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ジブリ最新作「君たちはどう生きるか」についての予想

スタジオジブリによる宮崎駿監督の新作「君たちはどう生きるか」が、いよいよ今年の7月14日公開という事です。
現段階ではストーリーや設定等は未発表なものの、その肝心の「君たちはどう生きるか」というタイトルに込められた謎について、私は考察してみました。

まず鈴木敏夫プロデューサーは「今回の映画は宮崎駿の自伝である」と公言されています。
では「君たちはどう生きるか」と「宮崎駿の自伝」。
この二つがどう結びつくのか?
私が思うにそれは原作「君たちはどう生きるか」の一番の核である部分『第六章・雪の日の出来事』のお話にヒントがあるのでは?と考えます。

その章での出来事とは主に、
・雪の日に、主人公コペル君が同級生らと運動場で雪合戦をして遊ぶ。
・その最中上級生らが作った雪人形を壊してしまい、友達の北見君がその上級生らに責められる。
・北見君を助けようと、同じく友達の浦川君や水谷君が立ちはだかる。が、しかしコペル君は恐怖のあまり一人物陰に隠れてしまい、上級生らの雪玉をくらう友達を見捨ててしまう。
・コペル君はその後自分を激しく責め、深く落ち込んでしまう。
というのが大まかな流れです。
このような「勇気を出せず、一人怖気づいて逃げてしまった」という経験は誰でも一度や二度あるのでは…と思います。

実はこの部分、まさに宮崎駿監督が少年時代、戦時下の疎開先で体験した苦い思い出とかなりリンクするのでは?と私は思います。
その体験とは主に、
・疎開先にいた4歳の駿少年は空襲に遭い、家族と共にトラックで逃げる。
・その途中、子供を抱いた母親がトラックに駆け寄ってきて「一緒に乗せてほしい」と助けを求める。
・しかしトラックにもう場所がないのを理由に、その親子を見捨ててしまう。
・以降駿少年は「乗せてあげて」と言えなかった自分を激しく責める。と同時に強く戦争を憎む。
といった内容です。

そして今でも宮崎監督自身の創作の原点とは、そういった状況でも「乗せてあげて」と言えるような、そんな子供が出てくるようなアニメ。そういったものを作りたいという想いがずっとあるのだそうです。

そして以下は、宮崎監督自身が語ったその時の回想です。(※大泉実成『宮崎駿の原点 母と子の物語』潮出版社より引用)

自分が戦争中に、全体が物質的に苦しんでいる時に軍需産業で儲けてる親の元でぬくぬくと育った、しかも人が死んでる最中に滅多になかったガソリンのトラックで逃げちゃった、乗せてくれって言う人も見捨ててしまった、っていう事は、四歳の子供にとっても強烈な記憶になって残ったんです。
それは周りで言ってる正しく生きるとか、人に思いやりを持つとかいうことから比べると、耐え難いことなわけですね。
それに自分の親は善い人であり世界で一番優れた人間だ、っていうふうに小さい子どもは思いたいですから、この記憶はずーっと自分の中で押し殺していたんです。
それで忘れていまして、そして思春期になった時に、どうしてもこの記憶ともう一回対面せざるを得なくなったわけです。
(略)
自分のどっかの根本に、自分が生まれてここまで生きて来たってことの根本に、とんでもないごまかしがあるっていうふうに気がついたんです。

そしてその後、あの時運転していたのが自分だったらトラックを止めただろうかと自問する日々があったそうです。

以上が私が思う、「君たちはどう生きるか」と「宮崎駿の自伝」という二つのキーワードを一つに結ぶ考察です。

【トラックで逃げる途中、子どもを抱いた母親を「乗せてあげて」と言えなかった幼き日の自分】。
この「駿少年最大のトラウマ」との決着こそが、一番のテーマになるのではないのでしょうか?

確かにこれに近しい事は「風立ちぬ」でも表現されています。
がもっと深くこの部分に(ファンタジーという鎧を着せて)切り込んでいくのでは?と期待してしまいます。

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