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言葉のことばかり【哀愁】

野球というスポーツに
ただよう哀愁

野球は日本人に妙に人気がある。
最近の報道を見てると
スポーツとしての人気なのか
人物の人気なのかよくわからないが…。

特にお父さんに人気がある。なぜか

それは野球がサラリーマンを
描いたゲームだからである。
それも妻子あるサラリーマンね。

バッター(主役=サラリーマン)は、
まずホーム(家)にいる。

彼は家から外に出たい。
外でバリバリいろんなことをやりたい。

外に出るためには、打撃(仕事)をやって
認められなくてはならない。

投げ込まれる(課題)は次から次に来る。
その速さに対応するだけでも大変なのに
曲がったり落ちたりする。
ぶつけに来るヤツもいる。

で、何とか頑張って外に出たら、
まわりじゅう敵だらけ。
まわりは何かと足を引っ張って、
先に進めないようにする。

それでも彼は次を目指す。
で、進んで進んで、

結局たどり着くのはホーム(家)だった。

なんとも哀愁のあるゲームではないですか。
がんばってがんばって、結局、
一周してもとの場所に戻ってくるなんて。

おじさんは無意識に共感している。
頑張っていること、成功の達成感、
そして決してうまくいかないことに。

これに対して常に前に進んで
自分の気持ちを吐き出すことに終始する
サッカーは独身そのものだ。

ゴールを決めたあとには戻るところがない。
行ったっきり。
お父さんたちはそこに、
なにか落ち着かないものを感じてしまう。
この高揚感をどこに納めればよいのか…。
独身のあいだは気にならないことですけど。

野球は回が変わると、こんどは
自分がライバルの出世を阻止する側にまわる。
なんともいじましい。

そこにまたも哀愁を感じてしまうのだ。

哀愁は悲しいのか

哀愁という言葉は
哀(かなしい)と愁(うれい)でできている。

だけどただ、かなしいのかというと
そんな感じもしない。

なんかちょっといい感じというか、
おしゃれさがあるよね。

普通、かなしいは悲しいだし、うれいは憂い。
これが通常モードだとすると
どっちもよそ行きの服を着ている。
いつもとちょっと違う。

愁なんて秋の心だから。
女心かよ、とツッコんでしまう。

哀愁はかなしいけれどなんか好き。
ここがポイントだ。
辞書を引いても
「もの悲しい感じ」と書いてある。

ちょっと距離がある。
結局他人事っぽい。

だから「漂う」んである。
そんなにマジではない。

「悲しみよ こんにちは」という小説がある。
一方で「よろしく哀愁」という歌がある。

悲しみにはちゃんと向き合って挨拶するが
哀愁に対する態度は軽い。

そのくらいの距離感の付き合い方に
お父さんはちょっと憧れたりして
自分も哀愁を漂わせたいなあと思うが
実際に漂ってるのは体臭だったりする。

次回の言葉は「弱酸性」です。

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