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ボクが考えるコミュニティ

最近「コミュニティ」という言葉がバズワード的に使われているが、そのほとんどは「プロジェクト」だとボクは思う。

達成したい目的があり、スケジュールがあり、会費などの予算がある。

学習や自己啓発、お金儲けなどの「目的」をもつプロジェクト的集まりを否定するものではまったくない(ボクもひとつ、目的達成型の「さとなおオープンラボ」をやっている)。

ただ、それをコミュニティと呼ぶことに、個人的にどうしても違和感が残ってしまう。

ボクが考えるコミュニティは、もっと「居場所」的なものだ。

もう少し言うと、コミュニティは「社会的包摂」の要素が必須だ、と、ボクは考えている。

社会的包摂(ほうせつ)。social inclusion.
聞き慣れない言葉だと思う人もいるかもしれない。

この言葉は、社会的弱者を救済するニュアンスで使われることも多いのだけど、元々はもっと広い概念だと思う。

Wikipedia ではこういう定義になっている。

社会的に弱い立場にある人々をも含め、市民ひとりひとり、排除や摩擦、孤独や孤立から援護し、社会(地域社会)の一員として取り込み、支え合う考え方のこと。

冒頭に「社会的に弱い立場にある人々」と来るのでその印象が強くなるが、本来的には、みんなが「援護し、取り込み、支え合う」考え方だ。

この考え方がコミュニティには必須ではないか、とボクは思っている。

コミュニティ的に平たく言い換えるなら、「ひとりひとりを包み込む継続的居場所」みたいなことだろうか。


以前、日本人はそれをもっていた。

「村」「町」「地域」という血縁的・地縁的に包摂される居場所をもっていた。それは「故郷」的でもあり、セーフティネット的でもあり、いつでも帰って行ける場所でもあった。

そういう濃い関係性を疎ましく思ったヒトは、村などから離れて、都会に出た。匿名的に過ごせる気楽な場所を求めて。

ただ、そこには代替物があった。
「村」的なものを代替する「会社」という居場所があったから、孤独に陥らなくて済んだ。

そう、昭和時代の会社は、とても家族的(血縁的)であり、社会的包摂の場所だったのだ。平成初期くらいまではそうだった。

地域の大人たちが寄ってたかって子どもを育てるように、会社という家族が、寄ってたかって、そして長い目で、若者たちを育ててくれた。

生涯つきあっていくこと(終身雇用)を前提に、コミュニティの一員として包み込み、先輩が後輩の面倒をみ(年功序列)、孤独や孤立に陥らないようにいろいろな手を打ち(飲み会やら運動会やら社員旅行やら)、お互いに支え合っていた。

基本、温かい社会的包摂の場だったと思う。

近年、この「会社の家族性・社会的包摂性」が崩壊した

終身雇用が廃れはじめ、転職が普通になり、「雇用の流動性」が高まった。若手の成長を長い目でサポートする意識も霧散した。

年功序列の上下関係・先輩後輩関係が「実力主義」で崩れ、稼ぎに貢献する生産性が高い人が上にいくようになった。稼ぎに(今は)貢献していない人を包み込む温かさもなくなった。

「契約社員」や「派遣社員」という形態が増え、コミュニティ意識に濃淡ができ、待遇の違いにより不協和音も出るようになった。社風や企業文化を共有する一体感が薄れ、寄り合い世帯感が高まった。

会社は、「コミュニティ」から目的達成型「プロジェクト」に移行した、とも言える。

それはそれで時代の流れかと思う。
そこを批判したいわけでもないし、別に昔の会社の濃い人間関係に戻ることが善だと言いたいわけでもない。

※ 会社が家族的コミュニティだった時代には問題化されなかったパワハラ/セクハラが、目的達成型プロジェクトに移行した途端に問題化され、糾弾されるようになったことはわりと象徴的な話だと思うのだけど、それはまた別のお話。


ただ。
そういう流れを受けて、特に都会の人々は「社会的孤立」に晒されることになったと思う。

都会には「村」はない。家族的だった「会社」もすでにない。
包摂される場所がない。

家庭というコミュニティを持たない人は特に。
家庭が包摂の場ではない人も特に。
故郷に友人のコミュニティを置いてきた人も特に。

みんな、容易に孤立しうる環境で生きている

たとえ今の会社が居心地いい場所だとしても、その環境は経営方針変更によって180度変わる可能性もあるし、常にその居場所から追い出される恐怖とも隣り合わせである。

もう、(特に都会では)継続的に包み込んでくれる安心な居場所はなくなったのだ。


いま、コミュニティが多くの人に求められているのは、継続的に包み込んでくれる安心な居場所をみな本能的に欲しがっているからではないか、とボクは思う。

目的達成型のプロジェクトでは、それは叶えられにくい(例外もあるだろうが)。

目的達成型の「プロジェクト」は、目的を達成した瞬間に、つながりは疎遠になる。継続的ではない。
また、会費制の「サロン」なども、必要とされているときは居場所として機能するだろうが、文字通り「金の切れ目が縁の切れ目」であるので、継続的かつ安心な居場所とは言いにくい。

継続的に包み込んでくれる安心な居場所。
家族的かつ社会的包摂な居場所。

現代のコミュニティに必要とされるのは、そこじゃないだろうか。


その居場所に集まる理由やきっかけはいろいろあると思う。

ボクが運営しているコミュニティ「4th」は、目的達成型の「さとなおオープンラボ」を卒業した人たちがゆるく集まっている。

広告コミュニケーションに関するボクの知見を共有する目的の「ラボ」は、2019年1月現在、第十期をやっている。

1クラス12名の少人数制で、一期あたり2〜3クラス。
第一期を2013年7月に始め、もう5年半、ゆっくりやっている。卒業生は(関西ラボも含めて)378名。

当初は、コミュニティを作る気持ちはなかった。
卒業生が同窓会的にたまに集まる、という関係性で十分かなと思ってた。

ただ、ラボの卒業生が、(幹事たちの力もあり)期を越えてとても親しくなっていく。それを目の当たりにして、考えが少しずつ変わっていった。

だったらこれを継続的居場所にしてみよう。
孤立や孤独を感じたらちょこっと参加できる、ゆるい社会的包摂の場にしてみよう。
みんなが必要としたときに「常にそこにある」という安心な居場所にしてみよう。

目的はないので、みんなが常に集まっている必要はない。
でも、必要としたときに確実にそこにある。
ゆるい逃げ場であり、遊び場でもある。
会費も義務も強制もない。
ひたすら性善説で運営する。

そんな意識で、日々試行錯誤している。

立ち上げは2015年9月である。
生活仲間(家族)、遊び仲間(友人)、仕事仲間(同僚)の次の、「4番目の仲間」という意味で、4th、と名付けた。

当初は4番目の仲間を「目的仲間」と位置づけていた。
まだボクの中で、コミュニティの定義が定まってなかった。

ただ、1年後くらいに、「目的」という言葉を意識の中からはずした。目的達成型とは違うサスティナブルな「つながり」のつもりだったからである。

また、当初から「さとなお(=佐藤尚之、つまりボク)」という言葉ははずした。

目的達成型の「さとなおオープンラボ」にはボクの名前が入っていい。ボクの知見を共有するのだから、そのほうがわかりやすい。

でも、コミュニティは違う
ボクの名前がコミュニティ名に入っている限り、中心点があるつながりになってしまうし、なにより継続性がない(ボクが死んだらつながりのカタチが変容してしまう)。

ボクはもっとフラットかつ持続可能なつながりにしたかった。
みんなでみんなを長く支え合うためには、フラットであることが必要だと思った。

ただ、350名以上を「ひとつのフラットなつながり」とするのは無理があるので、「トライブという名の部活」をたくさん作って、小さなつながりの集合体を目指すことにした。

参考までにご紹介すると、トライブ(部活)は、現在38ある。他に闇トライブ(裏トライブ)もいくつかある。とても活発なトライブも多いが、中には枯れきっているトライブもある。でも、思い出したように集まったりもする。
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落語トライブ、Bookトライブ、課題図書トライブ、教養トライブ、エンタメトライブ、アートトライブ、カメラトライブ、ゲームトライブ、ジャン・トライブ、競馬トライブ、ラン・トライブ、ラン・トライブ(関西支部)、テニス・トライブ、ゴルフ・トライブ、キックボクシング・トライブ、卓球トライブ、スキースノボ・トライブ、カープ・トライブ、そと遊びトライブ、山と温泉トライブ、田んぼトライブ、チーママ・トライブ、ワイン・トライブ、うまい店トライブ、せんべろトライブ、PRトライブ、メディア・トライブ、デジタルマーケティング・トライブ、関西トライブ、東北トライブ、北信越トライブ、お四国さまトライブ、五反田トライブ、人見知りトライブ、子育てトライブ、社長さんトライブ、わんにゃんトライブ、朝活トライブ


ラボのクラス(12名)。
ラボの同期(21〜36名)。
トライブ(多いトライブで200名以上)。
そして個人的に親しくなった同士(数名)。

この4つの小さくて「強い紐帯(Strong Ties)」が重なり合って編み目となり、全体の大きな「弱い紐帯(Weak Ties)」が形成されているイメージ

そういう「大きな弱い紐帯」の中で、毎週のように「夜ラボ」という名のセミナーやイベントを開き、別の「つながりのきっかけ」も提供するようにしている。

ボクはそこの運営者であり、寮長的な裏方に徹したいと思っている。
どちらかというと、表に出ず、裏からふんわりじんわり支えたい。

盛り上がりすぎそうになったら、あえて盛り下げる。
盛り上がる必要は特にはない。
盛り上がりを求めると、その後が「祭りの後」みたいになり、継続性が失われる。
だから、数年単位、数十年単位で、サスティナブルに、ふんわりじんわり。


4thは、いま、「渋谷の元蕎麦屋(二階建て一軒家)」という「リアルな場」を持つに至っている

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ネット以外に「リアルに集まれる場」が必要だと認識し始め、いろいろ探した結果、縁もあって、去年の5月から「小さな路面店」を借りることが出来た。

人がリアルに集まれる場としては、「もともと人を集める目的と構造をもっている路面店」は最強だ。

二階をイベントスペースにし、一階にカウンターを新設して、4thメンバーが集まれる「スナック」にしている(昼間はシェアオフィス)。

オンボロすぎたこの蕎麦屋を、コミュニティメンバーたちと一緒に、ゆっくり時間をかけてリノベしていきたいと考えている(現在、6割くらいの完成度かな)。

ここを運営するに当たって心の中で常に意識しているのは、「村」や「会社」を代替する4番目の場所だ。

家族や友達や会社が代替できるならそれに越したことはない。
でも、もし4番目が必要なら、いつもここで待っているよ、というイメージである。

人生はいろいろあって、コミュニティに来れない時期ももちろんある。
必ずしも来なくてもいい。
ただ、必要なときも来るだろうから、そのときは温かく迎えるよ。
そんなイメージ。

もちろん、なかなか難しい。
でも、少なくともそうありたいと思っているし、どうすれば自然な形で(押しつけがましくなく)そうなれるんだろう、と、日々、思考&試行している。

4thを始めて、いま3年半。
元蕎麦屋に移りリアルな場をもって、半年。

最近すこしずつコミュニティのコツがわかってきた気もするけど、わかったと思ったらすぐまたわからなくなる。

たとえ何かコツがわかったとしても、他のコミュニティに応用が利くかと言われると、それもなかなか難しいと思う。

それぞれのコミュニティは、それぞれの参加メンバーで色を変える。つまりコミュニティはコピーできないのだ。再現性に乏しい。そこが面白いところでもあり、難しいところでもある。

まぁ「継続的かつ社会的包摂な居場所」なので、ゴールがないのがいいところ。

先は長いので、ゆっくりやろうと思っています。



ファンベース的なアプローチによる「ファン・コミュニティ」にも、社会的包摂の要素は必須なのではないか、とボクは思っています。
人は根底に「つながりたい」という欲求を持っている。大好きなブランドや商品のファン・コミュニティでファン同士つながれて、しかも継続的居場所になれるなら、それはとても素晴らしいことだと思っています(実現はなかなか難しいけど)。




古めの喫茶店(ただし禁煙)で文章を書くのが好きです。いただいたサポートは美味しいコーヒー代に使わせていただき、ゆっくりと文章を練りたいと思います。ありがとうございます。