見出し画像

専門性が無いことがコンプレックスだったから、大きな夢をみることにした。

イベントのお誘いとクラファンのお願いについての文章を書いていたら、ほぼ私が就活する理由そのもの、になった。

***

高3の時、通学の時の満員電車が不意に怖くなった時期があった。自分についてすっごく悩んでいる時期で自分の一挙手一投足気に入らなかった。でもこんなに頭の中ぐるぐるしてるのに、外から見たら普通のJKに見えるよなぁって。そう思ったらこのサラリーマンたち、同じ空間に何人いるか分からないこの人たちも、今この瞬間何かを考え、また目的を持ってこの空間にいるんだな、と気づく。すんごい怖かった。
時を同じくして、
本屋さんで目の前の面白そうな本たちを読み切らずに死ぬ自分を想像して悲しくなった。
(町田に新しくできたブックカフェでそう思った瞬間のこと今でも鮮明に覚えている。その後倫理の先生にそれを話して分かるよと言ってもらえてうれしかったことも)

大学で色んなことがあったなぁと思うけど、いつしか私は「ばらばらな人が一緒にいること」がすごく幸せだ と思うようになった。

(思えば中高6年間やってたミュージカルもそういうものだったよね。同じ振り同じ歌詞でも「その人らしさ」が滲み出てしまう)

同じ人間なんて一人もいなくて、みんな別々のことを考えていて、でも今この瞬間は一緒にいて、他の場所に行ってもたぶん同じくらいの時間を生きていくこと。
「分からないこと/出来ないこと」ってあって当たり前で、それなら「分かる人/出来る人」にやってもらおう!って思えるようになったのも、当たり前のことなのに、大学生になってからだった。

何故それが私にとって幸せだったかって、誰も偽善者じゃなかったから。
その問いが、その課題が、むしろそれだけが個人にとって重要でその解決に向かって"没頭"している人。
その人の隣に別の課題感を持った人がいたとしても、(大方の場合)互いに侵害されるものでも脅かされるものでもない。
自分の没頭対象でなかったとしても、共感することはある。
ということは、何にも"没頭"してなくても、"共感"という形で社会に参画することは可能だ、と思った。それが私には「希望」だった。

私はなにが「分かる人/出来る人」なのかなぁってずっと考えていた。まぁ今も分からないままといえばそう。
でもなんか、突き詰める人とは違う役割があるのかもなと今は思っている。
見たい世界があって掴みたい真実がある人は"没頭"って言葉が似合う。深めていく感じ。色を濃くする感じ。
でもそれを達成するにはきっと"協働"とか"拡散"とか、広めたり、色の範囲を大きくしたりする役割も必要だ。
まず、目撃して、そこから、協働が始まる。
翻訳したり、コラボしたり、流れを作ったり、誰か引っ張ってきたり、体験させたり、なんやかんや

おいでおいでおいでおいでうさぎ \うさぎ🐰/


同時に、
夢を、未来を、理想を、語り続けられる人でありたい。
社会人になってどれだけ実際の物事を動かすのが難しいか、お金に縛られたり、権力の存在を感じたり、システムの古さとか歪みとか、いっぱい分かることがあると思う。日々出社して働いて生活を回すだけで本当にシビアで厳しいことだよね。
でも見える世界は今よりもっと広く鮮明になるはず。
自分の手で何かをして、それが積み重なるはずだし、今自分起点でどうやって社会をつくっていこうか、って今よりもっと具体的に語れるようになるよね。
そしたらあとは、諦めないで夢をみ続けていれば、自ずと進むべき方向や実現させるための手段は見えてくると思うんだ。

***

別々のこと考えた色んな人たちが、同じ時を過ごして、またそれぞれの場所に戻っていく。その一瞬の場づくりと、その場で生まれること。それを大事にしたり、広げたり、価値あるものにすること。誰とでも、いつでも、それぞれの想いを聴き続けたい。そこに共感した時には力の貸せる自分になりたい。
まとめるとそんな感じ?
まぁ、何か言っているようで何も言ってないのかもしれないけど、何か言っています!

今年も新年度を前に京都に行くことにした。
22世紀の社会を描くシンポジウムに参加するために。
https://www.facebook.com/events/780519585657439/?ti=icl

去年ここで「学問」みたいなものを改めて目の当たりにした。
影響を受けた私は文化人類学やりたい!と思って他大の授業受けに行ったり本読んだりする前期を送った。(笑)
なんか縁がないものっておもってたけど、みんなが話すのが楽しそうだったから、さとみものぞいてみたいなーって思った。
物理学者のたまごとか哲学やってる人とかここじゃなかったら出会わなかったと思う!言語が違いすぎてびっくりしたのを思い出す。

今年は「弱さと、ともに在る」ってテーマ。
ここ2年間の私のテーマだったこと。
自分の弱さを見なかったことにしないで、弱さも含めて大きな自分になっていこうねって。
平成の終わりに、次の時代が楽しみになるのは間違いないんじゃないかな。

https://camp-fire.jp/projects/view/133150
クラウドファンディングもやってる。
クラファンってよく目にするようになったけど、「内輪でたのしい」より「みんなと一緒にやりたい。開かれた場にしたい」から。
クラファンが成功して、全国から参加しやすくなったらいいなと思うし、くすのきのみんながもっと大きな舞台で話す姿とか想像して、よきよきと思ったりする。でも、何よりクラファンをきっかけにして本当にこの場を必要としている誰かに届きやすくなるといいなと思っている。

***

大学とか会社とか人の集まりは塀に囲まれていて、扉は期間限定でひっそりと開かれて、ハードルは中々高い、みたいな側面ってあると思う。
その枠の中に入らないと知ることが出来ないことがあり、繋がれない人がいるのも事実。
でも、これからの社会では自分の場所から離れて、役割から降りて、輪をつくることも増えていくんじゃないかなーと私は思っている。
それだけ総力を挙げてつくっていかないとどうにもならない時代なんだとも思う。


こんなことを考えながら面接にのぞんだら、考えながら喋る時ゆるゆるだねって言われた。その通りです〜

誰かの想いは届くべき人に届く、って私は信じている。
でもパワーがここにある、ってことは口に出さなきゃ。内に留めて隠さないで、外に出さなくちゃ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?