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「明日世界が滅びるとしても、 今日君はリンゴの木を植える」

明日の言葉(その5)
いままで生きてきて、自分の糧としてきた言葉がいくつもあります。それを少しずつ紹介していきます。


作家・開高健が好んで色紙に書いた言葉である。

30代のころ、ボクはこの言葉を「希望の言葉」として捉えていた。

希望を捨てない意志の強さ。
明日を諦めない眼差しの強さ。
絶望に陥らない心の強さ。

その強さに憧れたし、そうありたい、と願っていた。
明日世界が滅びるなら、今日リンゴの木を植えることは無駄になる。
でも、植える。明日を信じて植え続ける。


40代のころ、ボクはこの言葉を「隗より始めよ的な言葉」として捉えていた。

隗(かい)より始めよ。
つまり、身近なことから始めよ、自分から始めよ。

何か世界を救う大それたことを考えるのではなく、何かチカラを出せるタイミングが来るのを待つのではなく。

とにかく、目の前の土地に、リンゴの木を植え始める。
自分ができることを、まず始める。
たった一本がいったい何になるんだろうとか考えない。明日世界は終わるかもしれない、と立ち止まらない。

ボクが一本植えることで、世界は少しだけ前に進むはずだ。
そう信じて、まず、行動を起こさないと。


そしていま。
50代のボクは、この言葉を「人を育てる言葉」として捉えている。

それなりの年齢になったせいか、次代を担う若い人たちに少しでも貢献したい、という思いが年々強くなる。

もちろん、ボクの経験や知見なんてたいしたことはない。ボクの手にあるリンゴの苗も、決してみずみずしいものではない。

でも、誰かの心に、何かを植えられるかもしれない。

明日世界が滅ぶのを食い止められるのは、いままでリンゴを植えてきたボクたちではきっとない。次の世界を作る若い人たちだ。

だから、ボクは、彼らに植える。
キレイゴトだと笑われても、彼らに植え続ける。

希望を捨てない意志の強さ。
明日を諦めない眼差しの強さ。
絶望に陥らない心の強さ。

それらが、彼らに、宿るように。



ちなみにこの言葉、元々はマルチン・ルターの言葉で、正確には「世界が明日破滅に向かおうとも、今日私はリンゴの木を植える」と言ったらしい。

※※
この言葉と共に思い出すのは、マザー・テレサが広めた一連の言葉である。

人は不合理、非論理、利己的です。
気にすることなく、人を愛しなさい。

あなたが善を行うと、利己的な目的でそれをしたと言われるでしょう。
気にすることなく、善を行いなさい。

目的を達しようとするとき、邪魔立てする人に出会うことでしょう。
気にすることなく、やり遂げなさい。

善い行いをしても、おそらく次の日には忘れられるでしょう。
気にすることなく、善を行い続けなさい。

あなたの正直さと誠実さとが、あなたを傷つけるでしょう
気にすることなく正直で誠実であり続けなさい。

あなたが作り上げたものが、壊されるでしょう。
気にすることなく、作り続けなさい。

助けた相手から、恩知らずの仕打ちを受けるでしょう。
気にすることなく、助け続けなさい。

あなたの中の最良のものを、世に与え続けなさい。
蹴り返されるかもしれません。
でも、気にすることなく、最良のものを与え続けなさい。


※※※
この言葉を好んで色紙に書いた開高健の小説をもしまだ読んでいないのなら、ボクは『夏の闇』から読むことをオススメする。
エッセイも実に味わい深いのだけど、歯ごたえある小説で、ぜひ開高健に触れてもらいたいと願います。



古めの喫茶店(ただし禁煙)で文章を書くのが好きです。いただいたサポートは美味しいコーヒー代に使わせていただき、ゆっくりと文章を練りたいと思います。ありがとうございます。