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23年いた孤島から出てnoteを始めた理由

23年間、個人サイト( www.さとなお.com)をやってきた。

1995年、日本にまだ個人サイトが100くらいしかなく、インターネットが村みたいだったころから更新を続けてきた。

早くに個人ドメイン(satonao.com)を取得し、食・本・音楽・映画・コラムなど、なるべくいろいろなジャンルで、「自分」を多く晒してきた。

最初の15年くらいは毎日なにかしら更新していたし、わりと人気サイトだったと思う。様々なテーマで書いていたので、たぶん5000記事以上は書き溜まっている。

いや、レストランレビューを一店一記事と数えるなら、8000記事くらいか。

SNSに投稿するようになって更新が超にぶったけど、それでも個人サイトになるべく「自分」を集約するようにしてきた。

ある意味、人生のアーカイブ化。


ただね。
最近あらためて思うのは、「死んだら、この個人サイト、数年で消滅するよね」ということ。

おもにサーバー費用の問題。
死後に子ども(現在23歳)に無駄な費用を背負わすのはイヤである。

あと、わりと「子どものために親の人生をネット上に残しとこう」的な目的もあっていろいろ書きためてきたんだけど、意外と子ども、読まないやw 

まぁ40とか50になったら読むかもしれないけど、でも、親の思い込みを子どもに押しつけるのはよろしくない。

だから費用が死後ずっとかかるなら、消しちゃっていいと思う。

というか、よしんばサーバー費用はなんとかなったとしても、「個人サイトという名の孤島」である限り、やっぱり死んだら実質的に消滅すると思うんですよね。

死んだらSNSも投稿しなくなるわけで。
そうなると孤島は過疎化する。
数年も経つと検索順位も大幅に落ち、読んでくれてた友人たちもドカドカと死に、そのうち誰も読みに来なくなる。

誰も訪れない孤島。

まぁそれなりの量の食のデータベースなどは、どうせ古びて何の役にも立たなくなるからいい。

でも、コラムやエッセイ、批評、紀行文などは、どこかの誰かのお役に少しは立つこともあるかもしれないし、♫この世界を回り回ってまだ出会ったことのない人の笑い声を作っていく、かもしれない。

それらを「消滅する運命の孤島ではないどこか」「死んでからも横のつながりが多少は保たれるどこか」に残しておきたい、という気持ちが最近少し出てきた。

そして、孤島ではなく「集落」で、新しいコラムやエッセイを書いてみたい、という気も出てきた(執筆欲)。


ということで。
孤島はしばらくそのままに、ちょっと集落に出てみよう、と、思ったわけです。

新たなコラムやエッセイや評論。
むかしのコラムなどの復刻版(加筆修正)。
いろいろな本や連載に書いた雑文たちの転載。
マーケティングやクリエイティブやコミュニティのあれこれ。

周辺雑記や日記ではなく、それなりにまとまった文章を書いていきたいと思う。

どこの「集落」に行くか迷ったのだけど、見回った結果、「テーマ別のマガジン機能」を使えるのと、全体的に「まぁまぁ賑わっているのに、そこはかとなく落ち着いている感じ」が気に入ったので、ここ、noteにすることにした。

他のメジャー・ブログ・サービスなどに比べると、コンテンツ重視なせいか、なんとなく「大人」が集まっている感があってなかなかいい。

あと、コンテンツ重視の集落なら、コンテンツにチカラさえあれば、死後でも人が訪れるかもしれない

さらに、入力画面なども丁寧かつシンプルに整理されていてセンス良いし、血が通っているサービス、という肌触りがある。裏にちゃんと「ヒトの体温」が感じられる。

いいね、note。


ただ。
まだメジャーな集落ではないので、いつか過疎化し、急に消滅する可能性が少しだけ残っている。

それではドッコイショと孤島から出てきた意味がないわけで。

なので、noteさん。
自分の都合で勝手を言うようですが、今後長く、百年単位で長く、ずっとこのサービスを続けていただけると。

よろしくお願いいたします。

集落の一員として、チカラあるコンテンツを書くよう、精進します。

※死んだらどうの、とか書いてますが、別に死に至る病に罹っているわけではありませんのであしからず。

古めの喫茶店(ただし禁煙)で文章を書くのが好きです。いただいたサポートは美味しいコーヒー代に使わせていただき、ゆっくりと文章を練りたいと思います。ありがとうございます。