【徒然なる雑感】8.髙良朱香音「あなたがあの時」(沖縄全戦没者追悼式*平和の詩)に寄せて

下まぶたが熱を帯びて画面がにじんだ。

高良朱香音さんの詩「あなたがあの時」は、ことばの力強さと詩の叙情性とを持って迫ってくる。

 まず、構成が巧みである。「ガマ」を詩の展開場面に活用し、「ガマ」の描写で大きく3つに分かれる。
1)「ガマ」(現代から戦争時へ)⇒戦争当時の状況描写
 時は現代、「ガマ」で行われたであろう戦争の追体験の場面から始まる。続く、2、3、4連で戦争時のことが描かれる、「あなた」の成長の時間の流れにそって。さらに、その表現の仕方は、茨木のり子の「私が一番きれいだったとき」の表現に重なり、重層的に戦争文学へと意識をいざなう。
2)「ガマ」(戦争時から現代へ)⇒戦争を生き延びた「あなた」と「あなた」の存在によって生かされる「私」
 再び現代の「ガマ」の場面に戻ってくるが意識は戦争当時へとそそがれたままである。そこから、意識が戦争を生き延びた「あなた」へと向かい、「あなた」の存在から「私」の存在へとなめらかにつながる。そして、それをつなぐことばが「ありがとう」である。
3)「ガマ」(現代から未来へ)⇒「あなた」と「私」は仲間となり、平和な未来を創造することを志向する
 三度、現代の「ガマ」の場面で、「あなた」と「私」は「仲間」となって未来を志向していく。各「ガマ」の場面は会話(ことばがけ)から始まるのも、場面転換として有効に機能させている点も見逃せず、特に3つ目の会話(ことばがけ)は印象的である。「頭、気をつけてね」は、最初の2つとは違って、優しさと気遣いにあふれたことばで、戦争体験者の「あなた」と戦争体験を聞いて「あなた」の思いを受け継いでいく「私」とのほんの一瞬にすぎないけれども、直接的で、個人的な交わりとして表現される。それは、最後の「仲間として」ということばをたしかなものへと後押しするものと解釈される。そう考えると、「頭、気をつけてね」の一言はこの詩の要であるとも言える。

 そして、この詩のことばの力強さを感じさせるのが「あなた」という二人称である。詩の中では何度となく「あなた」が出てくるが、特定の誰かとしての「あなた」であり、戦争を生き抜いた「あなた」すべてであり、そして読み手に語りかける「あなた」である。
1)特定の誰かとしての「あなた」
 「ガマ」での戦争体験を語ってくれた人としての「あなた」であるが、それは、この詩の軸になる「あなた」である。「ガマ」の場面の発話者の人物であり、この詩の主人公的な存在である。
2)戦争を生き抜いたすべての「あなた」
 戦争体験者は当然ながら1人ではなく、また、作者も多くの戦争体験者から様々な体験を聞いたり、本や映画などのメディアを通して見聞きしたりしたことも多くあるだろう。戦争体験を持つすべての人が「あなた」としてこの詩の背景に潜んでいるのである。
3)読み手に語りかける「あなた」
 読み手の中には戦争体験者ではない人も多いだろう。私もその一人である。しかし、このように詩の中で「あなた」と何度も繰り返されると、その戦争体験者の「あなた」に私自身が否応なく同化させられる。そうなると、もうこれは私自身の体験であるかのような錯覚さえ起こさせる。「あなた」のやるせない、悲しい、ひもじい、寂しい感情が我が事のようにわき上がり、「あなた」がたくましく、力強く、優しく、勇気を持って生きてきたように私も生きているのだと、そして生きていくのだと思わせる。戦争体験者、戦争を語る人たちが少なくなっていく現代におけるこの詩のあり方は、戦争体験を聞き、語り継ぐということの何たるかを身をもって体感させられる。

2020年6月23日、慰霊の日、
詩のことばに心をよせながら、沖縄への祈りを捧げる。


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