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さとなおの「ハゲの悩み相談室」

友人がこっち側に来た。
こっち側とは、「悩むのをやめて剃っちゃった側」である。

友人はアラフォー。
もともと薄毛なのだが、ちょろりと残った毛を大切に育てていた。そして頭頂部を気にしているのが傍目にもよくわかった。

その感じ、地球上でトップクラスにわかる。
ただ、こっち側に来ちゃうと、本当に楽になることを彼はまだ知らない。

だから、「いやいや、わかるけど、でも中途半端だから! もう剃っちゃった方がいいから! スキンヘッドにしたら人生が楽になるから!」と、わりと強めに勧めていた。

そして昨日。
ボクのところに寄ってきて、パッとボーシをとるではないか。

「剃りました! QBハウスで剃りました! すごいドキドキしたけど、今は気持ちいいです!」

と、頭をぐるりと撫でながらニッコリする。

そうだろうそうだろう。
でも、ホント勇気いったよなぁ。死ぬほどわかるぞご同輩。

そして、きっとまだドキドキだろう。
これから職場や友人たちの前でカミングアウトするのである。

でもね、ホントおめでとう!
こっち側に来ておめでとう! 
保証する!
絶対こっち側の方がいい!


ボクはここ15年ほどスキンヘッドである。

子供の頃から髪の毛が細くサラサラヘアーだった。
それは女子からうらやましがられるほどのサラサラ感。ただ、中学に入るくらいから、サラサラな上に「元々毛穴が少ないんじゃないか疑惑」に苛まれた。

だって、シャンプー後とか、地肌がかなり見えてしまう。
髪の毛が細すぎてペタッとなり、なんかハゲて見えるのだ。

父親はこう言った。
「まぁどっちから来てもみんなハゲだからな。諦めろ」と。

確かに、父方も母方も祖父はツルツル。曾祖父もみんなツルツル。父もかなり薄い。そうか、オレもハゲるのか・・・(泣)

年齢が行くに従って、悩みは深刻になっていき、ハタチを越えたあたりからは、いつしかコンプレックスになっていった。

実は周りなんてヒトのことそんなに見ていないものだと後でわかるようにはなるのだが、そのころはまだ自意識過剰だったし、女の子の目が気になるお年頃でもあったから、しょっちゅう髪の毛のことを気にしていた。

まず、風に対して卑屈になった。
風が強いと、なんかコソコソする。外出もちょっと躊躇する。

シャンプーも入念になった。
ベッタリすると薄いのが目立つので、朝シャンは欠かせない。シャンプーしすぎるとよりハゲるという説もあったが、そんなこと言っていられる状況ではなかった。

そして、ヒトに髪が薄いと悟られぬよう、立ち位置や座る位置をこっそりと工夫する日々だった。

会議室には人より早く入り、壁際に「ヒトに後ろに立たれない席」を確保した。
イスに座っていて後ろに立たれると、マジで「殺意」を覚えた。

海やプールの誘いも断るようになった。
泳ぐと地肌が見えてしまう。楽しそうだなぁと思いつつ、用事があると嘘をついた(女の子たちと水着で遊びたかったな)。
しかも、直射日光を浴びると地肌が日焼けする。そうするとシャンプーが沁みて痛くなる。真夏は人知れず痛がっていた。


・・・イカン、卑屈だ。
人生がとても不自由だ。

と、思い切ってオールバックにしたのが20代後半だったか。

広いオデコを出し、同時に髭も生やした。
比較的童顔だったので、ものすごく勇気がいるイメージチェンジだった。

でもこれはナイスだった。
ハゲから逃げてない感じが周りからも好評だった。

んでもってモテた(笑)
女性はハゲが嫌いなのではなくて、ハゲをうじうじ気にする男が嫌いなんだ、と理解したのもこの頃(ハゲが嫌いな女性も一定数いるが)。

いままで着ようとも思わなかった服が似合うようになり、ファッションの幅も広がった。なんだか自分が変わった感覚だった。


で、そのまま40歳くらいまでオールバックでやっていたんだけど、全体的にハゲが進んできたので、一気にスキンヘッド(平たく言えばボウズ)にしたのが43歳。

見事に髪の毛から自由になったですね。
もうまったくハゲを気にしなくなった。

同時に周りの目も変わった。
ハゲが「弱点」から「個性」とか「生き方」へと変わった感じ。

というか、ヒトが頭頂部を見なくなった。
いままではチラチラと頭頂部とか生え際とか見られている気配があった。
でも、その気配が消えたのだ。

ここまで堂々とハゲを晒すと誰も気にしないんだな、と、普通に理解。

逆に、ファッションを含めて、ハゲを前面に押し出すくらいになった。ほんのちょっと前まで弱点と思っていたことが「強み」や「売り」に変わった瞬間である。

いやぁ、あのとき勇気を出してスキンヘッドにしてホントに良かったなぁ(遠い目)。


そういう経験値があるせいもあり、周りの男たちの動きがボクからはよく見える。

あの頃のボクみたいにコソコソした動きになっていると、「その動き方、身に覚えがあるぞ。薄毛を気にしているんだな」と気がつく(笑)

わかる。
ホントわかるぞ。
そのコソコソ感、そのコンプレックス、その「堂々としたいのにいまいちできない感じ」・・・マジで地球上でトップクラスにわかる。

そういうヒトには、機会を見て、後ろからそっと近寄っていき、デリカシーをもってこう囁くようにしている。

「剃っちゃいな」

スキンヘッドにするには勇気がいるし、後戻りもしにくいから、そうサジェスチョンするのは責任重大でもあるのだが、ただ、実感として言うと「スキンヘッドはハゲではない」ですね。

つまり、ハゲからの自由を獲得するという精神的なこと以前に、外見的にもハゲから脱却できる。そう認識した方がいいと思う。

いや、実際はハゲなんだけど、周りがハゲとは見てない感じ。

ある種の髪型。もしくは個性。なんなら生き方。周りからそう見られるようになる。

また、スキンヘッドで超堂々としていると人格まで変わる。いろいろと吹っ切れる。

しかも、真っ正面から「このハゲ!」とか言われても全く傷つかない。だって髪型だもん。カラッと笑える。いっそボケられる。そんな自分の変化に驚くことだろう。



さらに言うと、内面の充実にも直結する感がある。

外見を髪型などでごまかせない分、顔を通して「内面の成長」が外にすべて晒されるから、なんというか「内面の成長」に絞って生きていける感じがあるのである。

人生はわりと長い。
その後半生、内面が充実した方がかっこよいに決まっているとボクは思う。まぁボクもまだその過程にいるので偉そうなことは言えないんだけど。



最後になるけど、50代後半になって、もうひとつ思うことがある。

それは「ヒトより先にハゲるというのはシアワセなことかもしれない」ということ。

自意識過剰&自己肥大の青春時代に、ハゲを通して「ヒトの痛みを知る」ことができ(笑)、スキンヘッドにすることで、ヒトが悩み始めた頃に一足お先にハゲの悩みから抜け出して、自由を獲得しおわっている。

40代から70代までずっとハゲを気に病んでいる人生と、30代や40代でハゲから自由になっている人生とでは、後半生がずいぶん違うだろう。

そう、先にハゲたもの勝ち

60代中盤になってハゲを極端に気にしている先輩を知っているが、そのコンプレックスが地球トップクラスにわかるだけに、「あぁ、その年齢からそのコンプレックスと闘うのはきついだろうなぁ」と気の毒になる。


冒頭の友人は、facebookで自分の丸坊主写真をあえてアップしていた。

潔いな。
すばらしい。

吹っ切れて楽になり、かつ「ヒトのコンプレックスに優しい」キミに、いままで以上にヒトは集まることだろう。

剃ってよかったね。
歓迎します。
ようこそ、こっち側へ。



ちなみに、ハゲの克服法として、ボクはカツラやウィッグも全然否定しません。ボクもウィッグ、ひとつ持ってるしね(ある方にもらったw 周りに衝撃を与えたのであまり使ってないけど)。

薄毛の男子も、スキンヘッドにしたり、ウィッグつけたり、モヒカンにしたり、と、いろいろ自由にファッションを変えて、ほがらかに楽しめる時代がそのうち来ると思っています。

↑ウィッグつけてますw

古めの喫茶店(ただし禁煙)で文章を書くのが好きです。いただいたサポートは美味しいコーヒー代に使わせていただき、ゆっくりと文章を練りたいと思います。ありがとうございます。