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筑紫座談会(第7回)私的メモ

2019年7月18日(木)筑紫座談会(第7回)に参加してきました。
Fontworks藤田重信さん(@Tsukushi55)を囲み、フォントおじさんこと関口浩之さん(@HiroGateJP)のナビゲートで和気あいあいとした座談会でした。

思い返す、私とフォント

私が「フォント」というものを初めて意識したのは、おそらくオーストラリア在住時に小学校の授業でMicrosoft PowerPointを使ってなんらかの発表を行ったときでした。
いかんせん10才くらいの頃の話なので記憶違いがあるかもしれませんが、フツーの字、なんかイケてる字、ニコちゃんや飛行機が出せる字(Wingdings)ぐらいの、ゆる〜い認識で使っていました。

※それ以前から文豪(ワープロ)や一太郎も使っていたので、フォントを意識する機会はあったはずなのですが、子供の目から見て和文フォントは欧文フォントと比べると派手さが少なく、鈍チンの私には違いを認識できなかったのかもしれません。

その頃からずっと、私にとってフォントとは「そこに存在するもの」であり、「ある中から選んで使うもの」であり、そのフォントを作っている人がいるのだということは想像したこともありませんでした。

10代後半で、「バンドルではない別売りのフォントがある」と認識した後も、実際にクリエーションで食っているわけでもない貧乏フリーターにはフォントを買う機会が訪れることはなく(汗)、紙系の仕事も経て、サブスクリプション形式のフォント配信が出てから、ようやく導入。しかしやはりどこか遠い存在のままでした。

CSS Nite LP61の振り返りとともに…

今年5月に行われた「CSS Nite LP61 これからのフォントとウェブでの組版を考える日」で藤田さんの講演を聞いて、ようやく、アート全般と同様にフォントには製作者がいること、そして文字のひとつひとつが愛とヒラメキと熱意と執念を持って作られていることを知ったのでした。
齢33にして、ようやく知ったのです!(笑)
LP61に参加してよかったです。

座談会では、LP61の藤田さんの講演の振り返りとも言える、活版〜DTPへの流れ、筑紫書体の特徴を振り返りました。また、過去のDTP制作環境のエピソード、そして製作中フォントへの意見交換も行われました。

筑紫書体に関して、関口さんによるこちらの記事もおすすめです!


清水由規さんによる有益なレポートログ

当日参加されていた、清水由規さん(@yukishimizu910)が座談会のレポートをつぶやいてくれています。
「他のツイート見る」からスレッドを追うと全て読めます!

Twitterだと流れてしまうのがもったいないですね。
私は起きた出来事をフラットに時系列で説明するのがド下手なもので(そもそも時空間も含めて感じ方そのものに極端なムラがある)、きちんとまとめられたレポートを公開してもらえることをありがたく思います…!


私が感じたこと

座談会を受けて、感じたことや印象に残ったこと(ですます、やめちゃう)

・魅力的なフォントの自動生成はまだまだ無理そう
特に漢字の場合、ある程度バラバラのパーツを先に作っておいて、それを機械的に組み合わせて漢字を作れるだろうかと思っていたけど、そうも行かないようで。
ある字のカーブは、その文字のバランスのためのカーブであって、そのほかの文字ではまた別のカーブがしっくりくる、など。

ある程度の法則性が掴めたとしても、「ちょっとズレている。だが、それがいい」といった情緒を含めた構成となると、最終的には人間の感性(製作者の記憶や成長、感情のムラ)が必要だと思った。

人間の顔に例えるなら、一般的には美人とは整った平均顔のことをそう言うのだけれど、熱狂的なファンを生む「魅力的な顔」「ハマる顔」には平均から飛び出しているような特徴がある。
そのさじ加減を綿密にプログラムする…となるとそれってAIと言うよりプログラムする人の作品なのではと思ってしまうし、もう人がやる方が早いと思う(笑)

・流行は繰り返す
私はナールフォントを見ると、それはもうバブリーな「古い」イメージがわくけど、登場した当時は衝撃的なナウいフォントだったようで。そりゃそうだ。
青春時代に触れたものは、年をとっても「ナウかった」その時の記憶に引っ張られる。
「親の世代のモノはなんであれダサく見えがち」の「あるある」はフォントにも当てはまり、それによって一定のサイクルで流行は繰り返す。

関口さんに見せていただいた1981年のラジオ情報誌には、「契約書の裏面か」って言うぐらい小さな文字も使われていて、これでもかと端から端まで情報がミッチリ詰まっていた。
私が想像する「雑誌のレイアウト」は、写真中心で、どちらかと言うと余白にゆとりがあって、字は少なめなものだけれど、これも(もしその頃に雑誌という媒体が存在していれば)また、情報量MAXのトレンドがくるのだろうか…?
紙面の一部を切り抜いてカセットテープケースの背に貼れるようになっている(多分)のは、なんだかキュンときた。

・DTPが実用的になったのは結構最近
80年代〜90年代のDTPは、まだまだ機器の動作も不安定で完全ではなかったとのこと。
漠然としたイメージでは90年代頃からもうDTPできていそうだと感じたけど、よく考えれば一般向けでもWindows95がそのまま1995年発表だし。
DTMは90年代からソコソコ実用的だった気もする[要出典]けど、これも思い違いか。

今ではアマチュアでも気軽にIllustratorで入稿してチラシ印刷できることを考えると、ハード&ソフトの発展速度に凄まじいものを改めて感じる
専門職の既得権益を考えればもっと速度に制約がかかっていても良さそうなものだけど。抑えきれなかった増殖と寄生!

・偉大なる手書き
DTP以前は、なんでも手書きベース、手作業。
テレビのタイトル・テロップも以前は手書き。画面に映っている文字が、手書き!!あんなにきっちりと手書きできるとは。

今はそれらをコンピュータが代替してくれるようになって、その代わり人間の身体からはそれらの技術が失われた(また訓練すればできるようになるかもだけど)。

人間からコンピュータへの技巧の継承、そう考えると、なんだかPhotoshopのツールパネルに「先代」の面影を感じ…ませんか、そうですか。

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