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キース・ジャレット「ケルン・コンサート」

人生に欠かせないオールタイムベストな音楽アルバムをいろいろと紹介していきたいと思います。ジャズ、クラシック、ロック、ポップス、歌謡曲、フォーク、J-Popなど、脈絡なくいろいろと。


このアルバムをいったい何度聴いたことだろう。
出会ってから40年ちょい。1000回ではきかない。2000回でもきかない。もうすべて暗記している。

この頃では「飽きちゃわないように」、年に数回しか聴かない。
いろんな条件が整った深夜にそっと鳴らすか、月が美しい夜道でおもむろにイヤホンを取り出すか。

最初に聴いたのは、確か中学3年生。1976年だったか。

生まれて初めてジャズに触れたのがこれだった(ジャズと呼ぶにはちょっと特殊だけど)。

ピアノのソロ。
しかも大きなコンサートホールでの完全即興ライブという、ジャズにしては特殊な演奏。

これがボクの人生における「ジャズの初体験」というのも、なんか変なところから入ったなぁ、って今でもよく思う。

ただ、この入口は、ボクにとって本当にラッキーだった。

なにしろ、一聴、とにかく涙がでるくらい感動したんだから。

入口が「感動」だったことは、その後のジャズに対する態度に大きく影響を与えたと思う。

マイルスやコルトレーンから入っていたら、もっとジャズを理屈っぽく聴いていたと思う。難しく解釈してウンチク語る、とかしてたかもしれない。

ボクの人生にとって最高の入口だった。



ド頭の1曲目。
これを初めて聴いた時の衝撃は今も忘れない。

聴いたことのない音楽だった。

小さい頃にピアノを習っていたボクは、いわゆるクラシック・ピアノに馴れていた。ピアノ=クラシック。

でも、これは全然違う。成り立ちや構成が違う別物。

なんなんだろう、と頭が理解を求めるけど、何もわからない。

ただ、なんか、やたらに映像イメージが湧き上がる。
そんな音楽も初めてだった。

冒頭。
天から一滴の水が孤独に落ちてきて、静かな湖面に跳ね返る。
飛沫が周りに静かに飛び散って水面にいくつもの波紋を作る。

たとえばそんなビジュアルが浮かぶような音楽を、いままで聴いたことがなかった。

鳥肌が足先から頭頂部に向かって波のように移動していく。ぞわわわわ。

この、ジャケットに写っている求道者みたいなカーリーヘアーの人はいったい何者なんだ、と、専門誌などを探しまくった記憶がある(グーグルで検索できるようになるのは約20年後だ)。


繰り返すけど、ピアノ・ソロなわけですよ。

ピアノ1台。
それをステージに据え、ケルンの観衆を前に文字どおり「即興」で演奏するキース・ジャレット(気が乗らないときは観衆を前に20分も30分もじっと何も弾かずにいたらしい)。

Wikipediaでの記述が、当日の模様を非常に興味深くに伝えてくれているので、一部引用させてもらう。

ジャレットは1972年夏より、完全即興のソロ・コンサートという画期的な試みを行い、その模様は西ドイツのジャズ・レーベルであるECMレコードによってレコード化されて(『Solo Concerts: Bremen/Lausanne』)、大きな注目を浴びていた。
当時アルバイトでプロモーターをしていたヴェラ・バランデスという17歳の学生によって、ジャレットのコンサートが企画された。日にちは1975年1月24日、会場はケルンのオペラハウス。バランデスはジャレットのリクエストに応えてベーゼンドルファーのモデル290インペリアル・コンサート・グランド・ピアノを用意する手はずを整えた。しかし会場のスタッフが持ってきていたのは、それよりはだいぶ小ぶりのベーゼンドルファーの別のグランド・ピアノだった。さらに不運なことにそのピアノはオペラのリハーサルに使われていたあとで調律さえされていなかった。なんとか調律はできたものの、耳障りな高音と響きの悪い低音が残り、ペダルもうまく動かないという状態であった。
なおかつ彼の体調も万全ではなかった。その前に公演を行ったスイスのチューリッヒから約563キロ、5時間のドライブをし終えたばかりだった。しかも数日間不眠が続いたことによる背中の痛みに悩まされていた。背骨を支えるために腰にサポーターを着け、オペラのパフォーマンスが行われたあとの深夜23時半にステージに上がった。
それまで行ってきたソロ・コンサートと同様、事前の準備なしの完全即興で、曲名らしい曲名もついていない。音楽的には、クラシック音楽のカデンツァに、ジャズの音階とテクニックを持ち込んだ内容とも言える。完全即興演奏によるピアノ・ソロ・コンサートを収録したアルバムは同じ年に2枚組で発表された。
本作は、キースのソロ・コンサートのシリーズ中、最も人気の高い作品で、その革新性と美しさは、世界中で高く評価された。その一方、全く新しい表現のため、批判する者も少なくなかった。日本でも、ジャズ喫茶では本作のリクエストが殺到したが、一部の店は「ケルンお断り」という貼り紙を出していたという。


収録曲のうち、1曲目と4曲目は飛び抜けて美しい。
傑作だ。
初めて聴いたときから虜になった。

2曲目と3曲目は、聴き慣れないうちは少し退屈かもしれない。
でも、味があって、何度も聴いているうちに好きになる。このままずっと続いて欲しい、とすら思う。

ふと思い出したが。
当時居候させてもらっていた祖父母の家で(両親は転勤で四日市に行っていた)、ボクはこのアルバムばかり繰り返し聴いていたのだけど、ボクの部屋から聞こえてくるこのアルバムを結果的に毎日聴かされるはめになっていた祖父が、「この単純な繰り返しの変な曲は飛ばしてくれ」と言ってたっけ。

特に2曲目は、祖父みたいに「単調」という印象を持つヒトがいるかもしれないな。

でも、このアルバムは、「メロディを聴くのではなくて、キースの意識の動きとそれに対する指の反応を聴くもの」だと思う。

即興なので、キースが脳内のどんなインスピレーションによって曲がどう展開していくか、その「キースの意識の流れをトレースしていく感じ」が聴者の最高の喜びだったりするのである。

そうやって聴くと、2曲目も3曲目もとてもエキサイティングである。

あ、ついでに言うと、クラシック・ピアノに馴れていたボクは、キースが時折あげる奇声や感極まったため息、足で床を鳴らす音などにも驚愕した。

静かにメロディを弾くのが正統だと思い込んでいたからである。

なんだこの自由さは・・・。

そうして、なぜキースが声を上げるか、なぜ足を踏みならすか、それが意識の流れの一部であること、それらも含めて音楽であること、いやジャズであること、などをゆっくりゆっくり理解していくのだった。


その後、ボクは人生的に、ずっとキース・ジャレットを追っている。

ソロ・コンサート』とか『サンベア・コンサート』(録音はオーディオ好きならみんな知ってる菅野沖彦さん)などの大作もよく聴いた。
ケルン・コンサートに比するとつまらなかったけど、我慢して聴いた。

そして、『パリ・コンサート』の美しさに出会った。

その後、キース・ジャレット、ゲイリー・ピーコック、ジャック・ディジョネットによる『スタンダーズ』シリーズに傾倒し、来日ライブにも何度か行った。

最近では、静かめのソロ・アルバムを愛している。

特に、もう引退するのではないかと思われた闘病生活(慢性疲労症候群)からの復活直後に自宅で録音され、献身的に闘病生活を支えた妻に捧げられた静謐なソロアルバム『The Melody At Night, With You』は、大切に大切に聴いている。

就寝前には彼が弾くバッハ『ゴルトベルク変奏曲』もよく聴く。


こうして、ボクの人生に入り込んだキース・ジャレット。
すべてのきっかけは、中3のときに聴いたこのアルバムの1曲目だ。

上記のWikipediaにも書いてあるように、「当時アルバイトでプロモーターをしていたヴェラ・バランデスという17歳の学生」のおかげである(ヴェラのWikipedia)。

彼女が、疲れ果て、背中の痛みを訴え、希望通りでないピアノにも嫌がっているキースを説得し、深夜23時30分に彼をコンサートの舞台になんとか上げてくれた。

キースの言葉によると、「彼女の(熱意に応える)ためだけにプレイした」ということらしい。

その疲れや痛み、悪条件、気が進まない舞台、ヴェラの熱意ある言葉、ケルンという街の匂い、待ち構える深夜の聴衆など、すべてがキースの意識に深く影響を与え、奇跡的にこの名曲が指からほとばしり、生まれ出た

1975年1月24日の夜にケルンの会場であったすべてのこと、そして17歳の学生アルバイトに、最大限の感謝を贈りたい。


※ 一時期、この1曲目をピアノで弾いてみたい、とか不遜なことを思っていた。そんなことを個人サイトに書いたら、友人が「キース本人がおこしたスコア」(正確に言うと、日本人がおこしてキースが確認をしたスコア)の存在を教えてくれ、すぐ買った。
でも、楽譜を開き、音符の連なりを見てすぐ挫折w
・・・まぁ、無理だよねw




古めの喫茶店(ただし禁煙)で文章を書くのが好きです。いただいたサポートは美味しいコーヒー代に使わせていただき、ゆっくりと文章を練りたいと思います。ありがとうございます。