見出し画像

【徒然なる雑感】9.為政者とことば


 ワクチンを担当する河野大臣は、全国知事会との意見交換の場でワクチンの供給量が減ったことなどについて謝罪しました。出席者からは「はしごを外され混乱している」などの声が上がりました。
 「なかなか、このままのペースを維持できないということで、はしごを外した形になってしまいまして、大変申し訳なく思っております」(河野太郎 行革相)
 「予防接種に全力を挙げていたところ、はしごを外され混乱をしている。こうした声が多く寄せられている」(全国知事会 飯泉嘉門 会長)

昨日(7/15.木)目にしたニュース。内容はさておき(さておけない、ところではあるのだけれど…)、「はしごを外される」「はしごを外す」ってこういう使い方するのかしら?とひっかかった。辞書で確認すると、意味は次のように書かれている。

梯子が外される(梯子を外される)
はしごをはずされて高い所に置きざりにされる。転じて、先に立って事に当たっていたのに、仲間が手を引いたために孤立する。
                        デジタル大辞泉 より

「はしごが外される」という慣用句には「孤立する」「孤立無援」「四面楚歌」に通じるところがあるというのが、やはり外せない意味だろう。したがって、状態や状況に使うというよりは、やはり「人」を対象にして使うのが本来の使い方だと考えられる。記事中の文脈で使うなら、「出端をくじかれる」「出端をくじく」ではなかろうか。まぁ、もっともK大臣ははしごを外されかけているのかもしれないけれど…。

ところで、「でばなをくじかれる」の「でばな」を漢字変換しようとすると「出端」「出鼻」「出花」が変換候補として示される(by ATOK)。「出花」は「番茶・煎茶(せんちゃ)に湯を注いだばかりの香味のよいもの。(デジタル大辞泉)」という意味なので、この場合の候補からは外れる。残りの「出端」と「出鼻」はどちらでもいいらしい。そもそも、「端」「鼻」はいずれも「モノの先」のことを意味する。ところで、「端」は常用漢字表では音読みの「タン」、訓読みの「はし」「は」「はた」が提示されているけれど、「はな」は挙げられておらず、表外音訓という扱いである。そういうわけで、「寝入りバナ」の「バナ」が「端」であることがすぐには分からなくて、「バナ」ってなんだ???と一瞬頭がバグってしまう。とはいえ、「はな」という読み方は、「出端(でばな)をくじかれる」の他に、「端(はな)から」「初っ端(しょっぱな)」のように使われるので、頭がバグってしまっても慌てず冷静に考えれば大丈夫!

それにしても、「端」を「はな」と読む読み方は古くからあるのだろうけれど、漢字とその読み方の多様さ、複雑さはなかなか混沌としている。授業では、文字や表記も一応トピックの1つとして取り上げることがある。ちょうど、今週の「国語学概論B」の授業では文字をあつかったところである。ことばは変化するものだけれど、その変化は音韻や文法では無意識に起こる。けれども、文字や表記の変化は音韻や文法と違って、人間の「意図」が大きく関わっていることがあるなぁとぼんやり考えながら授業をしていた。「こんにちわ」などの表記は、ちょっと無意識な変化のような気もするけれど、体系的なルールを決めるときにはそれなりの「意図」が反映されるだろう。また、文字の成立や表記のルールには、人々の格闘したあとが見える。平安時代に作られた漢字の読み方を記した字書である『類聚名義抄』には、漢字の訓読みに現代よりもはるかに多くの読みが示されていたり、ひらがな、カタカナの成立にも混沌とした時代があったり、現代でも表記のルールはありながらも曖昧な部分が多かったりするのは、先人たちが文字と格闘した結果なのだと思う。

ということを授業で話したり、考えたりしていたら、「王の願い ハングルの始まり」という映画に出会った(7/23(月)からシネマ・クレールにて上映)。紹介文には次のようなことが書かれている。

「朝鮮第4代国王・世宗の時代。これまで朝鮮には自国語を書き表す文字が存在しておらず、上流階級層だけが特権として中国の漢字を学び使用していた。この状況をもどかしく思う世宗(ソン・ガンホ)は、庶民でも容易に学べて書くことができる朝鮮独自の文字を作ることを決意。」

民を思って文字を作る、朝鮮第4代国王・世宗。
ワクチンの混乱を招くK大臣。
為政者としての振るまいも違えば、
それぞれのことばに向かう姿勢の違いも大きい。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?