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言葉のことばかり【好物の反対】

好きという尺度

ある日、友人に
「亀戸餃子という店の餃子がうまい」
と言ったところ、
彼は早速出かけて行ったらしく
感想を伝えてくれた。
「なーんか具が野菜ばっかりですね~」

言われてみればあの味は
子供の頃に親が作ってくれた
餃子の味に近かったような気がする。

そういう意味では今どきの
洒落て小振りな鉄鍋餃子なんかと比べると
ちょっと地味なのかもしれない。

しかしだからこそ
自分がその味をうまいと思ったのだと気づき、

ちょっとじんとした。

人の好みなどというものは、
その人の歩んできた日々で決まる
わけで、
尺度などはどこにも無いのだ。

食通で通っている人が
好き嫌いがないかと言うとそうでもないし。

「美味い」という尺度は
どうしても優劣に感じてしまうが
本当はあくまで自分の中での話で、
客観的じゃないんだよね。

そもそも味に点数なんかつけられない。
星三つ、とか食べログ何点とか、
誰の視点なのかと思う。神か?
やるならミシュランくらいマジにやらないと。
逆にあそこまで行くと自分と関係ないって
気分にもなっちゃうけど。

「好物」ってもっとふんわりしたのがいい。

好物ってデリケート

高校生くらいだったか、
すごく好きな味噌ラーメンがあって、
あそこのミソがうまいんだと
友だちいっぱい連れてったことがある。

ミソがうまいと言われて来たから
みんなミソを注文したんだけど、
店から出てきたら…みんな無言だった。

まずい、わけじゃないんだけど、
それほどでもなかったんだろう。
ハードル上げちゃったからかもしれん。
みんなどう言っていいかわからず
黙っちゃった。

今思えば、ただのチェーン店のラーメンだし
ただ自分の好みだっただけだったんだな。
ちょっと苦い味の思い出である。

好物を否定されるとへこむ。
好きってのは究極の個人的感想なので
他人にとやかく言われるもんではない。
だからこそ傷つくんだよなあ。

好物の反対

「好き」の反対は「嫌い」だけど、
「好物」の反対を「嫌物」とは言わない

「苦手」と言う。

感情の度合いとして「苦手」には
ちょっと慮り(おもんばかり)がある。
完全否定じゃないんだよね。
ちょい気を遣っている。

いや、ダメってわけじゃないんですよ。
あまり得意じゃないってことで…。

そういう意味で言うと「好物」も
絶対これじゃなきゃダメだ、じゃなくて
僕はいいと思うよ、的なニュアンスがある。

あくまでも個人の感想ってことで。

そこには自由があるんだよね。
客観的な決め事じゃない自分の感覚。
だから気持ちいい。

好物も好きだけど、苦手も嫌いじゃないです。

これ、感覚的にいちばん近いのが、
人と人の関係。

自分が「好き」という感情に
客観的尺度はない。

僕はあの人好きだけど、
世の中の全ての人があの人を
好きなわけじゃない。

そこがいい。

次回の言葉は「進化しない」です。

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