world」

Chapter6 Women and science

 化学の分野で女性は長年、活躍していました。古代ローマでは、女性は化学を勉強していました。近現代に移り、化学を学ぶ女性は多くなかったが、20世紀に入り、化学を学ぶ女性は増加。その一人がポーランド人のマリー・キュリーである。彼女は、夫であるピエールと共に物理学と化学の両分野でノーベル賞を受賞しています。2つの異なる分野でノーベル賞を2冠している女性は他におりません。
 マリー・スクウォドフスカは1867年にポーランドのワルシャワに誕生した。彼女の両親は教師をしており、女性教育を信じていました。彼女は若い時にパリに勉強に行き、後のご主人であるピエールと出会い、放射能について研究していました。ピエールは事故で1906年に亡くなったが、その後もマリーは研究を続けました。
 マリー・キュリーの時代は、化学は男性社会でした。フランス大学で博士課程を授与したのも彼女が初めてで、しかもパリ大学で教授になったのも彼女が女性で初めてでした。
 今日でこそ、彼女はノーベル賞受賞の化学者ですが、これは起こり得ないことです。1903年、フランスの化学学会はピエールともう一人の男性にノーベル物理学賞を受賞させるように、一通の手紙が届きました。マリーの名前は無かったのです。それから、ノーベル賞委員会に在籍していた、スウェーデンの数学者ヨースタ・ミッタク=レフラーがピエールに手紙で彼女が研究の手伝いをしていたかを確認し、両者受賞が認められたのでした。
 マリー・キュリーの仕事は重要なものでした。放射能に関する重要なアイデアを提供し、ポロニウムとラジウムを発見しました。ポロニウムは彼女の出身のポーランドから由来した命名です。パリとワルシャワにキュリー施設を設けて、今日でも薬学を学ぶために重要な機関となっています。 
 キュリーの研究は今日の医学において重要なX線の発展に寄与しました。第一次世界大戦の時は、マリーは救急車にX線を設置させました。また、彼女は国際赤十字で働き、医師にX線の使い方を指導しました。
 マリーは重要で危険な仕事を得意としていました。しかし、フランスの男性化学者たちはマリーに多くの問題を押し付け、彼女の仕事にもほとんどお金を支払わなかったのです。1920年の終わりに、彼女の仕事が祟って、彼女は病気になり、1934年に亡くなりました。
 その後も20世紀には、女性が化学の分野に進出はするものの、ノーベル賞を受賞する者は現れませんでした。例えば、リーゼ・メイトナーは放射能と物理学に貢献したオーストリアースウェーデンの化学者。彼女は、オットー・ハーンと共に、核分裂の発見をした小さな化学者のグループを率いていました。1939年に研究発表をするも、1944年のノーベル賞はオットーのみに贈られました。人々は、女性はノーベル賞が獲れないのではないかと疑念を抱くようになりました。
 ノーベル賞を獲得できなかった女性の一人にロザリンド・フランクリンがいます。フラクリンは1920年に生まれ、父親から化学者の道を反対されるも、聞き入れることなくケンブリッジ大学で化学を学びます。彼女の最も有名な研究は、ロンドンのキングカレッジに在籍中のDNAについての研究です。彼女の研究によってDNAがどのように構成されているかを明らかにしたものの、1958年に亡くなった彼女にはノーベル賞は贈られることはなく、1962年に生存していた3名の学者に贈られました。彼女の功績には一切語られることがなく、多くの人々はメイトナーと同様に、ロザリンドもまた、女性であるためにノーベル賞を獲得できなかったのではないかと信じられました。
 それから、多くの女性化学者がノーベル賞を獲得できる時代がやってきました。バーバラ・マクリントック、リータ・レーヴィ=モンタルチーニ、ガートルード・ベル・エリオンなど。
 近年では、ますます化学に進出する女性が多い中で、中国では、2015年にトゥ・ユーユー氏がマラリアの薬を発見してノーベル賞を受賞しました。
 今日では、世界中の科学者のたった30%が女性です。しかし人数はどんどん増えています。彼らの中の一人が天文学者であるエミリー・レヴェスクです。彼女の研究は私たちの世界を理解するために役に立っています。ワシントン大学で助教授を務める彼女は、天文学を知らない人たちの質問に回答することが好きなのだそうです。マリー・キュリーやロザリン・フラクリンやエミリー・レヴェスクのお蔭で、多くの女性たちは科学分野へ進出できたと言えるでしょう。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?